光が見える。 うっすらと、ゆらゆらと、その光は酷く不確かに、私の頭上で輝く。 手を伸ばせば、届きそうで思わず手を伸ばした。 伸ばした手は光を掴む。 掴める光というのもまたおかしい話だが、確かにそれは私の手に確かに存在していた。 掴んだ光を確認しようと手を開ける。 そこには、赤く細く、まるで糸のような束が光輝いていた。 これは、見た事がある。 生命繊維だ。 こんなにも沢山、私の手の中にある。 伊織さんにお渡しせねば。 そう考えていれば、糸の束は段々と私の手の上で蠢く。 そしてそれはまるで生き物のように糸を広げ、私の身体に巻き付いてきた。 細い糸が私を締め付ける。 そしてその糸の内一本が、ブスリと私の腕を突き刺した。 糸は突き刺した所から私の中へと侵入する。 ズルズルと、まるで私の身体の中に吸い込まれるようにそれらは私の中に侵入してくる。 全てにおいて痛みはなく、ただ感じるのは身体中に走る熱さと、筋肉がミシミシと音を鳴らせる音。 瞬間、私の頭の中に宇宙の光景が広がり、その先に何故か私の部屋が見えた。 ああ、これは。 久々に見た本来の自分の部屋に、 愛おしさを覚え涙が出る。 そして、そこに手を伸ばした。 光を掴めたように、この部屋も掴めると、帰れるかもしれないと、そう思ったのだ。 ああ、でも。 帰る前に皆さんに挨拶をせねば。 それに、まだ生徒会室は完璧に綺麗になっていない。 蛇姫様や猿投山さんが座るソファの天日干しがまだだ。 伸ばした手をためらい、 自分の胸元に収める。 瞬間、身体が後ろに引っ張られた。 まるで私の身体に糸が巻きつかれていて、その糸を思い切り引っ張られたような。そんな感覚。 そして、目の前の景色は真っ暗に塗りつぶされた。 28 「…なさいよっ!バイト!!」 頭に衝撃が走り、ハッと、目が覚めた。 はぁはぁ、と息が切れているのが分かる。汗も心なしかかいてしまった。 そして、私の胸元あたりにサラリと綺麗なピンク色の髪が置かれた。 ああ、この綺麗な色は。 瞬時に誰かを理解して、そちらに目をやれば、眉間に皺を寄せた蛇姫様がそこにいらっしゃった。 私と目が合い、彼女は一瞬目を見開いた後、キッと目線を鋭くさせ私の頭を指揮棒で殴った。 あまりの痛さに変な声が出る。 涙目で再び蛇姫様を見つめれば、彼女はひたすらに私を見つめていた。 その顔は怒っているのとは少し違うように感じた。 「…あんた、本当情けないわね、どんな夢見てたのかしらぁ?ずっと魘されてたわよ。みっともない」 蛇姫様はいつもの顔に戻り、その場にある椅子に腰掛けて、優雅に足を組む。 ふと、時間を見れば短い針は3を指していた。 昨日、流子ちゃん達のお見舞いから私はずっと寝ていたようだ。 おかげで、身体がギシギシする。 寝汗を拭い蛇姫様に失礼がないように体を起こす。 少し肋が痛むがなんてことはない。 蛇姫様の指摘に少し恥ずかしくなり、頭をかく。私、魘されていたのか。 蛇姫様は「ふん」と言って顔をそらした。 「…ま、生きてるんなら良いわ」 ポツリと蛇姫様からそう聞こえて、思わず目を瞬く。 予想外のデレに私は一気に興奮して、思わず肋の事など気にせずゴトンと後頭部を壁に激突させた。 蛇姫様はそれを見て「気持ち悪い動きしてんじゃないわよ」と引いた顔で辛辣な言葉を私にくださった。 大丈夫、蛇姫様からだったら何故かこれはご褒美に思える。 私は変態ではない。 打った頭を撫でる。 そういえば、何故蛇姫様がここに? もしかして、本当にもしかしてだが、私の、お見舞いに来てくださったのでは? いや、まさか、そんな蛇姫様が私なんかのためにそんなこと。 都合良く考えすぎだ。 一人で自問自答していれば、ベッドの上にボスンと何かが乗る。 見ればそこには茶色い紙包み。 小物アクセサリーを買った時に包みそうなそんな大きさのもの。 これと蛇姫様を交互に見つめていれば、蛇姫様は再び指揮棒で私を殴った。 一瞬だったがその顔は赤かったように思う。 「さっさと受け取りなさいよ!」 顔を見せない蛇姫様からそう言われ、私は思わずそれを慌てて受け取り開ける。 中身を丁寧に取り出せば、そこにはCD。 タイトルは英語でよく分からないが、パッケージを見る限りではクラシックのようだ。指揮者の方がオーケストラを前に手を上げているパッケージだった。 これの意味が分からず、蛇姫様を見れば、彼女は顔をそらしたままぶっきらぼうに言い放つ。 「アタシが厳選したクラシック音楽のCDアルバムよ。有難く受け取りなさい」 これは、言わずもがな。 耳が赤い蛇姫様の背中を見つめ、私はプレゼントされたCDを抱き締める。 蛇姫様が、まさかお見舞いに来てくださるなんて。 