理性オフ沼くんについての独断と偏見ある考察

理性がなくなったヤンデレって言われて、ふんふんなるほどわかるわかる!ってなるんだけど。
せりぬまくんで理性を無くすのは非常に難しいことに気付いた。
月成はそもそも理性がNAI

そもそも理性がNAIって御クソな発言したなぁ…(はなほじ

一生懸命、せりぬま?理性?OFF?って考えたけど、
全然わからん。

それこそ、ハイライト消して包丁持たせる?おk?みたいになっちゃう。
そもそも理性があるから病むと思っているし、
理性がなきゃ芹沼の場合病まずに済んだというメンタル弱者。

ワシ、メンタル弱い人好き!って言ったら、
友達に「相談したいと思うけど、すごい笑顔で話聞かれそう」って言われた。
周り見る目ありありすぎ。SORENA!って尽八ポーズで返した。

理性オフ沼…?
ルネサンスでは、理性と狂気は混在していたそうだ。
そこら辺は詳しくないので、美術だか文学得意な人のほうがよくわかると思うけど。
それが、古典だかなんだかに以降していくにつれ、狂気は理性と切り離されていくわけだ。
これは余談だけど。

理性と狂気の問題があるなら、理性の反対は感情ではなく、狂気なのかな?
反対って言うと、短絡的か。二項対立にされる、カウンターとして持ちだされる概念って言えばいいのかな?
若しくは、理性対感情、がそのままなら、狂気は感情なのかな?

感情的な人を見て、人は何を思うのかな。
子供っぽい?大人げない?常識がなってない?甘えた?

感情的の中に、狂気があるのかな。
さてはて。

ものすごーくちゃんとお勉強しないと、きちんとしたことは語れないと思うので、
まあどうでもいいんだけど。

要は、理性オフ沼ハッシュタグとは、って感じなのであって

感情沼?狂気沼?
芹沼くんから理性ちゃん取ったらどうなるの、これ?廃人じゃない?
ワシ、それ不安だわ…せりぬんは理性だけで動いている気がする
感情で動くと碌なことがないので、理性で動いている気がする
すごいわけわからなくなってきた

理性オフ沼かぁ
それって努力をやめるのかなぁ
せりぬまくんは自制と自省の男(健康的か、正しいかは別)だと思うので、
それってかなり理性的だなと思うわけで(失敗してるか成功しているかは別)
となると、自制と自省をやめるってこと?んん?もうそれって芹沼なの?

わたし、いつもこの問題に巡り合ってて、
月成と違って芹沼くんは芹沼くんとしての病み方をしているものだから、
彼から理性を取っ払って暴走させるって物凄く難しいんですよね

じゃあよくある発火装置として、目黒くんころしちゃいます、ってしても
芹沼くんは、もうそうなったらそれこそ廃人じゃないですか
勇気ある感情的なヤンデレなら復讐のひとつでもしてくれそうだけど、
彼の場合は、テレビの電源がぶつんって切れるみたいにして、彼の中で全てが終わってしまうと思うんです。
それって、もはや感情も理性も何もない、かの悪名高き某トミーで行われる前頭葉ぐちゅぐちゅさんしたあとみたいな。
例があまりよろしくないのはわざとなんですが、とにもかくにも、つまり彼から対象を奪うという事は、
要は脳にダメージを人為的に与えるみたいな、そしてそれがどれだけ問題を引き起こし世論を変えたかみたいな、理論を変えたか、認知を変えたか、みたいな話レベルなんですよ、彼にとって。
世間にとってはそうじゃないかもしれないけど、彼にとっての規模と、大きくこのお話で共有されるひとつの世間の世界観にとっては。

とにもかくにも、死ぬことも生きることも悲しむことも怒ることも泣くことも喜ぶことも出来ず、それって一体なんなのだろう、と思います。
心臓が動くだけ、ってどういうことなんだろう。
そう思うと、彼が人間として生きられる事の理由に目黒くんがいるんだろうなぁ、と。


あなたはぼくにとっての全て、が使い古され陳腐で消耗品であったとしても、
それは「ぼく」にとってはいつだって唯一の言葉と実体を得たものなのではないかと、思います。
そう思うと、わたしは非常にそれが綺麗だなぁと思うと同時に、わたしには出来ないし、よくわからないな、と思います。

よくわからないけど美しいな、とも思うし、ただそれって馬鹿げているとも思う。
それがそのバカバカしさこそが、普通の人間には出来ないものであり、だからこその魅力なんだけど。

