金襴紫蘇
「名前がいないアル」
彼女に猫を捕まえて貰ってからのこの三日間、神楽がこの台詞を外に出て帰って来ては言う。
コイツ毎日会いに行ってんのか?と銀時が呆れたように神楽を見つめた。
ソファの上で体操座りをしながら神楽が少し心配そうに眉をひそめる。
神楽に聞けばどうやら店にも来ていないようだ。
「お子さまが按摩店なんて10年早えーんだよ
むしろ肩たたき券を配布する側に回れ」
「お店の中まで行ってないネ。
名前がいる時は比較的お店は繁盛してるアル。でも居ないときはお客さん殆どいないネ」
つまりそのお客さんいない状態が三日続いていると。
たしかに彼女は腕が良い。
せっかく金を出すなら腕の良い人間にしてもらいたいというのは仕方ない事だ。
どうせ休みでもとってるんだろう、そこまで気にすることはないと神楽に言えばじとりと銀時を見つめる。
「名前は目が弱いネ!心配アル!
もしかして何かあったかもしれないヨ!銀ちゃん!」
「そもそも何かあっても店長のジジイがいるから大丈夫ですぅ」
「あの爺さん何かあっても足が悪いから名前の家には行けないどうしようって言ってたネ」
「お前店ん中まで行ってんじゃねーか!なにシレッと嘘ついてんだ!
遊び感覚で行くのやめてくんない!?俺の教育が疑われちゃうから!」
「行ってねーアル!!
ビルの外から大声で会話してるだけヨ!!!」
「それ多方面にも迷惑かけてんだろうが!!周りの人うるせー事この上ねーよ!!」
神楽にひと通り注意して、社長椅子に座りなおす。
神楽は尚も銀時をじとりと見つめている。
こちらとて慈善事業ではないのだ、余程の事が無い限り動きたくはない。
神楽の目線が痛い。
どんな風に言われようが見られようが銀時は動くつもりはない。
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「…………」
動くつもりは無かった。
銀時のいる場所はあの按摩店があるビルの前。
台所に立つ時もトイレに行く時も用を足している時もずっとあの目で見られついに観念した。
懐に忍ばせた無料券を使えば行く理由としては十分だ。
ビルの階段をのぼり、按摩店へと足を踏み入れる。店内はがらんとしていた。
いつものように受付に座っている店長がアホ面で此方を向いた。
カウンターに近付き、無料券を一枚雑に千切ってそれを渡す。
「何分コースにするよ?」
「ジジイに身体触られる地獄の30分コース」
銀時が一番短いコースを選べば店長はそれにカラカラと笑い、椅子から降りて施術ベッドへと足を運ぶ。
片方の足を引き摺るようにして歩いている。
ずっと座っていたから銀時自身気付かなかった。
着流しを脱いで、ベッドにうつ伏せになる。
店長はゆっくりとマッサージを始めた。
あ、結構自分背中凝ってたんだな、と銀時はその時自覚した。
「唯一の花は今日もおつかいか?
ジジイ臭くて仕方ねーわ」
「うるせぇ
あの子ならここ三日、休んでるよ」
「理由は?」
「風邪だとよ」
この暑い中に風邪。
夏風邪は長引くからなと銀時は一人納得する。
(………ん?)
ふと銀時は気付いた。
神楽いわく、猫の件から今日まで彼女は休んでいる。
あの日たしか、ゲリラ豪雨があった。
彼女が自分達に教えてくれたアレだ。
自分達は直ぐに帰ったが、彼女は自分達が見えなくなるまで見送っていた。
そして彼女は人より足が遅い。
もしや、もしかするともしかして。
「…風邪の原因ってなんか言ってた?」
「三日前ゲリラ豪雨あったろ?
