エタノールブルー
目を覚ますと真っ白な天井が瞳に映った。
もう何回目かわからないくらいしょっちゅうある出来事なのに、一瞬何があったのかと焦ってしまう。
「保健室……ああ、また」
倒れてしまったらしい。
日の光に弱い私が外でマラソンなんかしたら、そりゃあ倒れて当然だろう。
サド野郎に勝ちたかったのに、これじゃあ不戦敗じゃないか。
寝返りをうつと、ベッドが軋んで保健室に響いた。
誰もいないらしい。
保健室はエタノールの臭いが鼻につくからあまり好きじゃない。
ああ、どうしてこうなっちゃうんだろう。
外から漏れ聞こえる皆の声が羨まく感じてしまう。
春の香りが風を伝って、どこまでも気持ち良かったのに、気づけば年中エタノール臭のする個室でお目覚めだ。思わず自嘲的な笑みが漏れてしまう。
そしてそれに自己嫌悪。
近くに、誰もいない。
グラウンドからここまで、運んでくれたのは誰だろう。
意識が途切れる寸前、誰かが走って来たのがちらりと見えたのは覚えている。
銀ちゃんかな。
「サド…」
あれ、今銀ちゃんの事考えてたのに、どうしてヤツの名前がでてくるんだ。
白いシーツが気持ち悪い。何もない空間に切り離されたような気分だ。
じわ、と目から涙が出てきた。
嫌になる。
こんな弱い、女々しい自分、エタノールに火をつけて一緒に燃やしてしまえ。
「……っ、」
押し殺すような涙を流してうつ伏せになった瞬間、凄まじいスピードで保健室のドアが開いた。
「チャイナ!?」
「……おま、何で」
「いや、……怪我して」
「あ、っそ」
何だよ少し期待しちゃったよ。
泣いてたから来てくれたのかな、なんてこんなサドに限ってあり得ないのに。
泣いていたのを思い出し、慌てて沖田に背中を向ける。
「消毒液は、と」
沖田は手際よく、分かりにくい消毒液の場所を探し当て自分に吹き掛けた。
「……っつ」
結構痛いらしい。
だがすぐに保健室は無音になった。終わったのならさっさと帰れよ。
「なぁチャイナ」
いつもより真面目で低い沖田の声。
…柔らかくて、不覚にもまた泣きそうになった。
「らしくないぜぃ。泣くなんて」
「ほっとけヨ。こっちだって、好きで泣いてる訳じゃないネ」
どんだけつらいかなんて、「気持ちもわからないくせに?」
「……!」
カタン、と椅子から立ち上がる音がする。
背中越しに声がかかる。
「確かにな、わかんねェよ。…でも、泣くなんてらしくねェことすんなら、俺の事でも思い出して怒っとけばいいんじゃね?」
「ぷっ…なんだ、ソレ」
確かに普段の沖田の行動は私を腹立たせるばっかりだ。
だからって自分でそんな事を言うなんて、嫌われたいのか。Mなのか。
真っ白なシーツに、淡い太陽の色が射して目を細めた。
「笑えるなら、笑っとけ。倒れるなら俺を支えにしろィ。また、あんな心臓に悪い現場見せられるなんて気分悪ィ」
「キャラ違くネ?」
「恩を売るためでさァ」
とってつけたような笑い方に苦笑してしまう。
涙は呆気なく止まった。
保健室の外からかすかに誰かの足音がする。
「じゃ、もうチャイム鳴るから。一人が寂しいからってしくしく泣くキャラじゃねぇんだよ似非チャイナ酢コンブバカ野郎」
「…なっが!さっきのはアレネ。目から涎垂れただけアル。す、酢コンブの夢見て…」
言い切る前に沖田は扉から消えた。
なぜだかもう白い天井もシーツも気にならない。
エタノール臭は沖田の手のひらで蒸発して消えてしまった。
入れ替わりで銀時が何やらニヤニヤしながら入って来た。
「おー神楽。保健室でナニやってたの?ナニ?」
「キモいアル。しばらく私に近寄らないで」
頬がマラソンの後のように熱くて起き上がった。
熱なんてないはずなのに、心臓に病気なんて持ってないはずなのに。
熱くて痛い。
栗色の頭が脳内でチラリと揺れた。
「そういえば、私を運んでくれたのって先生アルか?」
「あれ?沖田くん何も言わなかったの?じゃあなんで保健室きたのアイツ」
「え?どういう事アルか?」
銀時は何やら考えこんだような顔をしたあと、私をみてフッと笑った。
「そういう事。アイツ素直じゃねぇからな。畜生青春だよ青い春だよ。あー痒い痒い誰かムヒ持って来てー」
「そこの右にある棚の左から二番目アル」
体をかく真似をしたあと、唖然とする銀時。
「神楽ちゃん神楽ちゃん…今のは比喩表現であって、本当に痒い訳じゃ…」
「どっちだろうと関係ねーヨもじゃもじゃ。何しに来たアルか」
「もじゃもじゃって言うなアホウ!……妙達が、‘早く教室に戻ってきてね’だとよ」
頭の上に手を置かれて、心地よい感覚に浸りながら私は笑った。
「戻るアル!」
白くて古いベッドから飛び上がり、スプリングの音を耳で聞きながら保健室を走り抜けた。
少し遠くにまだ沖田が見える。
まてまてまて、なんかまた動悸が落ち着け神楽。
頬を桜色に染めた神楽は、走りながらその背中に向かって叫んだ。
「クソサド沖田ァー!」
びっくりしたような顔で振り返った沖田に、追い付いた神楽は笑顔を引き連れ全力で飛び付いた。