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「おはよーアル!」
昨日は気まずいまま、なんとなく話しかけずらかった神楽が教室に入ってきた。チラッと横目で眺めるつもりが、そのまま固定されたように動かなくなった。全身から変な汗が出そうだ。
「…チャ、イナ?」
「おはようアル。サド、どうアルか?イメチェンしてみたアル」
いつもはいてるジャージがないだけで、まさかこれ程殺傷能力があるとは。
未だ言語機能が回復しません。
よく見ると、スカートも短い。ああ、チャイナは俺を殺しに来たんだ昨日の仕返しに。それならもう十分効果があった。死ぬ。このままじゃ確実に動悸、息切れで息絶える。
ほらな、だからコイツが綺麗になんかなったら困るんでさァ!
即座に押し倒しそうになる欲望を地面に縫い付け、昨日たてたばっかりの誓いを思い出す。余計な事は言わない。
「ふーん。良かったな」
結局そんな少しずれた言葉を返すと、神楽は何も言わずに教室から出ていった。あれ、何。
背筋が冷たい。
背中に姉さんたちの殺気が刺さってる。
……もしかしてまずった?
「沖田さん」
冷たい冷たい、冷気をそのまま音にしたような声だった。
「神楽ちゃんがどうして、あなたに真っ先に声をかけたかわかる?」
「……」
…思い上がっていいなら、それは、…けれど。
「とにかく、ボーッとしてないで追いかけなさい」
ガタンッと響く椅子の音と同時に、俺は教室を抜けた。
***
綺麗なんて言って欲しかったんだろうか私は。あんなサドヤローに。
そもそもなんで綺麗になりたかったんだったっけ。
突き抜けるような青空を、寝転がって体いっぱいに受けて、私は涙を乾かしている。屋上が解放されていて良かった。
コンタクトを外し、いつもの眼鏡をつける。ジャージはないから穿けないけどとりあえずはいい。
『綺麗にこしたことはねーんじゃねーの』
そう言ったのは誰だったっけ。
結局、私は綺麗になんてなれないし、なったところでアイツは興味なんか示さない。そーゆーことアルな。
「……死ね。クソサド」
せっかく乾いた涙が再び地面を透明に塗らした直後、乱暴な音とともに扉が開いた。
そして唖然とする私と、逆転した視界が、今世界中の誰より見たくない瞳とぶつかる。何焦ってんだコイツ。
走ったのか、顔を赤く染めた沖田はつかつかと私に近寄って来る。ヤバい逃げたい。
とりあえず何か言わないと。別に泣いてるのはお前と関係ないアル、とか。
沖田は仁王立ちで私を睨み付けた。
「チャイナが綺麗になんかなったら、俺が困るんでィ」
「……は?いきなり何アルか」
「…っと。あーつまり…」
勢いよく言い出したくせに急にしどろもどろになった。私はそれを見上げる。
「その、アレでィアレ…。つまりだな、」
「はっきりしろヨハゲ」
「禿げてねーだろィ。目腐ってんじゃねェの」
あ、今いつもの感じ。
「俺はな、綺麗でおしとやかなお嬢さんなんかとはソリが合わないんで」
「そうアルな。キモいし」
「…今の神楽みたいのが、俺にはいいんでィ」
「な、にを……」
言い出すんだ。危うく心臓が高鳴るところだった。
ときめきなんて、あり得ない。
沖田はいきなりしゃがみ込み、私に口をくっつけた。その時体の全機能が停止した。だって心音が聞こえない。
見開かれた目は、近すぎてぼやける赤い瞳を映す。
口が離れて、でも距離は物凄く近い。なんだコレ。
今度は暴れだしたみたいに心臓が脈を打った。
「つまり、俺は神楽が好きなんでさァ。怒っていきなりパンチが飛んでくるようなアンタを。………あークソ、言い慣れねーとちょっと恥ずかしいなコノヤロー」
「…綺麗な女の子が好みなんダロ」
口からついて出た言葉は、多分キスされた直後の反応には適していない。
けれど、だってそれが根っこだったの思いだしたから。
「そりゃあ合コンはな。……あ、俺は行かねェから」
「マジでか」
思わず内心で胸を撫で下ろした。ほっとしたのは、どうしてだろう。…いや、本当は気づいてる。
「サド、今朝の私、最強に超絶綺麗だったダロ?」
沖田は一瞬目を逸らしたあと、私の眼鏡を手で覆った。視界が真っ暗になったなかで、響く声。
「教えてやんねー。悔しいから」
それは答えダロ。
こんなバカ相手に綺麗になろうとしてたなんてアホらしいアル。
そう言うと軽く頭を叩かれた。
視界を奪われる前の赤くなった顔と耳については触れないでおいてやろう。