02

 パティスリー・ムクロジのテラス席でケーキを頬張るひとときは私の大好きな時間のひとつ。その大好きな空間は今、初めてジムバッジをゲットしたお祝いの席になっていた。
 甘くて可愛いケーキときらきら輝くジムバッジ。しかもグルーシャくんの奢りときたものだからいつもに増して美味しくて、夢見心地でケーキを口に運んだ。

「ジム一つ突破したし、これで目標達成だな」
「うん! 勉強に本腰入れる前に達成できてよかった……!」

 何かをやり遂げるってこんなに嬉しいものなんだ。他の皆からしたら単なる初めの通過点かもしれないけど、私にとってはジム巡り最初で最後の目標だったから。これで"次の目標"も諦めずに頑張れそう。

「でも、何度も挑戦してたからカエデさんに顔覚えられちゃって。嬉しいやら恥ずかしいやら……」
「負ける度にケーキ買ってくからだろ」
「っ! だって美味しいんだもん!」

 グルーシャくんはからからと楽しそうに笑い、コーヒーを一口啜った──と同時に眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌そうな顔をする。

「うう……やっぱ苦い」
「普段飲まないのにどうしたの? ケーキも頼んでないし」
「大会前だから。なるべく脂質は控えてる」
「そっか。大変だね……」

 グルーシャくんはただでさえ時間があれば練習ばかりしてるのに、それに加えて食事制限もしてるなんて。私だったら甘いもの控えるなんて耐えられないのにすごいなあ……っていうか私、食べるの我慢してるグルーシャくんの目の前でこんな呑気にケーキつついてていいの? 空気読めてない?
 と、この状況に後ろめたさを感じ、目下の食べかけのケーキとグルーシャくんを交互に見やると「なに?」と怪訝そうな視線を向けられた。

「ごめん、なんか罪悪感が……」
「なんであんたが気にするの。食べないなら奢ったぶん返してもらうよ」
「っ食べる! 食べます!」

 慌てて私がケーキを一口食べると、グルーシャくんは呆れたように溜め息をつき再びコーヒーカップに口をつける。でもやっぱり飲んだ後はしかめ顔。それが面白くて思わず吹き出したら、グルーシャくんはむくれた顔をした後にコーヒーをぐいっと一気に飲み干した。

「……っ!」

 「苦い」の言葉こそ発しなかったものの、案の定その味に身悶えている。何やってるのとジト目で見ると、グルーシャくんは飲み切ってやったぜとでも言いたそうな目を私に向けた。

 グルーシャくんって単純というか子供っぽいというか、結構可愛らしいところがある。最初は手の届かない存在だと思っていたのに、こういう一面を見せてくれるようになってからは単なる憧れだけじゃなく別の感情も抱くようになっていた。その感情の正体は、まだ私には分からないけれど。

「……意地っ張り」
「っ、あんたが挑発するからだろ……」
「してないもん。ほら、苺一個あげる。果物なら食べても平気でしょ?」

 口直しにと思って、ケーキのまだ口をつけていないほう半分をグルーシャくんの方に向ける。一瞬すごく動揺してた気がしたけど、「食べないの?」と促すと視線を泳がせながら苺を指でつまみ口に入れていた。

「大会終わったら私が奢るね。色々とお礼したいから」
「お礼? されるようなことしたっけ」
「何言ってるの。ボールくれたしバトルだって教えてくれたじゃない」

 それだけじゃない。グルーシャくんに初めて出会ったときに言われた"ブリーダーに向いている"という言葉。そのお陰で、私は初めてやりたいと思えることを見つけることができたのだから。

 グルーシャくんにとっては些細なことだったのかもしれないけれど、私にとっては本当に大きな転換点ともいえる出来事だった。
 自分の適性も分からず、"みんながやっているから"とただ右にならえをするだけだった私。でも、あれ以来まるで深い霧を払ったかのように一気に視野が広がった。
 まだグルーシャくんみたいに明確な夢がある訳じゃないけれど、方向性が決まっただけでもアカデミーでの生活がすごく楽しく思えるようになって。今はポケモンの育成や生態に関する授業を中心に受け、ブリーダーの資格を取るための勉強を始めている。そして実技練習も兼ね、たまにグルーシャくんのポケモンたちのお手入れもさせてもらっているのだ。 