あまりにも嬉しくてにやけた顔が戻らない。 その顔をいつの間に見たのか、蛇姫様は顔を赤くして私を指揮棒で指した。 「何勘違いしてるのよ!これは礼よ!礼!クッションの礼!借りを作るのは嫌いなの!」 真っ赤な顔で言われても説得力なんてあるはずもなく、私は大人しく笑って「はい」と答えた。 そうすれば、蛇姫様はさらに顔を赤くさせそのまま綺麗な髪を翻し部屋を後にした。 一人ポツンと取り残され、CDを見つめる。 そしてまた笑いがこみ上げた。 「看護士さんに、再生プレイヤー借りなきゃ」 私の家にはプレイヤーなんてないから。 耳に蛇姫様の優しさ全てを焼き付けよう。 (何してるのよ、アタシは…!) 病院の廊下をカツカツと足取り早く蛇崩は進む。 赤くなった顔はそのままで、なるべく人に見られないように下を向いていた。 蛇崩は、名前の見舞いに来ていた。 彼女が素直に見舞いに来たと言える性格の訳もなく、先日綺麗にしてもらったクッションの礼として病院を訪れたのだ。 まあ、案の定、彼女に自分の魂胆は丸わかりで余計に恥をかいてしまった。 柄にもない。 蛇崩は一人自分を叱る。 自分には皐月さえいればそれで良い。 自分は皐月の盾となり剣となり、忠義を尽くす。 それは、友達という垣根を越えた、一方的な敬愛でしか他ならない。 今の自分を形成するのは皐月であり、これからもそれは変わらないのだ。 しかし、今の自分はどうだ。 あんな何でもない清掃の女の見舞いに来ている。 (何考えてるのよ…!) 彼女はあの日、みっともなく大声で泣いて自分を明かした。 その姿のなんと滑稽だったこと。 みっともなく涙を流し、声を出し、汚い声で全てを吐いた。 その姿のなんと羨ましかったこと。 あの瞬間、彼女は蛇崩の敬愛する皐月に全てを受け止めてもらい、そして守って貰える立場にまでになったのだ。 それが蛇崩は羨ましかった。 皐月があの時はちゃんと彼女を服を着た豚などではなく、一人の人間として接していた。 皐月のあの目が、彼女一人だけに向けられていたのだ。 酷く嫉妬した。 どうにかして虐めてやろうと、 この嫉妬を彼女にぶつけようと考えた。 しかし、それがどうだ。 嫌味をぶつけようと、指揮棒で殴ろうと、彼女は笑うのだ。 普通、嫌味をぶつけられれば人はそれを嫌う。殴られれば人は殴った人を嫌う。 しかし彼女は笑うのだ。 前髪をおかしく切って、初めて見たその目はとても真っ直ぐだった。 汚れたクッションを綺麗にする時、その声と手はとても優しかった。 (意味わかんない) 病院を出て、蛇崩は空を見上げる。 顔の赤みはすっかり落ち着き、風が当たって心地良い。 蛇崩は彼女の病室に入って肝が冷えたのを思い出した。 ベッドに横たわって寝ている彼女は、夢見が悪いのか魘されていた。 それだけなら良い。 本来ならば彼女が寝ていて見えないハズのベッドのシーツが、彼女越しに見えていたのだ。 つまり、彼女は透けていた。 まるで幽霊のように。 蛇崩は酷く混乱した。 慌てて透ける彼女を触れば辛うじて触れるが、まるで空気を掴んでいるよう。 尚も魘される彼女を起こせばどうにかなるかと、なるべく大声で彼女を呼ぶ。 呼んでも呼んでも反応はなく、殴ってでも起こそうと指揮棒を取り出したその時、彼女が唸った。 「帰り、たい」 ピタリと蛇崩の動きが止まる。 瞬間、蛇崩の頭の中に一つの仮説が浮かんだ。 彼女のこの今の状態は、もしや元の世界に帰ろうとしているのではないか。 原因は分からないが、彼女の気持ちに何かが反応して彼女の身体は元の世界へ帰るために透けているのではないか。 (…なら、良いじゃない) ならば起こす必要などない。 このままにしていれば彼女は念願が叶うのだ。 このまま彼女が帰れば、皐月が彼女を構う事などなくなるのだ。 段々と透けゆく彼女を見つめる。 指揮棒は握りしめたままだ。 透けてほぼいるかどうかも分からない姿になったとき、彼女の口が再び動いた。 「…ソファ、掃除、しなきゃ」 確かに蛇崩の耳についたその言葉。 蛇崩はその瞬間、握りしめていた指揮棒を振りかざし、そのまま真っ直ぐに彼女の頭に振り下ろした。 『帰ってきなさいよっ!バイト!!』 蛇崩はテクテクと、足取り軽く病院を後にする。 病室で起きた出来事を振り返り、一人溜息をついた。 何故彼女を起こしてしまったのか。 あのまま帰らせれば、全部丸く収まったというのに。 ただ、あのまま彼女が帰るのは癪だったのだ。 そうだ、掃除も完璧に終わらせぬまま、帰るなど許されるワケがない。 (退院したら、こきつかってやるわ) 一人で納得しながら道を歩く。 この感情を何と呼ぶか、蛇崩はまだ知らない。 Top |