コスモ―始まり―
僕が人生初めて恋人にした男の人は、所謂才色兼備でみんなに人気がある。
嫌だ怖い面倒臭いと口にするものの、他の教師に対して言うような嫌いやらキモいやらウザいという言葉は出てこない。
しかも土方さん…先生にだけは何だかんだで従順で、みんな真面目な顔をする。
そういうところからも、先生が慕われていることがわかる。
今日も、僕を含めたみんなが先生の方を向いて真面目な振りをして授業を受けている。
そんな先生を恋人に出来たことは僕にとって幸せなことだと思うし、誇りでもあった。
この中で僕だけが先生のことを知っているし、先生を一番良く見ている自信がある。
だから気づいてしまったのかもしれない…先生に起きた、ほんの些細な変化に。
その日最初に先生を見たのは、朝のホームルームだった。
付き合いだしてからは真面目に登校を続けていた僕は、むしろ朝から先生の顔を見ることが出来て嬉しいとさえ思っていた。
「先生、お早うございまーす」
「…ん、あぁ…お早う」
予鈴が鳴って暫くしてから現れた先生は、遠目で見ても明らかに顔色が悪い。
しかも痛みでもあるのか、顔をしかめて頻りにお腹をさすっていた。
「…はぁ。それじゃあ…ホームルームを始める」
聞き慣れたその声にいつもの張りはなく、常ならあり得ない溜め息まで洩らしている。
今まで一度だって見たことがない姿に心配で仕方がなかったが、みんながいるこの状況で突っ込んで訊くことは憚られ、後でじっくり話を訊かせて貰おうとここはぐっと堪えた。
そんな訳でそれから何時間も後、例の如く準備室にやってきた僕は出来る限り普通を装って、土方先生に尋ねた。
「そう言えば、お腹でも痛いんですか?」
「…何だよ突然…。まぁ、朝起きてから暫くは痛かったんだが、昼過ぎてからは治まった。心配すんな」
「…そっか」
それなら良かったと無意識に身体に入っていた力を抜いて、定位置になった椅子に腰かける。
程なくして、嫌な予感がしたからといって過剰な心配をしてしまった自分が、無性に恥ずかしくなってしまった。
当然先生も、ニヤニヤしてこっちを見ている。
「…意外だな。お前がそんな心配性だと思わなかったよ」
「よ、良かったじゃないですか。僕のこと、また一つわかったでしょ?」
「…ま、そうだな」
からかう気は収まったのか、浮かべていたイヤらしい笑いはもう引っ込んでいた。
何とか逃れられたとほっとしてやっとまともに見られた先生の顔色は、それでも少し悪いように見える。
「…でも、やっぱり病院には行った方がいいですよ」
何故か、大丈夫だと言う先生の言葉が強がりに聞こえて、完全には安心できない。
だから言わずにはいられなかった。
そんな僕に、よほどびっくりしたのだろうか先生は瞠目して瞬きを繰り返している。
「…どうしたんだよ、本当に。胃が痛くなるのは誰にだってあるだろ」
そうかもしれない。
けれど大切なものを失いたくないと思うのだって、誰だって同じはずだ。
特に、一度失った経験のある人間はきっと人一倍。
こんな機会でもなければ話すこともないと、大人の振りをしたり無関心を装う僕じゃなく、『本当の僕』のことを伝える。
「…僕、昔は身体弱かったから…。持病を拗らせて入院したこともたまにあったんだ」
「……あぶねぇ病気だったのか」
「ううん、ただの喘息。…だけどね」
一呼吸を入れて、続ける。
ふと気になって見れば、先生は真剣な顔で僕を見つめ返してくれていた。
「同じ病棟で仲良くなる子が、そのうちみんな逢えなくなるんだ。みんな僕よりずっと辛くて苦しい病気を抱えていて、退院したら遊ぼうって約束するんだけど…結局駄目で」
「………」
「…調子のいい日に病室に遊びに行くと、その子のお母さんとかお父さんとかが寝ているその子の傍で泣いてるんだよ。…その時、わかるんだ。あぁ、もう逢えないんだって」
思えば、僕があんまり人と関わるのを止めた理由はそこにあるのかもしれない。
仲良くなって、約束をしても叶えられることもない。
みんな、僕を置いて勝手にいなくなってしまう。
だったら最初からいなければ、失うことも怖くなくなるから。
「だから、もしかして先生もそうなっちゃうんじゃないかって…」
「…総司…」
みんないらないと張っていた虚勢の中で、先生だけは欲しいと思った。
どうしても気になって、興味が恋に変わって、過去なんか忘れて夢中で隣にいることを望んだ。
「…はは、今になって…怖くなってきちゃった。今が幸せで…」
「総司」
「…先生…?」
思いの外はっきりした声音で呼ばれ、驚いて言葉を止める。
「今度の休み、ちゃんと医者に行ってくるよ」
「…うん」
先程とは違う、全てを包み込むような優しくて暖かい笑みで僕を安心させてくれる。
きっと、きっと大丈夫。
何ともない、きっとちょっと胃が荒れているだけ。
だから今度胃に優しいものでも作って、それから先生の部屋でゆっくり過ごそう。
家事なんか手伝ってあげるのもいいな。
必死に自分に言い聞かせて、僕は潤んできてしまった涙を見られたくなくて擦っていた。
その間に、先生がどんな顔をしていたのかも知らずに。
―――
悪夢の始まり。
若い時は自覚したら終わりだよね。
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