「ふう……やっと終わった」

 ひとつ大きく息を吐き、額に滲む汗をタオルで拭いながら掃除を終えた部屋の中をぐるりと見回す。
 百年近く放置されていた私の家。どこもかしこも埃まみれだった室内は何日もかけて綺麗にして、劣化した家具は工務店の人に作り直してもらって。お陰でようやく人に見せても恥ずかしくない程度には片付いた、と思う。
 これなら小さな図書館としての役割は充分果たせそうかな、と私の生まれ育った家がみんなの憩いの場になることを思い浮かべたら、自然と笑みがこぼれた。

「ナズナただいま──ってびっくりした。綺麗になってる……」
「あ、リンクおかえり! 早かったんだね」

 少しだけ感慨にふけっていたら、いつの間にか調査から帰ってきていたリンクの驚く声が耳に入る。玄関に目をやると泥で服を汚したリンクが立っていて、その格好がやんちゃだった子供の頃の姿と重なって無性に懐かしい思いに駆られた。
 昔はよく二人そろって泥だらけで冒険してたっけ。そのまま家に入ろうとしたらお父さんとお母さんに怒られて──ああ、やっぱり手放すのは寂しいな。たくさんの思い出が詰まった大切な家だから。

 思わず込み上がりそうになった涙をぐっと堪え、それを誤魔化そうと天井を仰ぎ見る。でも、綺麗になったこの家を見て思い出に浸っているのは私だけではないらしく、リンクも部屋を見回しながら「懐かしいな」とぽつり呟いた。

「ここまで綺麗にするの大変じゃなかった? 言ってくれればオレも手伝ったのに」
「リンクは調査で疲れてるじゃない。帰ってきたときくらいちゃんと休んでよね」
「片付けくらい平気だって。前より体力増えたんだから」

 そう笑いながら右腕に力こぶを作ってみせるリンクに「全く……」と呆れつつも、また無事に帰ってきてくれた安堵から私の顔には笑みが浮かんだ。



 厄災ガノンの脅威が去り数ヶ月経ったある日、シーカー族の遺物は突然姿を消した。各地に点在していた祠もシーカータワーも──更には神獣でさえも。そしてリンクは今、その調査を執り行うプルアさんたちの補助をしながら再びハイラル中を走り回っている。
 ガノンを封印するという大役を終えた後、一息ついたと思ったらゼルダの護衛として各地方を巡り、加えて最近は消えた遺物の調査にまで協力する一日を送っているリンク。考えてみれば、回生の眠りから目覚めてから今に至るまでずっとハイラルを忙しなく駆け回りっぱなしだ。いくら体力があっても足りないくらいなものなのに、それを軽々とこなしてしまうのは流石ハイラルを救った勇者とでもいうべきだろう。
 でも、普段みんなから頼りにされているぶん私の前くらいはちゃんと息抜きしてほしい。私にとっては勇者である以前に大切な恋人なのだから。
──そんな思いが視線から漏れ出ていることに気付いたのか、リンクは私を安心させるようにふわりと笑った。

「ナズナ」

 そして甘えるようにそっと指を絡め熱を込めた視線を向けてくるものだから、私はいつものように静かに目を閉じる。すると優しく腰を抱かれ、ちゅっ、というリップ音と共に唇に温かい体温が触れた。
 久しぶりの口付け。今回は予定より早く帰ってきてくれたとはいえ何日も会えなかった寂しさがあふれ出し、思わず私もリンクの背中に腕を回す。

「ナズナ、服汚れちゃうよ」
「いいの。どうせ埃だらけだから」
「寂しかった?」
「……うん」

 私がおずおずと応えると、リンクはぎゅーっと抱きしめてくれた。おまけに頭まで撫でられて、まるで拗ねてしまったのをあやされている子供のような気分になる。どうやら甘えたかったのは私も同じだったらしい。それが可笑しくてくすくすと笑ったら、リンクも私につられて笑った。

「この家、もう引き渡すの?」
「うん。学校の完成には間に合わせたいから」
「そっか……それにしても、この村に学校ができるなんて思いもしなかったよ」
「本当にね。私もまさか自分の家が図書館になるなんて思いもしなかったもん」

