雪混じりの桜

小さく息を吐く。口から溢れて消えていく白い空気を、沖田は何となく眺めた。


さすがに、2月の屋上は辛い。



因みに卒業まであと三日。三年である沖田は自宅学習期間に入ったので、今日学校に来る必要は全くない。そのうえ未だ暖かくなる気配もないのに、好き好んでわざわざ風の吹く屋上に来たのか、自分でもよく分からないでいた。



息を吐くたびに寒さに凍えて身が縮むくせに、足は動こうとしない。
小さく息を吐く。
消えていく空気の向こうの空は淡く青い。海みたいな空じゃない。優しく見守るみたいな、そんな色。


小さく息を吐く。
そしてそっと目を閉じた。


自分は一体ここに何しに来たんだろう。
どうしてここから動きたくないんだろう。
卒業するのが寂しいから、とか?


「……そんな訳ねぇ」


だけど。



認めたくないが、居心地が良かったのは確かだ。小学中学と上がってきて、周りにいる土方や近藤さんや山崎は変わらないのに、今までで一番居心地が良かった。
ふざけた問題児ばかりのクラスにふざけた面倒くさがりな担任、そしてムカつく留学生のチャイナ娘こと神楽。


あの教室は、まるで水槽のように、賑やかで慌ただしい箱だった。だからその箱を出るのが…面倒で。


ここに来る途中に通った自分の教室が空っぽなのを見て、無性に胸がざわついて苛立った。自分はこんなにガキだっただろうか。
今さら卒業したくないなんて駄々をこねるような。



また小さく息を吐こうとして、止めた。
屋上の扉がギシリと開く。


「うげ、サドも来てたアルか」
「それはこっちの台詞でィ」


屋上に入ってきた神楽は、嫌そうな顔をした後沖田の隣に腰かけた。
そして空を見上げ、フッと息を吐く。
神楽はしばらくそのまま流れる自分の息を眺めていた。さっきの自分と同じ行動。思えばコイツとはそんなことばかりだった。


そうして今までの事をつらつら思い浮かべて、また息を吐く。今は何を考えても胸に沸く焦燥感が消えてくれない。


「卒業、したくないアル」

唐突に、神楽がポツリと呟いた。
たまの出校日では普通に騒ぎまくってる神楽とは似つかないくらい、冷たい風に流されてしまいそうな、小さくか細い声。
「は、今から卒業したくないとかガキだねィ」


渇いた笑いが漏れる。それは虚勢を張っているようにしか感じられなくて、小さく舌打ちした。本心は神楽と同じなんだって、気づいていても言葉に出来ない。


神楽はチラリと俺を見て笑った。


「少なくとも、それを認められないお前よりは大人アル」
「ガキはテメェだろィ」
「いやいやお前アル。男はみんなガキアルヨ」
「なんでィそりゃ。旦那の受け売りか?」
「人生論ネ」
「嘘つけ」



お互い軽口を叩きながら、でもお互い言えないでいる言葉を、理解できる気がした。どっちも素直じゃない。
認めたくないけど、心の中じゃ認めてるんだ。




卒業して、こんな風にコイツと軽口叩き合えなくなるのが嫌だ。


コイツに、会えなくなるのが嫌だ。



けれどそんなこと、素直に口にするのは気恥ずかしくて認めづらくて、こうやって軽口を叩いて少し安堵して。


「サド、」
「……何でさァ」
「…卒業しても、お前はムカつくから忘れられないアル。だから、ムカついてどうしようもなくなったら、殴りに行くネ。今から首洗って待ってろヨ」

目を合わせて、神楽はニッと強気に笑んだ。
俺も同じように、笑って返す。


「俺は大人だから、応戦してやらぁ。感謝しやがれ」
「うげ、サドに感謝とかごめんアル」



素直じゃない、不器用な、卒業してもまた会おう、の約束。じんわりと寒かった体の芯が、温かくなるのを密かに感じていた。



神楽が来る前までは卒業したくないことも認められなかったのに、神楽と話しているうちに、認めたくないと思いつつ結局認めてしまっている。


卒業、したくない。あのメンバーと、ずっとバカやってたい、って。




……確かに、ガキは俺かも知れねぇや。



そう心の中でひとりごちて、俺は無意識に笑っていた。神楽が不思議そうな目で見てる。そのぐるぐる瓶底眼鏡の奥に透ける、綺麗な青い瞳が好きだったなんてことは、きっと卒業したって言えないだろう。



けれどこれから先、ずっと神楽と会う機会があるなら、それを伝えられる日もいつか来るかもしれない。



先の事なんか分からないが、今はそれを信じていたいと思った。



「――あ、桜アル」
「こんな時期に桜なんか――、」

神楽の驚いた瞳の方角を見て、バカにしかかっていた口がつぐむ。
それは確かに、桜だった。ぱらぱらと降り始めた小雪に混じる、空に溶けてしまいそうな程淡い桃色の、花びら。


「綺麗アル……」


雪なんだか梅なんだか桜なんだか、大して学のない俺には分からない。



けれど神楽が桜と言った花びらを、俺は桜だと信じた。
俺達を繋ぐ、形のない約束と同じように。




その花びらはすぐ、俺達の視界から見えなくなって。唐突に俺と神楽は立ち上がった。
雪まで降ってきたんだ。
体は完全に冷えきっていた。


「お前は俺より後に来たんでェもっとここにいろよ」
「いやアルお前こそもっとここで一人寂しく雪に埋もれてろヨ!」
「いやいやお前こそ」
「いやいやいやいや!」


言い争いながら屋上を後にする。朝抱いていた苛立ちや焦燥感や、らしくない不安は全部きれいになくなっていた事に俺は気づくことなく、目の前のムカつくクソチャイナをどうやって言い負かそうかなんて、そんなことをいつもみたいに考えていた。


雪混じりの桜



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卒業シーズンですね。
私も高校卒業です。
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