蒼黒の狩人―死―
ただ純粋に、死にたいと思った。
と言うより、生きたいと思えなくなったという方が正しいのか。
両親を早くに亡くし、頼りにしていた姉も義兄と共に海外に行ってしまって、挙げ句に尊敬していた師も転勤で遠くに行ってしまった。
一人にされた僕は彼女にも見放され、そして来る就職難の波にも飲まれて人生を嘆き、いっそ何も感じなければいいと海に飛び込んで、今に至る。
これで死ねる…。
口の中に入り込んできた大量の海水を体内に収めたせいで苦しくなったと同時にそう思って、意識も段々と朦朧として前後がわからなくなる。
暗闇から無に変わる瞬間を境に、気がついた時には僕は元の場所に戻っていた。
元の、海に飛び込む寸前の場所に。
「…な、んで…?」
呆然と飛び込んだ筈の海を見つめて呟く。
髪も身体も濡れているのに、息も苦しくないし意識もはっきりしている。
「…どうなってんの…」
「…死ぬのか」
「うわぁっ!?」
独り言だった筈なのに、突然背後から気配もなく知らない声が聴こえて心底驚いた。
見れば、黒い和服に身を包んだ小柄な男の人がじっと僕を見ている。
「だ、誰!?」
「…死神だ」
「死神!?」
「…そうだ」
どう見ても侍にしか見えない日本刀を手にしたその人は、慌てる僕とは対照的に落ち着いた様子で頷く。
て言うか、そもそも死神って何なんだ。
「死神なんて、何の冗談…」
「自ら死のうとしていたお前の魂に呼応してここに来た。俺の姿は、お前にしか見えない」
「ははっ、そんな馬鹿な…。変な冗談止めてよね」
確かにその異様な落ち着きと黒衣の様相、全体的に生気の無い雰囲気が如何にも死神然としていると言えなくもないけれど、そんなお伽噺誰が信じるというのか。
けれど僕の嘲るような眼差しを受けても、その死神さんに特に変わりはなかった。
「信じなくても別に構わない。ただ俺はお前に問いたくてここに来たのだからな」
「問う?」
「あぁ。…どうして死ぬ?その必要はないように思うのだが」
「…な」
一体僕の何を知っているのか知らないが、彼は見事に僕の地雷を踏んでくれた。
必要性なんて大いにあるじゃないか。
「今の僕には何もないんだよ!全部失って、これから生きていく術だってなくなったのに、これ以上生きていたってしょうがないじゃないか!大体、君に何がわかるっていうのさ!?今初めて会った君に!!」
自分でも驚く程の怒声で詰め寄ってみても、彼は相変わらずだった。
静かな蒼の瞳で、僕を真っ直ぐ見ている。
「初めてであっても、俺にはお前の歴史や置かれた状況など全て見える。…お前は意外に諦めが早いのだな」
「はぁ!?」
「どうしてそれで全てだと言える?まだ見えないところに、何かが残っているかもしれないとは思わないのか。それすらも、たった一度の安易な決断で失うつもりか?」
見えないところに隠れている何かなんて、そんなものを支えに生きられる程僕は強くない。
それに死ぬことだって僕なりに真剣に考えて出した結論で、決して安易に出したものなんかじゃない。
そうは思っても、何故か口には出せないでいる。
「死ぬことはいつだって出来る。世の中には、生きていたくても出来ずに消えていく命もあるのだぞ」
「…そんな、お決まりな台詞…。僕は、それでも生きるのが辛いんだよ…」
ただ逃げているのだと、言われなくても自分でわかっている。
だからこそ、つつかれて余計に腹が立った。
「ならば、暫くの間。お前に時間を与えてやろう。先程死ぬ筈だった運命は今、俺の手の内にある。与える猶予の間に、改めて冷えた頭で考えてみろ。…本当に、死ぬべきか否か」
見極めろ、そう言われても僕は素直に頷けなかった。
だって本当に、本気で死ぬつもりだったんだから。
「…猶予って、どれくらい?」
「一年」
「長くない?」
「そうか?短いと言われると予想していたが…」
無理矢理与えられた一年の間に、果たして僕の意志が変わる日が来るというのだろうか。
とてもそんな風には思えないまま、僕の生と死の狭間の一年間が開始された。
―――
前に言ってたやつです。
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