話がめちょめちょ散らばった…。

理性オフ沼くんは、つまり、動かないお人形さんなのかな、と。
じゃあ、感情おん沼くんってすると、多分また変わる気がする。

そもそも一体、感情と理性の関係性がわたしにはわからないのです(おばか)
理性をオフにすれば、果たして感情は作動するんですかね。
要は、理性と感情は別物なのでしょうか。それがわからないのです。
脳科学に詳しい人に聞かないとわからないのかな。
理性を何を捉えるのかわからないので、わかりやすく脳だと過程して、
でも感情も脳だって言いますよね。
近頃「こころ」を脳だと捉える事も多いし。はいはい、脳還元主義。
さて、で、ってことは、理性=脳、感情=脳、三段論法を無理やり短絡的にぶち込むと
理性=感情になってしまう。
まあこれはマッチポンプにすぎないのですが。
ひとつ考えるのは、じゃあ脳が理性と感情を扱うのであれば、理性あるところに感情あり、感情あるところに理性あち、なのではないかと。
つまり、各々が独立して動くのではなく、理性の存在があるから感情が動き、感情が動くから理性が必要になってくるという、わかりやすく言えば(?)創造と破壊は表裏一体であるというような理論もアリなの?ってこと。


んん?そうなんです、そう思うと、
じゃあ、感情オン沼でも、それって理性オン沼と変わりなく、
それは結局いつものせりぬまくんなんじゃないの?とか。
なので、理性だけ、感情だけ、なんてありえなくて、分けられない位置で中途半端にだめだめなせりぬまくんこそが、はやりわたしのなかでせりぬまあすかなんだなと思うわけです。
月成は別なんですけどね。これ、月成は別軸で考えなきゃいけないので…。それに、月成のほうが非常にシンプルですね。流石、月成。内容は違うけれど、須藤くんくらいブレてないので、わかりやすいです。

ここまで来て、じゃあもう一回、理性オフ沼を考えたいんですけれど、
長くなったなぁ…

頑張って考えるけど、そうだな、ううーんとね、
WA KA N NE !

以上。


正解は本編で!とかして、どうにかこうにか宣伝していきたい。
びた一文にもならないけど、宣伝していこうとする商魂。
でも、びた一文にもならないから、商いではない。なんなんだろうか。
お金にならないことに精一杯になるというがんばりは、がんばっていないの一言で片付けられるので、世の中あまりにも厳しくて時々わたしは中央線に入りたくなる。中央線とズブズブの関係になりたくなる。
でも世間に迷惑をかけられないので、しないけど。それはどうでもいい。


理性オフ感情オン沼でしょう?
簡単にいえば、ツンが消えて、デレが出てくる感じやね(はなほじ
ヤンはっしゅたぐトハ
になっちゃうけど

ヤンってなんなんじゃーい
そう、わたしにとってヤンがヤンでありえるのは、理性オン感情オンだからこそなので、
大切な理性ちゃんが消えるとヤンになれないし(月成は別※重要

ヤンに大切なのは、その過程…その過程まで楽しむことこそが嗜好なのです…
結果ばかり求められる世の中で、ワシらに過程の素晴らしさを教えてくれる…ふぅ
あーもっとヤンデレ増えないかなぁ…しかも自分の好みのタイプのヤンデレ

ヤンデレか別として、過程という意味では折原臨也を抜くキャラを見たことがない。
完全にわたしのなかで折原臨也は永遠になってしまった。彼なくして人生を語れない。

ツンヤンのミラクルスターはわたしの中で伏見猿比古です。
伏見猿比古を超えるツンヤンがない、現在も探しているけど、いない。最高だ。

長い。

要約しよう(何度目の要約だろうか)

理性オフ感情オン沼のデレ沼っていうことは、
簡単に言って、掴んだ手を離してくれないという、非常にシンプルながら、
めちゃくちゃ面倒くさい沼くんに遭遇するという訳です。

いいですか、掴んだ手を離さない、を非常に厳密な意味で捉えてくださいね。
一日中手を離さないんですよ、わかりますか。
まともな生活は出来ません、迷惑です。
どうやってトイレでケツを拭けばいいんだ!どうやって風呂で髪を洗えばいいんだ!どうやって洋服を切ればいいんだ!?そもそも外に出るとき通行人の邪魔になるだろう!手を離して!(いやだ!)
厳密に考えてください。ヤンデレなんだから、普通に手を離さないのレベルに収まらないんですよ。
トイレもお風呂もお料理も着替えも寝るときも起きる時も転けるときも泣くときも笑うときもめちゃめちゃ狭い道通るときももうありとあらゆる時にずっと永遠に一生手をつながれるんですよ。
大 迷 惑 。


結論として、
大迷惑になる、
ということがわかったところで本日の考察をやめにします。

考察は常に行っているので、結論はパラダイムシフトすると思って下さい。
そういうものなのです。



2015/11/03 22:40