病室に流れるのは私に似つかわしくないクラシック音楽。 昨日、看護士さんから借りた再生プレイヤーで蛇姫様から頂いたCDを流す。 クラシックについては全く分からないけれど、とても心が癒されるのが良く分かる。 蛇姫様がお帰りになられてから寝るまでずっと聞いていた程だ。 CDの中には曲の題名と音楽家の名前が書かれた紙。 中には私でさえ見た事がある名前もチラホラ見かけた。 退院する頃には頂いた音楽について蛇姫様とお話し出来るようになりたいものだ。 「ショパン、ドヴォルザークにシューマン、か。 蛇崩らしいチョイスじゃないか」 「うわぁあ!」 CDに落としていた目線を慌てて上に上げる。 聞こえた声の正体は犬牟田さんで、いつの間にか私が見ているCDを覗き込んでいた。 気配が全く感じなかったため、心臓が止まるかと思い何も言えず犬牟田さんを見つめることしかできない。 そんな私に犬牟田さんは少し肩をすくめ側にある椅子に腰掛けた。 心臓がバクバクと鳴り止まない。 本当にびっくりした。 流れるクラシック音楽の様に優雅に足を組む犬牟田さんは「ノックはしたんだけどね」と真顔で言い放った。 確かに音楽かけてたのが悪いけれども。 ようやく心臓が落ち着き、頭を下げて挨拶をすれば、犬牟田さんは軽くそれを流し、私からCDの題名リストを取り上げ、一通り目を通しながら私のベッドにドサリと一冊の本を置いた。 見た所、ミステリー小説のようだ。 「これをあげるよ。何もすることないだろうしね」 これは、もしかしなくとも。 犬牟田さんまでお見舞いに来てくださるとは。 嬉しくなって頂いた本の表紙を撫でる。 こんな私にここまでして頂けるなんて。 本当に四天王の方達はお優しい。 涙ぐんでいれば犬牟田さんは「おや、また泣くのかな?」とからかうような目で私を見つめた。 それが少し悔しくて涙を拭いて泣いてないアピールをすれば、彼は少し笑ってくれた。 「…どうやら見た所、順調に回復していると見えるね」 「あ、はい、おかげさまで」 そう答えれば、犬牟田さんは少し私を見つめた後「そうか」と呟いて目線を逸らした。 何故かその行動が犬牟田さんらしくなくて少し疑問が生まれる。 何かあったのだろうか。 心配で犬牟田さんを見つめていれば、彼は溜息をついて再び私を見つめてくる。 「君は僕の顔を見つめるのが好きなのか?」 再びからかうような目で私に向き合われ、言われたその言葉に私は顔を赤くして否定するしか出来なかった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 「一応謝りに来たんだよ」 「へ?」 私の否定を遮って言われた言葉に思わず固まる。 犬牟田さんは至極真面目な顔で私を見つめ、私はそれに惚けた顔をするしか出来ない。 「君が襲われた原因は僕にあるからね」 ああ、そういえば。 犬牟田さんとお喋りしていたら変に注目を浴びてしまったんだ。 まあ、助かったから全然もう良いのだが、まさか犬牟田さんから謝罪の言葉が出るとは思わなくて戸惑う。 そんな、謝らないでほしい。 犬牟田さんは私のためにあの場で話しかけて来てくれたのであって故意的な物ではなかったのだから謝る必要なんてないはずだ。 「まあ、良いデータが取れたよ、ありがとう」 前言撤回だ。 もっと謝ってほしい。 思わぬ発言に咄嗟に眉間に皺を寄せて犬牟田さんを見つめれば、彼は愉快そうだ。 ああ、これはからかわれているな。と確信した。 犬牟田さんは立ち上がり、私から取り上げいた題名リストを再生プレイヤーの上にポンと置いた。 立ち上がった犬牟田さんを見て少し違和感を覚える。 「…痩せられました?」 思わず口をついて出た言葉。 犬牟田さんは私の言葉に目を丸くして見つめてくる。 何も言わないあたりどうやら図星だったようで、彼は私を見つめた後元の椅子に優雅に座り直した。 そして再び足を組み、見つめてくる。 「それはそれは、どうしてまた」 「…や、あの、横から見た時の厚さが」 正確には雄っぱいの厚さだ。 雄っぱい好きな私が見た限りでは、犬牟田さんの前の厚さはもう少しあったように思う。 ただでさえ細い方なので尚更よく分かる。 まあ、そんな趣向を人に言えるわけもなく。 とりあえずの言葉を言えば、彼は再び驚いたように目を丸くして、私を見つめる。 「…君は人の身体を見るのが趣味なのか?」 「!?、あ!いや!そ、そんなことはなく…!」 慌てて否定すれば犬牟田さんは、 訝しげな目で私を見つめる。 その目を良く見れば眼鏡越しで見えにくいが、薄く隈が出来ているように見えた。 もしかしたら寝ていないのではないだろうか。 それで痩せてしまったのでは。 今、外は無法地帯だし、とても騒がしい。 もしかしたら外の騒がしさで眠れないのかも。 犬牟田さん、神経質そうだし、可能性はある。 「あ、あの、寝れていないんですか…?」 「だから?」 「あ、いや、でも、もし寝れていないなら、このベッド!使ってください…!私外に出てるので!」 ベッドをばふんと叩き慌ててベッドから降りる。 肋がキシリと軋んだが、歩けないことはない。 犬牟田さんは目を丸くして私の行動を見つめる。そして、溜息をついて立ち上がり私の病院服の襟を掴んだ。 