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水着を着た神楽は危うくプールが沖田の血で赤く染まるんじゃないかというくらい可愛くて可憐だったが、その可愛さ故に沖田は口をパクつかせる事しか出来なかった。全く不甲斐ないばかりである。そんな神楽の水着は皆さんのご想像にお任せしよう。
「に、…似合うアルか?」
「あ?にっ、」
似合ってる。似合ってるってかアンタの為に作ったみたいに見え――。
「お前……思ってたより……」
「あ?何でィ」
「えっ、いやいや何でもないアル気にしないヨロシ!」
慌てたように首をぶんぶんふる神楽を普段の沖田なら疑問に思っただろうが、色んな意味で今の沖田は使い物にならなかったので、神楽の水着を褒めようとした努力ごと水に流れていった。
「で、競争でもするかィ」
「えっ…」
神楽が細い肩をビクッと震わせる。あ、もしかして。
「チャイナ…お前、泳げないんだろィ」
「なっ!おっ、泳げるに決まってるネ!」
ムキになると俺に張り合う癖は何時になったら治るんだろうと、沖田は笑った。いや、治らなくていいか。ずっと張り合ってればいい。
「じゃあ勝負しやすか?」
「臨むところアル!」
24メートルを泳ぐ、少し本格的な場所へ移動して、二人は隣のレーンに並んだ。
ちらりと横を見れば、少し不安げな神楽が視線をさ迷わせていた。そんな神楽が可愛くて仕方ないと思うんだからとんだドSだ。
嫌われませんようにと思ってもまあ、手遅れなのだけれど。
「よーい、」
沖田の掛け声で、二人は水中に潜って壁を蹴った。
「どん!」
***
そして冒頭に帰る訳である。当然先についた沖田は、それでも必死に泳ごうとする神楽を見つめていた。
その…アレだ。決して窺わしいなにをしていた訳じゃない。
しかし本格的に沈んだ神楽を見て、笑っている訳にもいかなくなった。背筋が凍る。すぐに飛び込み神楽を抱いて水面を上がり床へと寝かせた。
「おい、チャイナ、チャイナ!」
意識が飛んでいる。沖田は焦る気持ちと恐怖心を抑え込み冷静に考えた。
曲がりなりにも将来のなりたい職業は警察官だ。そのために、関係ないかもしれない事まで色々勉強した。
そして今回が初めての実践だ。沖田は目の前の神楽を見て一瞬考えこんだ後、行動に移した。
***
ゆっくり、人形が瞼を持ち上げるような綺麗さで神楽は目を開けた。するとかなり近くに沖田の顔があり、朦朧とした意識の中ですら心臓が大きく跳ねた。
「チャイ…ナ……?」
「サド?どうして…ゴホッ」
「おい、喋んな!」
落ち着くように頭を撫でられる。それが不本意にも心地よくて、自分に何が起こったか考える余裕が出来た。
「…ここ、は?」
「プールの救護室」
色々聞きたい事があるのに、未だ考えがまとまらない。水中から助けたのお前なのか、とか。ここまで運んだのお前なのか、とか。その場合、重くなかっただろうか、等々。
「泳げないにしても限度があるだろィ。ったく無駄な心ぱ……いや、何でもない」
何やら言葉を濁した沖田は、気まずそうな目で神楽を一瞥した後目を逸らした。
「お前さ、」
「おう」
少しずつ少しずつ、意識が覚醒していく。もう大丈夫だ、そう思った次の瞬間に今度は混乱の渦へと巻き込まれた。
「人口呼吸で唇に触れた場合…キスになりますか」
不自然な敬語と少しだけ赤い頬。しかしそれよりもきっと神楽のほうが赤い。状況は掴めたが、なぜコイツがそんな事をわざわざ言うんだろう。黙っていればいいだけなのに。
…ああ、そうか。キスに入んないと言われてホッとしたいアルな。ズキ、と痛みが走る。
「安心しろヨ。ならないアル。人助けご苦労様ネ」
「そっか。入んないか」
ホッとしているにしては項垂れている気がするが、とりあえずそれよりそろそろ頭に乗った手を退けてくれないだろうか。
嫌じゃないと思っている自分が嫌だ。
自分より悔しいながら大きい手を退かそうと掴むと、その手がビクンと震えた。それに驚いて沖田を見ると、さらに驚いた顔の沖田。顔がみるみる赤くなっていく。
「おい、いくら触られるのが嫌だからって、そう明らさまだと流石に傷つくアル」
「なっ違っ!」
沖田はこの時神楽の鈍さに呆れたのだが、そんな事神楽が知る由はない。
しかしその場の空気が少し変わったのには気がついた。
「……されねェなら」
「ん?」
「カウントされねェなら」
言うと同時に沖田が布団に覆い被さってきた。間近にまた、沖田の顔。
爆発しそうな勢いで脈拍が上がる。
沖田は低く低く、神楽の耳元でそっと囁いた。
「カウントに入れてやらァ」
全身の動きが止まる。ふわり、と柔らかな感覚。
チュッという軽いリップ音がやけに耳に残った。
赤い顔をして、沖田は立ち上がった。神楽はそれを呆然と眺める。
「――っ、ほら、治ったなら出るぞ」
赤い顔をしたまま扉をあける沖田に、神楽は一つだけ思った。
今の行動に対する発言は無しですか沖田サン?
***
やってしまった。
沖田は後ろで黙ったままついてくる神楽と救護室で何があったか――否、自分が何をしたか思いだし頭を抱えたくなった。
違う、違うんでィ。
まるで痴漢をした犯人が言い訳をするような、そんな気分になって辟易する。
現在二人は私服で、家に帰る途中である。プールからここまで、ものの見事に無言。気まずくて逃げ出したい。
明日から…喧嘩出来なくなるかもしんねェ……。
なんの解決策も会話の糸口も掴めぬまま、二人の帰る道が別れる道に来てしまった。
「今日は…悪かった」
とりあえず謝ったが神楽は俯いたまま反応がない。
沖田はため息をついて歩き出した。
「おい、サド!」
すると背中に大きな声がぶち当たる。
驚いて振り向くと、真っ赤な顔で神楽が叫んだ。
「カウントしたからには、責任とれヨ!」
「……マジでか」
夏の青い空を、雲が悠々と泳いでいった。