アレに数分ふられちまったんだと。
慌てて帰ろうにも、音や匂いを頼りにあの子は道を歩くもんだからよぉ豪雨の音で帰りたくても帰れねえってんで濡れた状態で雨宿りしてたら風邪を引いちまってなあ。
しかし、あの子ゲリラ豪雨が来るなら直ぐに分かるってぇのに何処で道草くってたのやら」
その言葉に銀時は冷や汗が出る。
たしかあの時、彼女は猫を撫でたら帰ろうと思っていたと言っていた。
つまりその段階で帰らないと雨に降られるのが分かっていたということ。
彼女を見つけて別れるまでに数十分は会話をしていたと思う。
自分達が現れることで、彼女は避けれた筈の雨を避けられず、風邪をひいてしまったと。
思わず眉間に手を置いた。
「ってえ事で、万事屋。
お前さん、なんで風邪ひいたか心当たりがあるんだろ?」
その声にギクリと肩を動かす。
店長は段々とマッサージの手を強めていく。
「いだだだだだ!!!」と叫ぶ銀時を他所に店長はよよよと嘘泣きをはじめた。
「俺ぁ足が悪いからよ、見に行きたくても行ってやれねえのよ。
あの子のアパート三階でなぁ、エレベーターもねえし。一階ならまだしもなぁ」
「わかった!!行く!行きます!!行かせていただきます!!だからやめて!折れる!なんか折れるぅ!!」
銀時の叫び声がビル内に木霊した。
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「あー、酷い目にあった」
背中を摩りながらメモにある住所へ足を運ぶ。
店長に渡された水分と冷えピタリが袋の中で揺れて音を立てる。
公園からそこまで遠くない位置にアパートがあった。
自分の足で約十分ほどだが、彼女の足だと更にかかるだろう距離だった。
カンカンとアパートの階段をのぼり、目的の部屋の前へと到着する。
呼び鈴を鳴らすが出てこない。
寝ているのだろうと思い、店長から渡されていた合鍵を使ってドアを開けた。
「あの〜…すいませ〜ん、坂田ですけど〜」
顔だけ覗き込む形で不審者だと思われないように名乗るが反応は無い。
風邪だから大したことはないだろうと思っていたが、ここまで反応無いと心配になってきた。ドアをゆっくりと閉めて、玄関に入る。
久方嗅いでない女性の香り。
自分の家ではあり得ない良い匂いに銀時は変に緊張した。
1Kの間取り。
台所を通って、居間へと顔を出す。
比較的質素な部屋の隅に布団を敷いて眠る目的の女性。
顔は赤い。息も荒い。
ゆっくりと近づいて額に触れてみるとまだ結構熱い。
布団の横に、飲んだであろう空のペットボトルとコップ、そして市販の薬が置いてある。
(こりゃ風邪拗らせてんな)
袋から冷えピタリを取り出して額にぺちんと貼る。
飲み物も枕元に置き、空いたコップとペットボトルを持って台所へ向かう。
あの様子だとまともにご飯も食べていないだろうと、シンクにコップを置いてペットボトルを捨てて冷蔵庫を開ける。
整頓された冷蔵庫の中に色々な形のタッパーが入っていて開ければ作り置きしたであろう料理。
目が弱いのに器用なもんだ、と銀時は少し関心する。
一人生活が長いであろうその部屋を少し見渡した。
よく見てみれば一人でも大丈夫なように部屋の様々なところで工夫が見られる。
タッパーだって区別つけるために形がすべて違う。醤油やみりんなどの形が似た容器はゴムなどを付けて区別がつくようにしている。
たまごを一つ拝借する。
炊飯器にご飯はない。
まあこれだけ几帳面な性格なのだからと冷凍庫を開ければ、やはりそこには冷凍されたご飯。
それを取り出してレンジに放り込んだ。
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作ったお粥を机に持っていく。
我ながら手際の良いもんだと鍋を持ったまま居間に入れば、小さな箪笥の上にある写真が目に入った。
笑顔の家族写真。
真ん中に写る小さな女の子は彼女だろう。
面影がある。どうやら母親似のようだ。
杖を持っていない。
小さい頃は目が見えていたらしい。
目が殆ど見えないのに写真を置くのは忘れたくないからだろうと察した。
それより今は彼女にお粥を食べさせようと机に置いた。
「おーい、名前ちゃーん。
名前ー」
ちゃん付け面倒だと思い呼び捨てにしてからそういえば彼女の名前をはじめて呼んだなと今更になって気付く。
苦しそうに寝る彼女の顔を覗き込んで数回名前を呼ぶが起きる気配がない。
放っておいてやりたいが、ご飯を食べないと体力がつかない。
仕方ないと首の後ろに手を回し、身体を起こしてやる。
流石に彼女もゆっくりと目を開いた。
ボヤッとした顔をしている。
「悪ぃな、勝手に上がらせて貰ったわ」と言うと彼女はボヤッとした顔のまま此方に顔を向けた。
そしてカッと目を見開く。
自分に身体を預けていた状態からガバッと前のめりに起き上がった。
「さかっ、坂田さん!?この声坂田さんですか!?合ってますよね!?何故、何故坂田さん!?坂田さん!?えっ!?何故!?なんでですか!?」
「なんでって言われても生まれてからずっと坂田さんだからもうどうしようもねーよ手遅れだわ」
「あっいやっちがっ!な、何故家に!?ここどこですか!?私の家で合ってますか!?」
顔が真っ赤な状態で周りをキョロキョロしてテンパっている。
まあ無理もないなと思いながら気にせずに椀にお粥をよそって匙をさした。
