迷子になった私の手を引いてくれたあの男の子。知らない森の中で親とはぐれちゃって、心細くて怖くてひたすら泣いているだけだった私に優しく声を掛けてくれた。涙で顔はよく見えなかったけど、手から伝わる体温に凄く安心したっけ。

 あの時一回きりの出会いだったのに、幼い頃のその記憶を何故か今でも鮮明に覚えている。


***


 息を切らしながら必死に城下町を目指す。怪我をした脚が痛むけどそんなこと気にしている場合じゃない。だってあの黒い化け物に捕まったらきっと殺されるから。
 幸いにもこの身体は素早く動けるみたいだから、足を止めさえしなければ追い付かれることは無い……と思いたい。


 ハイリア湖の水が枯れたのが切っ掛けだった。今日は精霊様の泉に参拝する予定だったから様子だけでも見に行こうと思ってハイリア湖に向かって――そこで私の姿は猫に変わった。
 その現状を理解する前に気味の悪い化け物が襲ってきて、今に至る。


 何が起きているんだろう。空の色がおかしい。精霊様の気配が僅かにしか感じられない。城下町はどうなってるの? お父さんとお母さんは無事なの? 溢れそうな涙をぐっと堪えながら必死に逃げる。

 城下町に化け物を入れる訳にはいかないから上手く撒かないと、と走りながら周囲を見渡していたら突然身体が地面に叩き付けられた。

「ッ!!」

 私を押さえ付ける化け物の手。追い付かれた? 何で……と空を見上げると、空に開いた不気味な黒い穴から化け物が降ってくるのが見えた。嘘でしょ、こんなの逃げ切れる訳ないじゃない。

 化け物が力を強め、私の身体が軋む音が聞こえた。声を出したいのに掠れ声しか上げられない。胸を圧迫されて上手く息が吸えない。痛い。苦しい。
 ああ、ここで死ぬんだな――と諦めて目を閉じた瞬間、化け物の悲鳴と共にふっと身体の重みが無くなった。

「おい! 大丈夫か!?」

 人の声がする。良かった、誰かが助けてくれたんだ――と目蓋を上げると目の前には青い眼をした狼の姿が。
 あれ? と思い目だけ動かして周りを確認しても人の姿は見当たらない。じゃあさっきの声はどこから聞こえたんだろう、と再び狼に目を向けるとその狼は綺麗な目を見開いて固まっていた。私も状況が飲み込めず固まっていると、狼の後ろから変わった被り物をした子供がひょこっと顔を出した。

「おい、この猫さっき精霊が言ってたヤツじゃないか? オマエのこと見えてるし」
「え? あ、ああ。そうだな。なあ、立て……ないよな、その怪我じゃ」

 その子の声で我に返ったのか、狼が私に向かって話し始めた。喋る、というより頭の中に直接言葉が入ってくるような変な感じがする。
 動物の言葉が分かるなんて夢でも見てるんじゃないかと思ったけど、身体の痛みでこれが夢じゃないことだけは理解できた。私が猫の姿だから言葉が分かるのかな……現実離れしすぎて考えても良く分からないや。

 それよりもどんどん傷みが増していく脚を見て目を見開いた。かなり酷い裂傷になっている。確認する余裕も無かったし、とにかく必死だったから痛みに気付かなかったみたい。
 自分が走ってきた方を見ると道標のように血が垂れているから、どっちにしろ一人じゃ逃げ切れなかったかもしれないと思うとゾッとした。


「ミドナ、この子も一緒にワープできるか? 残りの雫は手当てした後に集めるから」
「別に良いけど……なるべく早く済ませろよ」
「あの、ありが……うわっ!」

 お礼がまだだったと思い口を開きかけたら突然黒い影に身体を包まれる。驚いて咄嗟に目を瞑って……暫くしてから恐る恐る目を開けると、いつの間にか綺麗な森の泉の中にいた。横になったままだったから全身びしょ濡れになっちゃったけど、嫌な感じはしなくて寧ろ気持ち良い。

「あれ? ここ……」

 見覚えがある……気がする。でもいつ見たんだっけ。空を見上げてみると綺麗な青空で、変な気配も感じない。ということは城下町から離れた場所なのかな。
 きょろきょろ辺りを見回していたら狼が心配そうに私の傷を覗き込んできた。

「ごめんな、今はこれで辛抱してくれ。少しはマシになると思う」
「? はい、ありがとうございます……って、うそ。治ってきてる」

 痛みが急に引いたのを不思議に思って傷口を見ると、あれだけの出血がもう止まっていた。その傷だけじゃない。地面に叩き付けられたときの打撲も治ってる。ここまで治癒が早いとは思っていなかったのか、狼も驚いた顔で私を見た。

「何驚いてんだよ、コイツも精霊の加護とやらを受けてるんだから当たり前だろ。さあ、早く戻るぞ」

 さっきの子が呆れた様子で狼に言い放つ。精霊の加護、って何のことだろう。でも、怪我が治るなら良かった。私が動けなくなるわけにはいかないから。


 ミドナって呼ばれてた子は急いでるみたいだし、これ以上待たせるのも悪いと思って立ち上がろうとしたら狼が言いづらそうに口を開いた。

「城下町の状況を見たら驚くと思うけど……少し覚悟しておいてくれ」



***



 街に溢れるおびただしい数の魂。誰も私達に気付かない。お父さんもお母さんも。

 怖くて悲しくて身体の震えが止まらなかった。何が起きてるんだろう。どうしてこんなことになったんだろう。昨日までは普通の日常だったのに。


「オマエ狙われてるらしいからちゃんと隠れてろよ? 捕まって利用でもされたら面倒だからな」
「……ミドナ」

 狼が睨んでミドナさんの言葉を諌めるけど、事実だからしょうがない。せめて邪魔にならないようにしないと、とは思いながらも頭の中がまだ整理できずにいる。


「直ぐ戻るから待っててくれ。ざっと見回ったけど街の中なら奴等はうろついてないから大丈夫だと思う」

 下を向きながらこくりと頷く。まだ震えは止まらない。また化け物に襲われるかもしれないと思うと恐怖心は消えなかった。
 二人は私達の為に動いてくれているのに当の私がこんなんじゃ駄目だ――と、ふわりと頬を何かが掠めた。何かと思ったら狼が私に頬を擦り寄せたようで、思いがけず至近距離に来た顔に心臓が跳ねる。

「大丈夫。ナズナは俺が護るから」

 彼は真っ直ぐ私を見つめる。その青い眼を見たら、何故かふとあの男の子のことを思い出した。迷子だった私を助けてくれた、あの男の子。
 どうして今あの子を思い出したんだろう。困惑していたら、ちょんっと鼻と鼻をくっつけられた。

「ッ!!??」

 思わず後方に飛び退く。口をぱくぱくさせながら狼を見るけど、彼は何でもないように平然としている。

「何かあったら俺を呼んで。直ぐ助けに来る」

 余りにも平然としてるから私の反応が馬鹿みたいで恥ずかしくなってきた。さっきのって動物の間では挨拶みたいなものなのかな……でも私人間だし。
 そのまま動揺した勢いで頷いた後、少ししてから気付いた。私、彼に名前言ったっけ。

「ねえ! 何で名前知って……」

 その答えを聞くことは叶わず、私が言い終える前に二人は走り去ってしまった。

 鼻先に残る彼の体温。どこか懐かしさを感じるのは何故だろう。ぼんやりとしながら、見えなくなるまで彼の後ろ姿を見送った。


 身体の震えがすっかり止まっていることに気付いたのは、それから暫く経ってからだった。

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