バーカ。
気づいてなかったし、想像もしてなかった。
***
少し冷たい風が頬を撫でるようになり、神楽は服を長袖に変えた。
むかつく沖田と喧嘩の後はまだまだ暑いのだけれど、落ち着けばやっぱり強い風が頬に当たると寒いと感じる。
風に揺れて右手に持っている袋がガサリと揺れた。
「う、なんで私がわざわざこんなことしなきゃならないアルか…」
袋の中身は酢コンブとガムと暖かいお茶だ。結局勝負のつかなかった今日はじゃんけんをすることになり、負けた神楽がこうして買い出しをしているのだ。まあ、金は沖田のだけれど。
「どうせ金は全部マヨの嫌がらせグッズに消えてるネ!それなら神楽様の胃袋に消えた方がいいに決まってるアル!」
ふふっと笑って公園へ駆ける。最近なんとなくどうも自分は喧嘩した後のあの時間が好きらしいと思い始めている。ムカつくサド野郎と一緒なのにだ。
しかもたまに、たまにだけれど普通に話して、普通に笑う事もある。無表情な沖田の表情が崩れて笑みに変わると、神楽の心臓辺りが決まってツキンと痛むのだが、その理由まで神楽は分かっていなかった。
公園が近づいて、神楽は走ったのがバレないように息を整え歩く。いつもより少し速くついた筈だ。
そうして公園へ入ろうとして、神楽は足を止めた。
「最近いつもこの時間帯いますよね!それであの…」
「私達、手作りでお菓子作ってきたのでよかったら…」
3、4人の女の子に沖田が囲まれている。可愛らしい着物に、可愛い髪飾り。柔らかな雰囲気は全て自分にない物だ。
女の子に隠れて沖田の表情は見えない。きっとポーカーフェイスは変わらないだろうけど、内心は?
「あい、つ、モテるアルか…?」
色事に疎い神楽は、そんなこと考えもしなかった。
目の前にある光景がグッと遠くなったような気がして、ふらついた神楽は袋を足元に落としてしまった。
ガサ、とした音に、初めて女の子達の視線がこちらを向く。
見られたくない。
そう、唐突に思った神楽は、袋を置いたまま万事屋へと走った。
なんで、こんなに心臓痛いアルか……!
走りながらキュッと目を瞑ると涙がこぼれた。
***
次の日、一日二日は公園に行くのを止めようと思い、神楽はソファで膝を抱えた。
昨日の光景が頭の中をぐるぐる回る。そのたびに軋む胸の痛みが‘切ない’だと分からない神楽は、また滲む涙をキュッと堪えてまた膝を抱え直した。
苦しい、アル…。
いつもなら答えやヒントをくれる銀時と新八は依頼中でいない。
静かな万事屋は不安を倍増させていく。
しばらくして、ドクドクと聞こえる心音に耳を背けたくなった時、万事屋にチャイムが響いた。
神楽はすがるように扉を開ける。
「こんにち……って、チャイナかィ」
「…おま、え」
そこに立っていたのは今一番見たくない奴で。
今までになく心臓が痛くなった。
沖田は普段となにも変わらない。いつもの隊服に身を包み、右手には見覚えのあるビニール袋。
「その袋…」
「ん?あぁ。お前昨日急に帰ったから。…ほら」
がさがさと袋を漁って酢コンブを取り出す。
「な、めっ、珍しいアルな。また何か入れたんダロ」
「あ、ばれやした?」
大して悔しくもなさそうに、沖田はニヤリと笑う。
「…ま、入れたのはコレじゃなくて、茶の方だけどな。ほら」
ん、と酢コンブを差し出される。神楽は不自然にならないようそれに手を伸ばした、のだが。
「……っや…!」
短い酢コンブの箱を掴もうとした神楽の指が、沖田の指に触れた瞬間、神楽は酢コンブを手離してしまった。
耳まで赤くなる。どうしたんだ自分は。混乱は動揺を呼び、神楽は途方に暮れて俯き立ち尽くした。
「チャイナ、もしかしてお前…」
その声に顔をあげる。どうして自分がこんな状態にあるのか、分かるなら教えてほしい。
しかし顔をあげても、沖田はしばらく無言のままだった。珍しくポーカーフェイスを崩した、驚いたような表情のまま。
「…お、おい何アルか」
その沈黙が焦れったくて先に口を開くと、やっと沖田も動いた。少し頬が赤いような気がするのはどうしてだろう。
「………ちょい、待ち」
「……?」
待ったのにさらに待たすのか。そう思った刹那。
不意に沖田が右手を神楽の頬に添えた。
「おい、何だヨ」
「…バーカ」
「へっ?…ぅあだだだっ!」
その右手がぎゅっと頬をつねる。あまりの痛さに悲鳴を上げて、右手で殴ろうと拳を繰り出した。
しかし避けられて、その流れに任せるように抱き締められた。
「……!?」
視界が真っ暗になる。少し肌寒い季節には丁度の温い体温に、沖田の匂い。今まで聞こえていたうるさい心音も胸の軋むような痛みも消えたような感覚。
包み込むような安心感の中で、神楽は自然とこの感情に気がついた。
ああ、なんだ。
私はコイツに惚れたアルか。
しかし感情に気づいたから素直になれる、なんて事は勿論なくて。
抱き締められた腕がさらに強くなるのが嬉しいような苦しいような。
「離せよ、バカ」
「嫌でさァ、馬鹿」
「今わざわざ漢字にしたダロ」
「そう言うチャイナは単に漢字知らないだけだろィ」
動揺を誤魔化すように飛び交ういつも通りのやりとりが心地好くて、けれど恥ずかしくて、神楽は沖田を押し退けた。
なのに離れた体温が寂しいとか、どうかしてる。
素早く酢コンブを取って、神楽は扉を閉めた。
「き、今日は帰れヨ!」
「明日は公園、来るんだろィ」
扉一枚向こうから、沖田の優しい声。そういえばあの女の子達はきっと、コイツのこんな所知らないに違いない。
「…一日くらい頭整理させるヨロシ」
ドクドクと速まる心音は、今度は嫌じゃなくて。
神楽は扉の向こう側の沖田が微笑んでいることも知らず、ゆっくりと微笑んだ。
「一日だってんな余裕やるわけねェだろィ」
「調子に乗んなヨ」
バーカ。
「で?じゃあ昨日のはヤキモチですかィ?」
「……お前マジちょっと調子に乗るな」