 百年前は城下町のような大きな街でしか高度な学びを得ることはできず、地方に住んでいる者が学識を深めるためにはまず城下町に赴くところから始めなければならなかった。
 しかし大厄災の影響で城下町は壊滅状態になりハイラル城の図書室に保管されていた大量の図書は一部が焼失、残されたものも酷く劣化した状態にあった。その修復には膨大な時間と手間がかかることが予想されたため、今私にできることはと考えた結果、この自宅を図書館として村に明け渡すことに決めたのだ。
 今現在ハイリア人が最も多く暮らす村であるこのハテノ村は、ハイラルの復興において重要な要になる。たとえ私たちの代で完全な復興が叶わなくても、先人たちの知識や知恵を未来に繋いでいけば──きっといつかは。

「手放すのはちょっと寂しいけど……お父さんとお母さんも、きっと同じことをしたと思うから」

 私の言葉にリンクは優しく微笑み、私を抱く腕の力を少しだけ強めた。そして少しの間、二人共に感傷に浸っていたら、リンクが何かを思い出したように「そういえば」と口を開いた。

「一通り調査は終わったけど、やっぱり一万年前に作られたシーカー族の遺物はほぼ全部消えたと考えていいみたい」
「……そうなんだ」
「元々厄災を打ち倒す勇者のために作られたからその役目を終えて消えたんだろう、って。ワープ機能も備えてたし、急に消えてもおかしくないらしいよ」

 難しい話は分からなかったけどね、と付け足したリンクは既にこの事実を受け入れているようだった。祠の最奥で導師様たちが役目を終え消えゆく姿を何度も見てきたというリンクには、何となく察するものがあったのかもしれない。
 一方で私は未だ複雑な思いを引きずっている。リンクが英傑たちの魂を解放し、神獣たちがそれぞれあるべき場所に鎮座していた姿。それは皆が確かにそこに居た証明でもあったから──
 と、そんな後ろ向きなことを考えていたら表情が曇ってしまった。それに気付いたのか、リンクは再び私の頭を撫でる。

「ゆっくり受け入れていけばいいよ。神獣が消えたからって、皆がそこにいた事実は消えたりしない」
「リンク……」
「オレたちが語り継いでいく限り皆が生きた証は残り続ける。ナズナもそう信じてるから、この家を村の皆に譲ってくれたんでしょ」
「っ、うん……! そう、だよね」

 リンクの優しい言葉を聞いて思わず目頭が熱くなった。
 そうだ。ずっと後ろを向いてなんかいられない。大厄災を経験した私たちにしかできないことがある。あの悲惨な歴史を後世に伝えていくことが、犠牲になった皆のために──そしてハイラルの未来のためになるのだから。

「ごめん……ありがと。元気出た」
「ん、よかった」

 すると、私の背中を押すようにラネール山から吹き下ろす風が部屋の中を駆け抜けた。開いていた窓の外に目をやるといつの間にか空は夕焼け色に染まり、どこからか美味しそうな香りが漂ってくる。

「……もうこんな時間だね。そろそろ帰ろっか」

 私たちも夕食の準備を始めないと、と鞄に手をかけリンクの家に帰る準備をする。
 私の家がとても住める状態ではなかったから一時的に住まわせてもらっているリンクの家。いつもはひとりぼっちの帰宅だけど、今日はリンクがいてくれるから寂しさなんて感じない。
 今日は何を作ろうか。久しぶりに会えたのだから少し手の込んだ料理にしようかな、と浮かれ調子が戻り始めてきたところで、「ナズナ」と後ろからリンクに呼び止められた。

「なあに?」
「ちょっと……話がある」

 振り返ると真剣な表情のリンクと目が合う。こうやって話を切り出してくるのだからきっと重要な話なのだろう。だから私も背筋を伸ばしリンクの言葉に耳を傾けた。

「多分、これからしばらくこの村には戻れないと思う。今回もなるべく早く姫様と合流しないといけなくて」
「っ……そっか」

 ゆくゆくはそうなるだろうと思っていた。今まではなんとか時間を作って帰ってきてくれたけど、いつまでもそんな負担になることはさせられないと分かっているから。

「うん、分かった。怪我しないでね。私は……いつでも待ってるから」

 受け入れる覚悟はできている。だからせめてリンクに心配をかけないよう、無理矢理に取り繕って笑ってみせた──のに。

「え? いや、ナズナもオレについてきてほしいんだけど」
「……へ?」

 そんな想定外のことを言われたものだから思わず間抜けな声を上げてしまった。突然のことに戸惑う私とは対象的に、リンクは当たり前だと言わんばかりの態度で私を見つめている。

