喫茶・誠屋にてA
目の前に倒れている存在に、俺は息を飲んだ。
どこをどう見ても、人間…二十才前後の男の子だろうか。
外に出ていた暫くの間に、まさか自分の店の前に人が倒れているなんて予想だにしていなかった為、一瞬状況の判断が出来なかった。
「…って、こんな突っ立ってる場合じゃないな!おい君っ、しっかりしないか!」
「…う、うぅ…」
意識は無さそうなものの呼吸も脈も何とか出来ているようなので、とりあえずは中で休ませてやろうと身体を抱えてみて…驚いた。
体格は細くもなく太くもなく、背も年相応だろうが…如何せん、軽すぎた。
「…まさか、何も食べていないのでは…」
栄養失調で倒れたのだというなら、辻褄が合うような気がする。
店内に入ってすぐにカウンター席に座らせて、身体を前屈みになるようにしてカウンター上にうつ伏せられるようにしてやる。
とにかくは水でも飲ませてやろうと、急いで調理場に向かい蛇口を捻った。
「いきなり食べさせても、胃が驚いてしまう…と聞くしな…」
コップを持って戻り、溢しながらも何とか水を飲ませてやりながら、さてどうしたものかと悩んでしまう。
こういう時、頼りになりそうなのは…と思い浮かんだのは、二人。
一人はかねてからの親友。
役者とも思える容姿を持ち、頭もよく回るあいつなら頼りになるのはもちろんだろうが、しかしこの現状に対して苦言を呈してくるのも容易に想像できた。
俺を思ってくれるからこその言葉であるのはわかるし有難いと思うが、しかし今にも死んでしまうかもしれない子供を見捨てるなど俺には出来ない。
あいつも元来は優しいし面倒見のいい性格だから、逆の立場であればきっと同じことをするだろうに俺がやると一転、何を考えているんだとまるで親のように言ってくる。
その点は、もう一人も同じなのだが…。
しかし彼の場合は、職業が医者である分少しはわかってくれるかもしれない。
そう思い立ち、眼鏡をかけた優しい笑みを常に持つ旧友に連絡を取ることにした。
「近藤さん…。こう言っては何ですが、拾い癖は直した方がいいですよ」
診察を終えた医師…山南敬助君の第一声は、やはり予想していたものだった。
「…し、しかしなぁ…」
「とりあえず栄養失調と言うよりは衰弱している、と言った方がいいかもしれませんね。ご飯は少しずつ、胃に優しいものであれば食べても構いませんが」
「そうか!」
俺がこの手の話を素直に聞けない男であることを、付き合いの長い彼は知っている。
呆れたような溜め息を溢して俺を見つめてくるが、彼の診断結果を聞いて早速お粥を作り出した俺にもう何も言わなかった。
代わりに、出来上がったものを運んでいる間にちらと様子を見れば、何やらカードみたいなものを覗いている。
卓上には、見慣れない財布が置いてあった。
「…山南君、財布を変えたのか」
「いいえ?これは彼のですよ」
「そうか…って、えっ!!?」
彼の、と指し示す指先の向こうには、ぐったりと寝込む男の子。
よく見ると、山南君の持っているカードは保険証のようだった。
「彼の名は、井吹龍之介…というようですね」
「いや、さささ山南君!窃盗は良くないぞ!」
「そうは言っても、私も一応は医者の端くれですからねぇ。保険証でも確認させて貰わないと…。それに、窃盗と言っても財布の中身はこの保険証しかありませんよ」
そんなことをしれっと言わないで欲しい。
内心焦りながら、とにかく早くご飯を食べさせてやろうと彼の身体を揺さぶって起こしにかかる。
「おい、起きんか。粥を作ったから食べなさい」
「…か、ゆ…?」
微かな身動ぎと共に気だるげに目を開けた彼は、目前に置かれた湯気の立つ器を見た瞬間、ガバッと音がするほど勢いよく起き上がって食べ始めた。
「おいおい、そんなに焦って食べたら危ないぞ」
言ったところで止まりそうもなく、実際そうだった。
温度だけは火傷しない程度に見ておいて良かったと内心安堵していると、あっという間に平らげた彼は御馳走様と呟いてそれから…泣いた。
「え…!?あ、ちょ…何を泣いてるんだ、君…!?」
「いや、何て言うか…こんな美味いもんがっ…世の中にあるんだなっ、て…」
「君…」
何と健気な子だろうか、飯を食べて涙を流す姿を初めて見た俺は、逆に感動して鼻がツンとした。
それを傍らで黙って見ていた山南君は、急にふぅと溜め息を洩らして近藤さんと呼ぶ。
「絆されてどうするんですか」
大人しく静かな物言いに含まれる、凛と諭すような声音。
優しく言われているのに、責められているのが俺ですらわかるのだから、他人である彼にはもっと刺があるように伝わっているだろう。
「井吹君…と言いましたね。何があったかは知りませんが、これからは気をつけて暮らして下さいね」
「な…山南君!」
突き放すように一蹴してしまう山南君に、もっと他に言いようがあるだろうと慌てる。
明らかに困っているだろう相手を切り捨てるその言葉を聞いて、彼は当たり前だと頷いた。
「助かった、本当に。有難うございました」
「待ちなさい。…君、行く宛はあるのか?」
「…近藤さん」
いくら山南君が俺を心配してくれていたのだとしても、俺だって彼が心配だ。
身形はぼろぼろで炉銀もなし。
ごはんの一つも食べられない状況で、帰る家があるとはとても思えない。
保険証があるということは、つい最近まで働いてはいたのかもしれないが…。
「山南君、俺は彼が悪い人間だとは思えないよ」
「…近藤さん…。知りませんよ、私は」
一応、止めましたからね。
そう言った彼は多分、帰ってすぐに俺たちのもう一人の親友に話をするだろう。
後できっと、電話が来るに違いない。
「…あんた、お人好しだな…」
そして何故か、彼…井吹君にまで心配そうな眼差しで呟かれてしまった。
「それはよく言われるなぁ。それで、どうなんだ。良ければ、少しの間ここにいないか?」
「…そりゃ、無いには無いんだが…。本当にいいのか?」
「もちろんだとも!」
こうして、俺は井吹龍之介という若者を受け入れた。
―――
土方さんはまた別の機会に。
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