神楽はリビングでお茶を入れていた。とぽとぽとお茶の落ちる音に耳を傾ける。外を見ると雨は止んでいない。


灰色の空を眺めて思う。
明日までに思い出さなかったら沖田はどうなるんだろう。銀時は引き取らないと言っていた。


真選組にいたとして、記憶を失った沖田は一瞬で殺られちゃうんじゃないだろうか。体が震えるのを感じた。

「あ、アイツ何買ってきたのかな」
紛らすように呟いて、お茶を居間に運び、不安を頭から振り落とした。
ソファに座って、袋を開ける。開けて、その手が止まった。というか思考ごと止まった。






袋の中に入っていたのは、大量の酢コンブ。
駄菓子屋に行ったときにも、酢コンブの話はしなかったのにどうして。






記憶はいまだに無くしたままのはずだ。
それでも、たとえ私の事は忘れていても、覚えていてくれたんだろうか。‘酢コンブ’という単語、それだけでも。
私に繋がる少しの欠片を。


嬉しくて、目から涙の粒が一つ、二つ、零れ落ちて溢れた。


思い出して欲しい。
そう、強く思った。
あの公園でただ対等な私は、もしかすると対等なだけじゃなくて、多少は記憶に残るほどの存在ではあったのだろうか。


「か、ぐら…?」

神楽は一度目を瞑って、沖田の声を脳裏に焼き付けた。最後になるかもしれない自分を呼ぶ優しく低い、落ち着かないのに落ち着く声。
ソファがギシ、と音を立てた。


「沖田」
袖でゆっくりと涙を拭ってその強く光る赤の瞳を見つめた。




神楽は小さく息を吸った。
「私は沖田が好きヨ」




沖田はそれが当然であるかのように即答した。
「俺も神楽が好きでさァ」
「…夢アルな。最っ高の」
「まるで、をつけ忘れてやすぜィ」
その言葉に、神楽は笑っただけだった。
またソファがギシ、と鳴る。それが神楽の耳に、やけにはっきりと届いた。

沖田が近付いてきて、神楽を抱き締めた。力が強くて正直痛い。けれど何も言わないし、自分から沖田の背中に手を回すこともしない。
ただただ、その腕の感触を、匂いを、体温を、自分の体に刻み込むだけで精一杯だったから。


「私は沖田が好きヨ。記憶を失う前から。対等な関係が崩れた私に、まだ利用価値はあるアルか?」
もう後戻りは出来ない。沖田の肩に顔をうずめた。
離れると思っていた肩は、より一層強く神楽を抱き締めた。
「記憶を失う前の俺も、多分神楽を好きだったと思いまさァ」
「…ありがと。沖田」
「なぁ神楽。どうして下の名前呼んでくれないんですかィ」
「呼んでほしかったら明日までに思い出すことアルな。思い出したあかつきには、呼んでやるアル。なんならちゅーしてやろうか?」
沖田はとたんにがばりと神楽を引き離した。
「マジでか!」
キラキラキラキラ。まるで餌を貰う前の子犬のように目を輝かせた。
胸がツキン、と痛む。
ゴメンネ。心のなかで呟いた。

「マジアル。でも、私はもう寝るネ。夜更かしは美容の大敵だからナ」
「わかりやした。おやすみなせィ」
神楽は一度だけ、沖田の胸に顔を埋めたあと、戸惑う気配を感じてゆっくり離れた。ふわり、と沖田の匂いが遠退く。
「おやすみ。沖田は左の部屋に布団強いてあるからそこで寝るといいネ」
言い終わるやいなやすぐに押し入れに入り襖を閉めた。


布団にくるまり丸くなる。私がついた嘘。


私は沖田の彼女じゃない。明日もし、沖田が思い出しても名前は呼べない。ちゅーもできない。


だって沖田はああ言ってくれていたけど、やっぱり記憶を失う前の沖田は自分を好きではなかったろうから。







神楽の耳に沖田が万事屋を出ていく音がして、何かがなんとなく今日で最後なんだなと思った。
不思議と涙はこぼれなかった。




***


神楽が押し入れに入るのを確認して、沖田は外へ出た。
ひゅう、と冷たい風が闇を吹き抜けている。
雨はいつの間にやら止んだらしい。
月が痛く寂しそうに、ぽつんと明るく輝いていた。



「沖田君」
「!あんたは…」
トントントン、と小気味良く階段を登る音が止む。
「記憶は戻ったか?」
万事屋の階段を登ってきたのは、神楽を彼女と言った白髪の男と、なんか地味な少年の二人だった。
目の前で見据えられたその探るような紅の瞳に思わずたじろいだ。
「まだらしいな」
「今日一日、神楽ちゃんに骨折られたりとかしませんでしたか?」
「神楽はんな事しやせんでしたよ。ずっと優しかったでさ。申し訳ないくらい」
「…神楽、ね。どーやら仲良くなってくれたようじゃねぇの」
銀時の含みのある言い方に、沖田は銀時を睨み付けた。


「彼女じゃなかったら、仲良くなっちゃいけねーんで?」「え、なんーー、」
「俺は神楽が好きでさァ」
新八の驚く声を沖田は遮った。
「別に悪かねーよ。そんなのは当事者の勝手だしな。…ほらよっ」
銀時は透明なビンをぽんっと投げた。それは短く弧を描いて沖田の手の内に収まる。「…これは?」
「記憶モドール」
少しの沈黙。


「……ふざけて、」「ねーよ!俺だってんなふざけた名前使いたくねェわコノヤロー!!」

バシンと新八の頭が叩かれた。
「痛っ!何で僕!?」
「新八の頭の位置が悪い」
「それどうしようもねぇだろうがァァアア!!」


銀時はひとつゴホンと咳払いをして、ビンの説明をした。
「まあ、名前で分かるだろうが記憶が戻る薬だ。とある筋から手に入れた。信用度は高ェから、まあ偽物んって事もねェ。」
「水もいらないらしいので、いまぐいっといっちゃっていいですよ。」
新八がそう付け足して、にっこりと笑った。


そっか、戻れるのか。
ん?……って事は…。
「神楽のちゅーゲーッツ!」
無意識にガッツポーズをした沖田は、ゴクンとその錠剤を飲み込んだ。
そして銀時の豆鉄砲食らったような顔を見て、







意識が暗転した。
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