桜花、散り逝くまでにW


苦しくて、息が出来ない。

もがいても手のひらを掠めるものなんてなくて、無情にも全身を包む水が形なくそこにあるだけ。

溺れるのかな、と考えて初めて、死を意識した。

死ぬなんて嫌だ。

まだ何にも解決しちゃいない。

仕事も、プライベートも。

原田や風間にも、ちゃんと挨拶しなけりゃ別れられないじゃねぇか。

一応、親友だからな。





…親友。

そう思っていたのは、もしかしたら俺だけだったのか。

そう疑いたくなる光景が、今目の前に広がっていた。

見覚えのある、赤毛の男が鼻息荒く俺の上に乗っかり、あまつさえこの俺にキスを仕掛けている。

困ったのはそのキスはやたらに巧く、男らしく情熱的だということ。

俺だって男だから、性には逆らえない。

こんな風にされたら、あっという間に身体だって熱くなっていく。

まさか自分が、水以外で溺れる日が来るなんて。

息が出来ないのも当たり前だった。

「ひ…じかたさ、ん」

合間にもたらされた呟きが、俺を現実に戻す。

再び開いた目蓋の先、視界に映ったのは当たり前だが俺のよく知る男に変わりはなかった。

「…原田」

俺に向けているその瞳の色は、決して親友に向けるべきものではない。





どうやら同窓会で飲み過ぎたらしく、酔っ払った俺を送り届けたその男は、最終的にはそのまま送り狼になったらしい。

自分がなるならまだしも、まさかされる側になるとは思わなかった。

全く想像していなかった現実に、整理のつかない頭でやれることと言えば、目の前で床に正座している原田を睨むことだけだった。

「…俺にとっては、あんたは据え膳だった」

「………」

「今更だが…好きだったんだ、ずっと」

「………」

「それでも…悪かった」

原田の良いところは、こうやって素直に頭を下げることだ。

とは言え、されたところで今の俺にはどうにも出来ない。

好きって、何だ。

「ずっと…?」

「…あぁ。多分、初めて逢った時から」

新たな口説き文句でも開発しやがったのか。

しかしそれを男の俺にやってみたところで、何の効き目もない。

効く、筈がない。

「…俺は男だ」

「わかってる」

「なら何で」

「…男とか、関係ねぇんだよ!学生時代から、あんたしか見えなかった!自分でも色々考えたけど、常に頭に浮かぶのはあんたしかいなかったんだよ!」

何故か逆ギレされたような感覚に襲われ、コイツがこんな風に感情をぶつけてくるなんて珍しいなと思った。

俺自身、今までの相手が全部女だったということもあるが、こんな風に情熱的に口説かれたことなんて経験したことが無かったから、対応に困るというのが正直な今の気持ちだ。

しかもそれが原田相手であることが、大きな問題でもある。

「…俺は、この関係を壊したくないし、壊すつもりもない」

唯一導き出せる答えはそれだけで、しかし俺にとっては何よりも重要なものだった。

風間も、原田も。

ここから先失うことだけは許せない。

「俺だって、壊したくねぇよ。だから今まで、ずっと言えなかった。失うくらいなら、気持ちを封じた方が良かったから」

「なら、何でこんなこと…」

原田が進まなければ、俺は知らずに済んだ。

こんな気持ちになることも、無かった。

人間の感情なんて、とても儘ならないことをちゃんと理解していた筈だった。

それなのに、こうして詮ないことでやさぐれる。

きっと誰も悪くはない。

けれどそれでも、俺は原田を責めずにはいられなかった。

それくらい、俺には大切なものだったから。

「…すまない。すまない…」

ひたすらに謝り続けるこの男のこんな情けない姿を、出来るなら見たくは無かった。

嫌いと一喝出来たなら、どんなに楽だったか。

今初めて俺は、今夜の飲み会に参加したことを心底後悔した。



―――

ちょっとだけ短めに。


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