ただ、"好き"なだけ
鳴海BAD捏造、ネタバレ
恋をしたことがなかったわたしは夢を見ていた。 実らない想いがあることは知っていたけれど、一度実った想いは甘くて幸せいっぱいで空を飛べちゃうくらいフワフワしていて、生涯を終えるその一瞬まで幸せだ、なんて思っていたのだ。 けれど、それは違った。 瞳に映る風景はとても輝いているのに、世界は、わたし達が生きるこの世界は美しいけれどとても残酷だな、ということをわたしは知ってしまっていた。
どうして。 浮かぶのはそんなことばかりだ。ただ恋をしただけ。 ただ愛しただけ。 なのに、どうして。 世界は、こんなにも残酷なんだろう。
(俺を、信じて)
言葉を発することさえ困難であろう鳴海が苦しげに小さくそう呟いた。 硝子玉のようなアメジストの瞳はもうわたしを映してはいない。視点は定まっていないしわたしの声だって届いてはいない。視覚も聴覚も味覚もあらとあらゆる感覚を鳴海はもうすでに失いかけている。それは全部、わたしのせいだ。わたしが鳴海を好きにならなかったら。わたしが鳴海に告白などしなかったら。ううん、わたしが選択を間違わなかったら。 鳴海は、何も失わずに済んだのに。
「鳴海、…もう、無理だよ」
「………おれ、を、信、じて…っ」
「だって、鳴海のことが好きなんだよ?…嫌だよ、鳴海だけがそんな呪いを受けて、死ぬまでずっと、もしかしたらこのままなんて、嫌だよ、…っ」
言葉を発することさえ辛いはずなのに、鳴海は同じことを苦しげに告げる。 わたしの言葉は届かない。 わたしが今、どんな表情なのかも鳴海には見えていない。なんて残酷なんだろうと思う。真っ暗な闇の中に一人取り残されている鳴海のことを思うと、わたしは世界を、そして自分を許せないと思った。 何より、鳴海の世界を奪うことが怖かった。
一言、たった一言告げればすべてが無に還る。 鳴海は世界を取り返せるし、きっとわたしも、…こんな辛い気持ちを持て余すことはなくなって。幸せに、なれるのだろう。 ただそこに、"鳴海"がいなくなるだけだ。 鳴海がいない人生が怖い。 でも、目を閉じて一言告げてしまえばそれすら無になるのだ。怖いと思うことすらない。何故なら、わたしは鳴海を忘却して、鳴海もわたしを忘れてしまう。何もかも、失うんだ。幼い頃の思い出も。 鳴海を好きだった記憶も。 はじめてキスしたときのことも、全部、なかったことになるのだ。
「さ、く、や…」
「…ごめんね、わたしのせいで辛い思いさせて。 …ごめんね、好きになって、ごめんね…鳴海」
「咲、」
「―――終わりにしよう」
涙が、溢れた。 散々泣いたはずなのに。 涙は枯れるどころか次から次に流れて視界はぐちゃぐちゃだ。でも、鳴海の表情だけは鮮明で、ああ忘れたくないな。そう強く願ったけれど、眩しい光がわたしたちを包むように輝いて。終わりが来たのだと、さらに涙が、溢れてしまった。 好きだよ、大好きだよ鳴海。鳴海がいれば呪いなんか怖くないと思った。 二人の想いが強ければ何にだって負けない、頑張っていけると思った。 でも、残酷なそれはわたしの世界で一番大切な人からたくさんのものを奪っていった。そんな現実に、わたしは耐えられない。
「好きになってごめんね、―――…」
次の瞬間。 わたしは確かに愛した人の名前を忘れていた。 ただ、涙だけが溢れて止まらなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「咲耶ちゃんは、好きな人とかいないの?」
「えっ、好きな人!? いないよー、わたし初恋もまだなんだから!」
「そうなんだ、意外! 八雲先輩とかカッコいいのに!」
「八雲兄さんは、兄さんだもん、恋に発展なんかしないよ!」
友達との帰り道。 最近、好きな人が出来たと打ち明けられたわたしは心の奥底にある痛みを知りながらそれを隠すように笑っていた。星祭りから一年が経っていて、皆がバラバラになった。自分が神様だったという記憶は朧気にしか覚えてはいないし、何か、大切な何かを忘れてる気がしてならないのに思い出せないでいる。 恋を語る友達は幸せそうで、ああいいななんて思うのと同時に、きっともう誰も好きになんかなれないと何故かそんな想いが湧き出てきた。
(…?)
もう誰も好きになんかなれない、ってなんだろう。 わたしは初恋すらまだで、なのに何故、そう思うのだろう。チクチクと、心が痛い。一年前の星祭りのあとからずっとだ。
「咲耶ちゃん…?」
「……えっ、あ、なに!?」
「うん、どうかしたのかなって…」
「あはは、ごめん、なんでもないよ!」
立ち竦むわたしの顔を覗き込んで心配する友達に笑って見せた。脳裏に過ったのは、わたしを心配そうに見つめる、誰かも知らない男の子。すぐに消えた残像を何処か懐かしく、そして酷く悲しい気持ちで打ち消して歩き出す。 その刹那、わたしの横を通り過ぎる同じ制服を着た男の子に振り返った。
(…あ、…れ)
チクチクとした痛みが、スレ違った男の子を見つけた瞬間、ズキリ、と激しく痛んだ。そして、気付けば、わたしは涙を流していた。止まれ、止まれと心に制御を呼び掛けるけど止めどなく流れる涙はそう簡単には枯れてはくれなくて。…已然にも、こんな風にボロボロ泣いたときがあった、そんな気がした。 そんなわたしにオロオロと焦る友達が名前を呼んだ。
「さ、咲耶ちゃん…どうしたの?大丈夫?」
「う、ん、…平気…ごめんね、―――…?」
「………これ」
「…え」
「……使って、」
「あ、」
「…………涙、君の、涙見るのつらいから」
「っ、あり、がとう」
アメジストの瞳が何処か悲しげにわたしを見ている。 知らないはずの彼に、何故か、昔から知っていたそんな気がして。震える手で、綺麗にアイロンしてあるハンカチを受け取った。 彼を見ているとますます涙が出たけど、それ以上に何故か、愛しい、そんな気持ちがあって。けれどそれは錯覚なんだと思考が遮断した。
甘くて幸せいっぱいで空を飛べちゃうくらいフワフワしていて、それが恋なんだって信じていた。けれど、それはきっと違うのだとまだ恋をしたことないわたしは知っていて。痛みだけが、ずっとずっとわたしのこころに残り続けるのだった。
さようなら、愛しき温もり (アメジストの瞳がとても、懐かしくて)
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