コスモ―逝く―

それは、土方さんが恐らく最後になるだろう学校に行った翌日の朝ことだった。





起きたばかりの僕は、土方さんに挨拶をしようとして…出来なかった。

「…土方さん?」

一見すれば普通に寝ているだけにしか見えなかったけど、その日は何故か胸騒ぎがした。

昨日の今日というのもあったのかもしれない。

目を瞑り、口を閉じて仰向けになっているその姿が、まるで死んでいるように見えた。

「土方さん…!土方さん!」

慌てて身体を揺さぶってもやっぱり返事も何もなくて、頭が真っ白になってどうしたらいいかわからなくなった。

「嫌だ、嫌だよ…!土方さん!」

一気に涙が溢れて止まらなくなった。

まだ別れに何の準備もしてないのに。

言いたいことも聞きたいことも沢山あるのに。

「そうだ、救急車」

触れた身体にはまだ温もりが残っている。

呼吸はわからないし、焦っているから脈なんて当然測れない。

それでも何とか震える手と声で119に連絡を入れた。

「…お願い、まだ逝かないで…!」

せめて僕をもう一度、その瞳で見つめて欲しい。





救急車で、人工呼吸器を付けられた土方さんと一緒に病院に運ばれた。

集中治療室から出てくるのをひたすらに待って、一番最初に現れた医者に何とかして助けて欲しいと頼み、告げられたのは『難しい』だった。



今の土方さんの状態は、危篤と言うらしい。

家族や友人を呼んで、最期の挨拶を…。

そう言われた瞬間、僕は目の前が真っ暗になった。

この世で一番大切な人が、もうすぐいなくなる。

僕の手の届かないところに行ってしまう。

動かない身体を捨てて、見えない魂一つで僕の知らない世界へ。





ふらふらになりながら、土方さんの眠るベッドに近づいた。

誰かに連絡なんて取る余裕は今の僕にはなくて、とりあえず看護婦さんに頼んで土方さんの携帯に入っている家族と僕の知っている人の連絡先を伝えて、代わりに連絡をしてもらっている。

病床で眠り続ける土方さんは相変わらず機械に繋がれて、白い肌の色と真っ白なシーツや病室内の壁の白さがどこか曖昧だった。

「…土方さん…」

手を握っても指先は冷たくて、土方さんはもう『生かされている』のだと気づかされた。

痛みも何もかも感じなくて、僕の声も聴こえなくて…。

「土方さん…!ねぇ、土方さん!」

いても立ってもいられなかった。

こんなに呼んでも、土方さんは応えてくれない。

「何が挨拶だよ…!こんなんじゃ、何も話せないじゃない…」

こんなんだったら、昨夜ちゃんと言っておいて欲しかった。

もう二度と、言葉を交わせないんだよ…と。

何もかもぐちゃぐちゃにしたい衝動に駆られる。

全ての白が、僕を苦しめる。

土方さんを、僕から奪い去っていく。

けれどそのすぐ後には、何もやる気が起きなくなった。

「…土方さん…。僕は…どうしたらいいの…?」

握った手だけは離さずにいて、それだけが僕たちに残された最後の繋がり。

そう思ったら、何とか今生に引き留めておきたくて離せなくなってしまった。



力が入る僕の手と、力が入らない土方さんの手の温度差が激しくなった頃。

その手が、僅かに動いたように感じた。

「土方さん…!?」

ピクリと動いた目蓋が、微かに開く。

そして視線がさ迷った後、やがて僕を捉えた。

「…そ、じ…」

消えるか消えないかの吐息のような小さな声は、それでも僕にはよく聴こえた。

綺麗な紫色が真っ直ぐに僕を見つめてくれていることが素直に嬉しくて、涙を拭うことも忘れて身体に抱きつく。

それでもその身体からは、人としての体温はもう感じることが出来なくなっていた。

「土方さん…」

「総司…ごめんな。謝るな、って…原田には言われたが…。それでも、一緒にいられなくて…ごめん」

息も絶え絶えに、それでも真摯に伝えようとしてくれているその姿を、僕は必死になって目に焼きつけようとする。

この際、ごめんでも何でもいい。

土方さんの『最期の声』を聴けるなら。

「でもな…ちゃんと、傍に…いるから。お前が頑張ってる姿も見てるし、お前が笑ったり泣いたりするのも…見てる」

「うん。…うん!」

「だから、サボるなよ…生きることを」

最後のはちょっと土方さんらしくて、少し笑ってしまった。

「もちろん、ですよ…。僕は、あなたみたいな先生になるんだから…」

「…あぁ」

終わりの時間が近づいている。

徐々に静かになっていく室内といやに冷めた温度が、まるで初めからここには僕一人しかいなかったみたいに、土方さんの気配を消していく。

伝えたいこと、伝えなければいけないことをちゃんと告げる為に、人工呼吸器を外した。

「…ありがとう、土方さん…。あなたと出逢えて良かった…」

最期に触れた唇は、離した後には綺麗に弧を描いていて、それだけで僕は満足だった。



静かだった室内に、無機質な機械の音が僕らの別れの時を告げる。



そうして部屋に残されたのは、僕一人だけになった。




―――

とうとう


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