どうしても、思い出せない記憶がある。

 私の隣にはいつも誰かがいて、その人と共に穏やかで愛おしい時を過ごす記憶。とても大切な人のはずなのに、それ以上のことは何も思い出せない。顔も名前も……何もかも。
 ずっと昔から知っているような、でも出会ったばかりのような──そんな不思議な思いに駆られるあの人は、誰なのだろうか。









「ゼルダ! こんなところにいたんだ」
「え……あ、ナズナ?」

 動かなくなったシーカーストーンの真っ黒な画面をぼうっと眺めていたら、馴染みのある声が耳に届いた。声のしたほうに顔を向けるとナズナがこちらへ走り寄る姿が目に入る。その隣にはリンクもいて、久しぶりに二人揃ったその光景に思わず口元がほころんだ。

「どこにいるのかと思って村じゅう探しちゃった」
「すみません、行き違いになってしまいましたね……まさかこんな早く来てくれるとは思っていなくて」
「いいのいいの。ずっと村にこもってたからいい運動になったよ」

 息を切らしつつも笑顔で話すナズナの額には汗がにじんでいる。この様子を見るに、よほど急いでここまで来てくれたのだろう。リンクがハテノ村へナズナを迎えに行ってから数日しか経っていないことを考えると、このウオトリー村への道中もそれほど休んでいないのではないだろうか。
 ナズナは体力や筋力こそ普通の女の子と変わらないけれど、回復力はやけに人並外れているように思う。思い返せばガノンを倒すための旅路でも、睡眠や食事等の休息をとればすぐに体力は元通りになっていた。それこそ、鍛錬で鍛え抜かれたリンクと共に問題なく行動できるほどには。

「でもゼルダ、なんでここにいたの?」

 その体質を特に気にも止めていない──どころか気付いてさえいない様子のナズナは、物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡している。
 並外れた回復力を持つナズナ。研究者の性なのかその理由を解明してみたい欲が膨らむけれど、今は一旦それを押し込めて久しぶりのナズナとの会話を楽しむことにする。

「黄昏時の景色がとても綺麗なんですよ。ウオトリー村に寄ったときはここに来るのが習慣になっているんです」
「へえ、そうなんだ……! 黄昏時ならあと少し待てば見られそうだね」
「ええ。きっとナズナも気に入ると思いますよ」

 ナズナと距離が近いほど、ナズナと言葉を交わすほど春の木漏れ日のような光が心の中に差すのが心地良い。モヤモヤとしていた気持ちはすっかり晴れ、海風に揺れる髪を耳にかけ水平線へ重なりかけた夕陽を眺めていたら──

「ねえ、ゼルダってもしかして好きな人いる?」
「っ!?」

 なんて聞かれたものだから思わずシーカーストーンを落としそうになってしまう。

「なっ、なな……! 何を言い出すんですか!」

 慌ててナズナのほうを向くと、きらきらという効果音が聞こえそうなほど期待に満ちた笑顔を浮かべるナズナが私の顔を覗き込んでいた。その勢いに思わず一歩後ずさる。

「だって場所が場所だもん。景色以外にも目的があるんじゃないかなーって」
「それはっ……その……」

 そう思うのも当然だろう。何故ならここはラブポンド。ハートの形をしたこの池に恋愛成就の御利益があるという噂を知る人は多く、それはナズナも例外ではなかったらしい。
 確かにナズナの言う通りだ。実際私は"運命の人に出会える"という謳い文句に惹かれここに来たのだから。
 でも、記憶の彼方に眠る顔も名前も知らない人に運命じみたものを感じた──なんて妄想めいたこと話せる訳がない。ナズナなら信じてくれるとは思うけれど、信じる信じないではなく単に私が恥ずかしくてたまらないのだ。

 とりあえずこの状況から逃れようと、ナズナの少し後ろに離れて立っているリンクに助けを求める視線を向ける。私の前では以前のように模範たる騎士として振る舞うようになったリンクは、今も私たちの会話に水を差さないよう配慮していたのか存在感を消していたようだ。
 しかし幸いなことにリンクはすぐ私の意図を読み取ってくれたようで、苦笑いを浮かべながらナズナの肩を指先でためらいがちににつついた。

「ナズナ、姫様にあの話しないと……」
「話? ……あっ、そうだった!」

 リンクに促され何かを思い出した様子のナズナは「何から話せばいいかな……」と独り言を呟く。
 どうやら上手く話を逸らすことができそうだ。心の中でリンクに感謝し、ほっと胸を撫で下ろしていたら。

「私たち、これから一緒に暮らすことにしたの」

 そう言って、照れ臭そうにはにかんで笑うナズナの姿が"誰か"の姿と重なった。
 どきりと大きく跳ねた心臓が身体を揺らす。
 幸せそうにリンクと視線を交わすナズナの目は溢れんばかりの愛で満ちていて。それによく似ている目を、私はよく知っている。

 そう、あの記憶の中の"彼女"は確かにこの視線を向けていた。
 誰でもない──この私に。

「一緒に暮らすって言っても、しばらくは馬宿や村を渡り歩く生活になるみたいだけど──ってゼルダ? どうしたの?」
「え、あ……いえ! な、何でもありません!」

 突然脳内に浮かんできた記憶に動揺を隠せず言葉が詰まる。そんな私を不思議そうに見つめ首をかしげるナズナを見たら、無性に泣き出したい思いに駆られた。
 でも──その感情が何から来るものなのか、私には分からない。

「……おめでとうございます。リンク、ナズナ」

 ざわざわと波打つような心の内を見せまいと、無理やり笑顔を作ってみせた。
 水平線へ沈もうとする夕陽を背に、長く伸びる私の影へと視線を落とす。この黄昏時のラブポンドにどこからともなく姿を現した妖精たちが織りなす神秘的な光景。大好きな光景のはずなのに、何故か今の私にはそれを直視することができなかった。

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