そのまま渡そうと思ったが驚きで未だにワタワタと身体を動かしていて今渡すと椀をひっくり返しそうだ。
仕方ないのでまだ冷えているであろう枕元のペットボトルを持ち、首に当てた。
「ひゃあ!?」と奇声をあげて動きが止まった。
動きが止まったのを見て、手に椀を持たせる。
「はーいとっとと粥を食ってください」
「えっ?えっ?」
「卵でよかったよな?あ、俺も貰っていい?」
「え?あ、はい、はい」
椀をもう一つ持ってきていたので粥をよそって食べる。いつも通りの味だ。
色々聞きたそうにしている彼女の顔を食べながら見つめる。彼女は椀と自分を交互に見て、一旦この状況を受け入れることにしたのかゆっくりと粥を食べはじめた。
そうそう、それでいい。
彼女が粥を食べるまで何も答えるつもりは無かったので自分も気にせずお粥を食べる。
「おいしいです」と呟いた彼女に「そいつはどーも」と返して自分の食べ終わった椀を机に置く。
ふーふーと冷ましながら食べるのをジッと見つめる。
身体が汗でぐっしょりと濡れているのが良く分かる。寝巻きが肌に貼り付いていて不愉快だろう。
下着云々は流石に出してやれないので汗を拭く蒸しタオルでも作って来てやろうと再び立ち上がる。
「タオルどこ?」
「あ、そこの箪笥の一番左ですが…何かこぼしましたか?大丈夫ですか?私やりますよ」
「そーそー粥溢したからタオルかりるわ。
あと、その椀空にする前に動いたら更にもう一杯追加な」
熱があるからかいつもより耳が良くないらしい。粥など溢していないのに気付いてもいない。
適当な嘘をついてタオルの場所を聞き出し、家族写真がある箪笥の一番左を開ける。白いタオルが綺麗に入れられていてそれを一枚取り出した。
台所に向かい、水に濡らし軽く絞って適当な袋に入れてレンジでチンする。
「何故電子レンジが…?」と彼女から声が聞こえた。
居間に行けば彼女は渡した椀を見事空にしていてそれを片付けるため立ち上がろうとしていた。
立ち上がろうとする彼女の肩を軽く押せば簡単に尻餅をついた。ついでに椀も飛んだ。
飛んだ椀は一旦無視して蒸しタオルを顔にかけてやる。
「あつっ」と彼女から声が聞こえた。
「片付けといてやるからその間に水分とって薬飲んで身体拭いて着替えとけ」
「えっそんな私がやります、大丈夫です」
「現在進行形で寝込んでる娘の大丈夫は聞き入れられません」
蒸しタオルを手に持ってかなり申し訳なさそうに此方を見つめてくる。
コイツも大概頑固らしい。
頭をかいてどうしたもんかと考える。
ここでちゃんと治して貰わないと自分があの店長に何をされるか分かったもんじゃない。
今度こそ折られてしまう。
情に訴えかけてみるかと、鍋と椀を纏める。
「神楽もジジイも心配してたぞ。
とっとと治してその呑気な面見せてやれ」
そういうと彼女は何かを察したのか、申し訳無さそうに顔を伏せた。
どうやら自分が此処に来たのが店長の依頼だと気付いたらしい。
彼女は「じゃあお言葉に甘えます」と言って立ち上がろうとゆっくり起き上がる。
自分も鍋を持って立ち上がり台所に向かう。
そういえば服を取りにいくまで手を貸さなくても良かったのかと、何気無しに振り向いた。
窓に手をついて歩く彼女。
その彼女の身体にぴっちりと汗で張り付いた寝巻き。
窓からの光で汗がキラキラと反射。
そして透ける下着。
銀時はそれをガン見しながらゆっっっくりと居間とキッチンの間にある戸を閉めた。
そしてそのまま真顔で洗い物をはじめる。
シンクに鼻血が落ちた。
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「あの、坂田さん、本当に色々とご迷惑をかけてばかりで申し訳ありません、ありがとうございます。
この御礼はまた今度必ずさせていただきますので」
「いや、礼はいいわ。
久々に良いもん見せてもらったから」
「???私何か見せましたか?」
汗も拭いて着替え終わった彼女が目が弱いのを良い事に鼻にティッシュを詰めて「え?なに?俺なんか見たとか言った?」と白々しい返事をしながら汗で濡れた布団を窓から代わりに干してやる。
そして代わりの布団をおろし、敷いてやれば彼女は申し訳なさそうにまた謝罪と御礼を言った。
布団干し取り込むのは自分でも出来るだろうと、立ったままの彼女に聞けば何回も頷く。
「つーかお前何呑気につっ立ってんだ。
とっとと寝ろ、明日店に顔だしてもらわねーと俺が困るんだよ」
「?、店長じゃなくて、坂田さんが困るのですか?」
「そーなの。困るの。鯖折りなの」
自分の後ろで首を傾げる彼女は最初見たときより全然顔色が良くなってはいる。しかし風邪は風邪。
今だって少しは熱があるはずだ。
新しく敷いた布団にある掛け布団を立ってる彼女に渡した。
彼女は少し笑ってそれを受け取り大人しく敷き布団に入っていく。
素直なのは良いこった。
飯も食わせた薬も飲ませた、後は寝てりゃ治るだろ。
そう思い帰ると伝えようと彼女を見たら既に夢の中。
三日間熱出しっぱなしは流石に疲れるわな、と一つ溜息をつく。
「…ほんと逞しいこって」
一人で今までどうにかしてきたのであろう彼女に小さくそう語りかける。
また明日店に顔出すか、と首を一つ鳴らし家を出て行った。
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