首元が締まり、変な声が出る。 そしてそのままベッドにボフンと投げられた。 衝撃で肋が痛み無言で悶える。 「怪我人に気を使われる程、僕は弱ってはいないんだけどね」 痛みで滲む視界の先にいる犬牟田さんは、腕を組み私を見降ろしていた。 本当、痛い。泣ける。 そして彼は再びCDの題名リストを手に取りそれを見つめていた。 痛みも治まり、起き上がってベッドに座り、黙ってそれを見つめる。 「君はどれが気にいった?」 「は、え?曲です、か?えと、これと、これが、好きです」 犬牟田さんに差し出された紙に載ってる曲名を指差した。 犬牟田さんは黙ってそれを見つめて、私の選別が終わると「へえ」と言って私を見つめてきた。 一体なんだと言うのか。 「ショパンのピアノ協奏曲第2番、それにドヴォルザークの弦楽四重奏曲「糸杉」か」 私が指した曲を呟いて少しニヤリと笑う犬牟田さんが分からなくて思わず首を傾げる。 「この二つの曲に共通している事は何か、君は知らないだろうね。 無意識にコレを選ぶ辺り、それに飢えているのかな?」 「は、はい?」 とても勿体ぶった言い方をする犬牟田さんは、紙をチラリと私に見せながら再び椅子へと腰をかけた。 笑みを携えたままの犬牟田さんに痺れをきらして思わず「どういう共通があるんですか」と聞いてしまうぐらいに彼は勿体ぶっていた。 私の質問に犬牟田さんは眼鏡をグイッと人差し指で上げる。 眼鏡が光に反射して目がよく見えなくなった。 私がその犬牟田さんの目に集中していた瞬間、犬牟田さんは私の顔にリストを押し付けてきた。 視界が紙で覆われ前が見えない。 肋が痛く、踏ん張る事も出来ず私はそのままベッドに倒れた。 一体何事だ、とそう思い起き上がろうとした時、耳元に気配。そして、声。 「この二つに共通している事、それは…」 囁かれるようにその言葉は耳へと入り、押し倒されている羞恥心とその共通事項の内容で一気に顔が赤くなる。 慌てて起き上がれば、目の前に犬牟田さんの姿はなく、彼は出口へと足を進めていた。 真っ赤な顔で彼の背中を見つめていれば、彼は振り向き面白そうに笑う。 そして思わず、叫ぶ。 「わ、私は!そんなの!求めてないです!」 叫んだ事により肋がキシリと痛み、慌ててそこを抑える。 肋へ目をやったその隙に、犬牟田さんはその場から姿を消していた。 (面白い反応だ) 犬牟田は眼鏡をくいっとあげながら病院の廊下を歩く。 実に彼女は反応が面白い。 少し前まではオドオドしていたのが嘘のようだ。 やはり、あの時、全てを吐き出せたのが良かったのだろう。 今の彼女の顔は全ての荷が降りたように活き活きとしている。 おかげで彼女のデータを修正しなければならないが。 最初、彼女は人の機嫌を損ねないように生きている臆病者だと思っていた。 彼女に意思などなく、ただただ言われるがままに従う人形のような子。 しかし、今はどうだ。 他人の顔色こそ伺うがちゃんと思った事は口に出すようになってる。自分の意思で動く人間だ。 何よりも、人の顔を見て話せるようになっているのだ。 人とは実に面白い。 こんな短期間でここまで変わるとは。 データを取るために観察していて、飽きることがない。 (さて、早速今日取った彼女の性格データを改めてまとめよう) 病院を出て、太陽を浴びる。 あまりの眩しさに視界が眩み、少しよろめいた。 危ない。 犬牟田は一つ溜息をついて壁にもたれかかる。 その時思い浮かんだのは彼女の犬牟田の体調不良を指摘する言葉。 まさか気付かれるとは。 確かにここのところ、データをまとめるのに夢中で、ろくに睡眠と食事を取れていなかったように思う。 しかし些細な変化だ。 まさかそれを気付くとは。 観察しているのは僕だけではないということかな、と犬牟田は少し自嘲するように笑った。 しかし、このデータは必要なものなのだ。 皐月様の大義を為す日は近い。 それまでになるべく多くの情報をまとめておかなければ。 苗字の事は、特に。 彼女は我々にとってどう使えば効率が良いのか、ありとあらゆるシュミレーションを試してより最適なものを導き出さないと。その作戦を実行するためには一つでも多く彼女のデータが必要なのだ。 その過程で得たあのデータが本当だとしても。 僕はそれを踏まえた上で一つの結論へ導かなくてはならない。 犬牟田は頭を抱えて目を閉じる。 その瞬間、浮かんだのは先程の真っ赤になった彼女の顔。 思わず、フッと笑い、壁から離れ犬牟田は歩き始めた。 彼女が無意識に選んだ曲の共通点。 それを教えれば見事に赤く染まった。 本当に表情が豊かになるものだ、と変に感心しながら足を進める。 猿投山に教えようか、と思いタブレットを取り出し目的の人物の名前を出す。 (…いや、やめておこう) これは、まだ自分の中にとどめておこう。 暫く彼女をからかう良いネタになる。 タブレットを仕舞い、 彼女がいるはずの病室を見上げれば、病室から此方を見下ろす、彼女と目が合った。 目が合った瞬間、彼女は顔を先程のように真っ赤にさせ窓からその姿を消した。 「…「恋」か」 真っ赤な顔に相応しい共通点だ。 犬牟田は愉快そうに笑い、そのまま病院を後にした。 Top |