喫茶・誠屋にてO

正直、今のこの状況に俺は程々困っていた。

店の中には俺の他に二人。

俺がアルバイトとして雇い、住み込みで手伝ってくれている井吹龍之介君。

そして、最近ここに顔を出してくれている常連の斎藤一君の、二人。

ただこれだけの構図なら、別段よくある話だ。

お客さんだって一人しかいないこと自体も、特に珍しいことではない。

そんなんで経営上問題は無いのかと問われれば全く無い訳では無いのだが、それでも諸々の理由で金銭面には特に不自由を感じる事も無いので、それはそれで良かった。

それよりも問題なのは、今のこの店の中の雰囲気だった。

何と言うか、切羽詰まっているような…危機迫ったような感覚を持たされる、そういう空気。

だからと言って、二人が喧嘩をしたり仲違いをしていたりする訳でもない。

この空気を発しているのは見たところ斎藤君一方で、片や井吹君は自分に向けられるその圧迫感に引き気味と言うか、押されている。

店に入ってきた瞬間からそんな調子で、清掃をしていた井吹君を自分の目の前に座らせたかと思いきや、それからと言うものその雰囲気を纏ったまま一言も喋っていない。

いったい何があったのかとハラハラしながら、手に持っているグラスを布巾で拭いつつ見守っていると、遂に堪えかねたのか井吹君の方から沈黙を破った。

「…なぁ、話って何だよ」

「う…あ、あぁ…。…み…」

「み?」

み、って何だ。

み、から始まるものって…なんてグルグル考えを巡らせてみても思い付かず、しかしその答えはすぐにもたらされた。

「…み、水を飲んでも構わないか…」

「は?あ、あぁ…そりゃ構わないけど…」

どうやら相当に喉が渇いていたらしい。

許可を貰う程の内容ではないのだが、それを得た上で卓上のコップに口を付けたかと思えば、それはもう結構な勢いで喉が動いた。

そして一気に飲み干してコップを置き直した時、覚悟でも決まったような改まった顔つきで射抜くように蒼の瞳を井吹君に宛て、口を開いた。

「…お前に伝えて置きたいことがある」

前置きに井吹君は返事をしない。

斎藤君からの視線をただ黙って受け止めながら、言葉の先を待っているように見えた。

「俺は…俺は、お前に好意を抱いている」

「…ん?あ、そう…」

「あぁ。それで…お前は、俺のことをどう思っているかと思って…」

「そりゃ…ちょっと変な奴かなとは思ってるけど、少なくとも嫌いじゃない…と思うけど」

然り気無く正直な本音が洩らされているようにも思えたが、その変な…の部分は基本的に井吹君にしか向けられていない為、残念ながら彼の感覚がそう感じているのは仕方がない。

寧ろ嫌いじゃないと言える分だけ良かったと言えるのかもしれない。

斎藤君が本当に、悪い子じゃないから余計に。

「…そうか。ならばそれは、お前も俺と同じ気持ちであると解釈しても構わないということだろうか」

「…あんたと同じって…」

「好いている、と言っただろう?」

「…まさか」

斎藤君の目は真剣そのものだ。

彼の言う『好き』が、嘘偽りの無いものだということはその目を見れば俺にだってわかった。

そして当然、井吹君にだってそれは伝わっているはず。

「井吹。…土方さんと俺、どちらが好きだ?」

「…はぁ?どっちがって…しかも土方さんって何だよ!」

「土方さんとは、本当に何も無いのか?出来ればちゃんと、俺はお前にも同じ気持ちでいて欲しい」

「………」

井吹君の顔色が真っ青になっていることを、果たして斎藤君は気づいているのだろうか。

何が何だかわからないことだらけだったが、とにかく今の井吹君をそのまま放っておく訳にもいかず、慌てて間に入った。

「い、井吹君。そろそろ買い出しに行ってきてくれないか」

「え!あ、あぁ…もうそんな時間か…」

「…む。ならば俺も…」

「い!?い、いやいや斎藤君。君には試作品の味見を頼みたいんだが…」

立ち上がった井吹君に次いで腰を上げかけた斎藤君を必死に引き留め、有りもしないレシピを盾に半ば強引に座り直させる。

不服そうに見返されたが、最早そんなことを気にしている余裕は無かった。

フラフラと店から出ていく井吹君の後ろ姿を見送りながら、そっと溜め息を溢した。

「…斎藤君。一体どうしたんだ…?何故井吹君にだけあんな…」

「…?それは先程井吹に話した通りですが」

「さっきの…ってことは、好きだの何だのという話か」

「はい」

大きく頷く彼の顔は何度見てもやっぱり至極真面目そのもので、どうしたものかと顎を擦りながら考えた。

多分だが、さっきの話から察するに彼が言う『好き』の言葉は、きっと俺が井吹君や他の皆に対して扱うものとは種類が違うんだろう。

トシや総司なんかにはよく鈍いだなんて言われている俺だったが、そんな俺にでもわかるんだから相当なものだ。

しかも挙げ句、混乱と困惑を抱えた俺に斎藤君は容赦なく仕掛けてきた。

「…そう言えば、近藤さんは井吹の後見人のようなものでしたね。ならば…どうか井吹のこと、俺に委ねては頂けないでしょうか」

「いや…それは」

やっぱりそういうことだったらしい。

確かに後見人と言えばそういう立場なのかもしれないが、まさかそんな申し込みをされるなんて思ってもみなかった。

大体、本人があんな調子だというのに俺が何か言える筈がない。

「井吹君、次第だなぁ…。ま、まぁ、程々にして欲しいとは思うんだが…」

「かしこまりました」

これは暫く、井吹君から目が離せなさそうだともう一度、さっきよりも大きな溜め息を吐いた。



―――

はじめ君、始動。


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