コスモ―初恋―


あれから散々考えた。

でも、まだ自分を見失ったままだ。

「沖田」

夕暮れの教室には、生徒ももう数えられるほどしか残っていない。

今日もばっちり古典だけを遅れて出席した僕だったが、土方先生の都合が悪いらしくテキストだけを渡されて見逃された。

そのテキストをやらないという選択肢を選ぶことは、残念ながら出来ない。

自分でも不思議だったけど、何故かやらなければならないと思ってしまうのだ。

とはいえ国語も古典も別段苦手ではなかったから、そんなものはものの数十分で終わらせることができた。

けれどそのままあっさりと帰宅する気にもなれないまま、こうして放課後の校庭を何とはなしに眺めていた時、最近知った同級生の一人が僕を呼んだ。

「…え、と…」

「…斎藤だ」

若干苛つきを滲ませた声音で名乗るのは、いつまで経っても僕が名前を覚えられないから。

顔を覚えるのは人並みにできたものの、名前と一致させるのが昔から苦手だった。

(そういえば…)

その割りに、土方先生の名前は一発で覚えられた。

顔も名前も次に会った時には迷いもなくわかっていたし、むしろその前から直ぐに想像も出来た。

(興味の問題かな…)

目の前の存在に大層失礼極まりないことを考えている自覚はあったけど、そういう人間なんだから仕方がない。

斎藤君…って子が、呼んだにも関わらず途中で考えごとをしはじめた僕に、さっきよりさらに不機嫌そうにおい、と声を上げた。

「…お前、何故古典にだけ遅刻をする」

「そりゃ、起きれないからだよ?」

「…本当にそれだけか?他の授業ではちゃんと間に合っているではないか」

「…それは…」

目付き鋭く告げられたのは、もっともな指摘。

けれど、こんなよく知らない相手に言葉で負ける気なんて最初からない。

「そんなの、土方先生を困らせたいからに決まってるじゃない」

混乱している内側なんて絶対見せてやらない、そう思って仮面をかぶって見返してやる。

そんな僕の態度に、斎藤君の苛々は遂に最高潮に達したらしい。

ダン、と机に手を置いて本格的にキレはじめた。

「何故先生を困らせようとする…!あの人に迷惑ばかりかけて、何がそんなに楽しいと言うのだ!?いい加減、小学生みたいなことをするのは慎め」

「何でそんなこと君に言われなくちゃならないのかな。僕は別に、君には迷惑かけてないんだから関係ないでしょ」

僕の人生で殆ど経験したことがなかった言い争いを、まさかこんなところでする羽目になるとは夢にも思ったことはなかった。

彼も見た目は大人しそうな子なのに、芯が強いのか正義感が強いのか…実はただ頭が悪いのか、何で僕みたいなやつに突っかかってくるのか。

変なやつだ…なんて沸騰した頭の中の意外にも冷静な部分が考え出した時、ふと以前先生が僕に向けて呟いた言葉を思い出す。

(…僕は、あの人にこんな風に思われていたのか…)



そう考えたら、何だか急に可笑しくなってきた。



「…ぷ」

「…?」

「あははっ…」

突然笑いだした僕に呆気に取られたような斎藤君は、さっきまでの怖い顔はどこへやら。

ひどく困惑気に、視線をさ迷わせている。

「…ご、ごめんごめん。何かさ、ちょっとどうでもよくなってきて」

「どうでもよくはないだろう…。真面目な話をしているのに…」

「そうだね。でも…」

嫌だと思ったのだ。

あの人に、そんな簡単で他人行儀な位置に僕を置いて欲しくなかった。

「…君のおかげで答えがわかったんだ。そしたらちょっとすっきりした」

あの人の、もっと特別になりたい…そう思うこの気持ちを。

「僕はね、斎藤君。ただ近づきたかっただけなんだよ」

「…何だ、それは」

「多分これは…」





多分これは、一目惚れ。

相手をして欲しくて、もっとこっちを見て欲しくて…確かに斎藤君の言う通り、僕は小学生みたいなやつだ。

でも、それでも振り返ってくれるまで僕は小石を投げ続ける。

(…土方先生…。土方、さん…)

恋なんて、自分には関係ないと思ってきたのに。

自分の中のそれに気づいた瞬間、一気に弾けたように身体中が心地よく痺れた。

その心地よさはある意味、甘い毒。

けれど僕はそれを捨てる気にはならないし、むしろさらに育んでいきたいと思ってすらいる。

明日からあの人とどんな顔をして会えばいいのか、そんなことを考えている自分が可笑しくてちょっと切なくて。

それでも僕は初めて知った、自分の内側にあったそれをひどく愛しく感じた。



大切な、この想いをどうしよう。



この宿題の提出期限は、明日の放課後だった。



―――

そして、斎藤君は置いてきぼり。



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