「なっ……なんで?」
「何でも何もオレは最初から連れていくつもりだったよ。ナズナはハテノ村でやることがあるって言ってたから、それが落ち着くまで待ってたんだ」

 それを聞いた途端、私の覚悟は何だったんだ、と一気に拍子抜けして文句のひとつでも言いたくなった。でも、リンクがそう思っていてくれたことが嬉しくて仕方がないから言わないでおこう。私も一緒について行っていいのなら、もうひとりぼっちでリンクの帰りを待たなくてもいいのだから。
 ただ、同時にずっと不安に思っていたことも頭をよぎる。そもそも私がハテノ村に残ろうと思った理由のひとつは。

「でも……迷惑かけるんじゃないかな。私が行っても、役に立てることがない……から」
 
 そう、私は厄災討伐に貢献したわけでもなくシーカー遺物に詳しいわけでもないただの一般人。そんな私がついて行ったら二人に余計な手間をかけてしまうのは目に見えている。だからせめてこの村で私にできることを頑張っていたのだから。

 自信の無さから語尾がだんだん小さくなり、最終的には口をつぐんでしまう。そんな私を見て、リンクは悲しそうに眉を下げた。

「役に立つとか立たないとかじゃなくて、ただオレが一緒にいたいんだ。それにこれ以上ナズナを待たせたくない。一応……『立派な騎士』になったんだから」
「──え、」

 その言葉を聞いた途端、私の中の大切な記憶が呼び起こされた。
 私たちがまだ子供だった頃、ハイラル城へ向かうリンクを見送った日の記憶。「立派な騎士になるまで待っていてほしい」という二人だけの小さな約束──

「覚えてて……くれたんだ」
「当たり前だろ。オレが言い出したんだから」
「本当に……いいの?」
「うん。ずっと待たせて……ごめん」
「リンク……っ!」

 押し込めていた感情が次々とあふれ出す。一度あふれてしまったらもう抑えることなんてできなくて、リンクにぎゅうっと抱きついた。
 ぽろぽろと勝手に流れ落ちる涙がリンクの服に染みを作る。でも、そんなこと気にもせずリンクは私をきつく抱きしめ返してくれた。



***



「……綺麗だね」
「うん、本当に綺麗……」

 すっかり日は落ち、タルホ池に舞うシズカホタルと夜空に輝く満月の光だけが私たちを照らす。池のほとりに腰かけ何をするでもなくこの幻想的な風景を眺めていたら、繋いだ手から伝わる体温で先程のことを思い出し、むず痒いようなくすぐったいような気持ちになった。
 思い返せば、よく家を抜け出してこのホタルが舞う光景を二人で見にきていたなあ、と追想にふける。あの頃とは色々なものが変わってしまった。でも、また二人一緒にこの同じ光景を見ることができた。それだけでも充分に幸せなことだけど──

 ちらり、とリンクのほうを見る。するとリンクが私の視線に気付いたのか、こちらを向いて照れ臭そうに笑った。

「急にあんなこと言ってごめん。ナズナだって村を出るにも準備は必要なのに……我慢できなくて」
「ううん……大丈夫。嬉しかった」

 頭をこてんとリンクの肩に寄せ、少し恥ずかしいけれど思い切って甘えてみせる。
 これからはリンクとずっと一緒にいられる。もう寂しい思いを抑えつける必要なんてない。そう思うとこれ以上なく幸せで、再び涙がこみ上げた。

「じゃあ改めて……これからもよろしくね、ナズナ」
「こちらこそ。よろしく、リンク」

 リンクが私を必要としてくれたのだから、私もそれに精一杯応えたい。
 待っているだけの日々は、これで終わりにしよう。

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