記憶を失った沖田は、先程通った駄菓子屋で何かを買ってきてくれるという。
一度は悪いと断ったが、今日付き合ってもらったお礼だというので甘える事にした。


今にもそのバランスを崩して落ちてきそうな空を眺めながら、ベンチの右端に座って隣にいない沖田の事を考える。




雲よりも、こっちが先に零れそうだ。



『またお前かチャイナァ。ガキはさっさとお家に帰んな』
『あ?どく訳ねェだろ。どかせてみなァ』
『やるってかィ?最近のガキは喧嘩っぱやくて行けねェや。いや、女じゃなかったか?』
『…おい、どうした。ヤケに調子悪いじゃん。腐った酢コンブでも食った?』



『…今日はもう帰んな』



記憶を失う前日の会話を、一言一句も違わないよう辿っていく。

確かにあの日は調子が悪かった。
いや、正確には、女じゃなかったか?と言われた後から。
そしてそれを見抜かれて、調子が悪いと気づいた瞬間喧嘩を止めた。
多分、つまらないから。


強くない私には興味がない。
対等でない私には興味がない。
クソサド、次は覚えてろよ。そう吐き出したのは次もまた口喧嘩出来ると信じて疑わなかったから。


それなのに。


「神楽ちゃん?」
俯く頭上から、まだ低くなりきっていない尚の声がして、神楽は顔を上げた。
尚は神楽の横に腰かけた。
「どうしたの?なんか辛そうだよ。僕で良ければ相談にのるよ?あんまり役にはたたないかもしれないけど」
「べっ、別に何も…」
「言いたくないならさ、言わなくてもいいけど、言ったら、言っただけでも楽になる時ってあるよ?僕もよく、神楽ちゃんに話聞いて貰って楽しくなるから」
噛みほぐすようにゆっくりと尚は言った。


「…明日も、喧嘩出来ると思ってたネ」
ポツリ、と神楽は呟いた。
「うん」
誰に?と尚は聞かない。
それが凄くありがたかった。
両手をギュッと握りしめる。
「でも、違った」


好きだと気付いた途端怖くなった。
嫌われるのが。近づくのが。目を、合わせるのが。
宙ぶらりんになった感情だけが、行き場を失って胸の中でいつも戸惑っていた。


結局神楽は沖田の事と、今日の事を全て話していた。自分の気持ちも。
「嫌われてるのなんて当然だったアル。強い私だから興味を持ったんだって、分かってたアル。私だって最初はそうだったネ。だけど、なのに」
ポツリ、今度は言葉じゃなく涙が零れ出た。涙腺が限界を越えてしまったようだ。支離滅裂な今の言葉を理解しようとするような少しの間。
「神楽ちゃん。あのね」
尚が立ち上がり、神楽の頭を優しく撫でた。
「僕、詳しいことは分かんないけど。神楽ちゃんがそんなに大事に思ってる人なら、神楽ちゃんのこと、そんな風には思ってないと思うんだ」
その言葉に、涙が次から次へと溢れ出ていく。


「尚く…」
ありがとう、そう言おうとした言葉は遮られた。
「お前、神楽に何やってんでィ!」

片手に袋を持った沖田が、慌てたように駆け寄った。尚の手を神楽の頭から剥がした。その手付きに余裕はない。

「てめェ…」
「え、ちょっ、神楽ちゃ…」
「沖田!違うネ!ソイツは友達アル!」
「…友達?」
沖田はギロリと尚を睨んだ。尚は困ったような顔をして頷く。
「神楽ちゃん、今日は帰るね」
「お、おう。今日はありがとアル!」
「おい、まだ話は…」
「じゃあな!」
慌てて沖田の袖を掴んだ。早く帰ったほうがいいと目配せすると、通じたのか尚は走って公園からいなくなった。




掴んでいた袖を離そうとして手首を掴まれた。
そのまま真上に引っ張られて、抱きしめられる。
袋が地面に落ちた。


「な、おき…」
「なんで、泣くんでさァ」
「………離せヨ」
「嫌、でさ」


きっと沖田の服は濡れてしまった。だって、


灰色の空からまるで同調したように、大きな雫が連続して降りだしたから。
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