「──それにしても、大会があるってことはしばらくバトルはお休みになるんだね。みんなのストレス解消法考えておかないとなあ……」

 華やかに飾られた真っ白なクリームをフォークで掬い口に運ぶ。甘すぎず、それでいて濃厚なクリームが口の中で雪のように溶ける様はグルーシャくんのポケモンたちとの触れ合いを想起させた。
 流石学年トップのトレーナーのポケモンとでもいうべきか、みんなはバトルが大好きで。でもその欲求を満たすには私じゃ実力不足すぎるから、グルーシャくんが忙しい大会期間中は暇そうな顔や残念そうな顔をたくさん見ることになっていた。
 それをグルーシャくんも思い出しているのか、苦笑しつつ、でも嬉しそうに口を開く。

「あんたのお陰でみんな調子良いからさ、戦わせろって圧がすごいんだぜ」
「あはは……想像できる」

 でも、みんながグルーシャくんと一緒にバトルを楽しむ手助けになっているのならこんなに嬉しいことはない。鈍臭くて何もできなかった私が誰かの役に立てるなんて、今まで絶対になかったことだったから。


「──さて、ご馳走さまでした。あー美味しかった!」

 浮かれた気分のままあっという間に最後の一口を食べ終え、ぱちんと手を合わせる。今日はお土産にクッキーを買って帰ろうかと思いながらバッグに手をかけたら、何やらグルーシャくんがそわそわと落ち着きなくスマホを弄っていることに気が付いた。

「どうしたの?」
「……あのさ、これから予定ある?」
「? ないけど……」

 よく見ると、グルーシャくんの頬がほのかに赤く染まっている。視線は私に向けず手元のスマホロトムに落とし、でも何か操作するでもなく言い淀む。
 いつもストレートにものを言うグルーシャくんにしては珍しいな、と思いつつ首を傾げ言葉を待っていたら、意を決したように口を開いた。

「前、スノボやってるとこ見たいって言ってただろ。これからすべりに行くから、良かったら──」
「っ行く! 見てみたい!」

 それはグルーシャくんからの今までにないお誘いの言葉だった。今までは見たいと言っても良い返事はもらえなかったのに、急にどうしたんだろう。
 でも、彼が夢中になる白銀の世界をこの目で見られると思うと居ても立ってもいられなくて。半ば食い気味に返事をした──まではよかったけれど。






「さっ……寒ぅ!」

 当然だけど、雪山というものは美しさもさることながら寒さが厳しい世界で。流石に私も知識として知ってはいたけれど、何せホウエン地方には雪が降らない。ポケモンが技や特性で降らせた雪にしか触れたことのない私には、雪山の寒さというものは全く未知のものでしかなかった。

「あ、そうだヒノヤコマ……!」

 かじかむ手でぎこちなくボールを投げる。飛び出してきたヒノヤコマは私が寒さで震えているのを見て心配そうに鳴き、慌ててぴたっと寄り添ってくれた。

「あぁーあったかいぃ……!」

 セルクルジム対策でヤヤコマから進化させておいてよかったと身に染みて思う。
 特性が"ほのおのからだ"のこの子は、ボールの中にいただけでもほのかに暖かかったけど出してあげたら比べ物にならないほど暖かい。申し訳ないけどしばらく外に出ていてもらおう。

「ごめん、あんたがそんな寒がりとは思わなくて……」
「っ、気にしないで! グルーシャくん防寒着貸してくれたしヒノヤコマもいるし、もう平気だから!」

 こっちはこっちでグルーシャくんが凄く申し訳なさそうにするものだから、ぶんぶんと首を横に振って慌ててフォローする。私が雪山舐めてただけだから気にしなくていいのに。

「平気ならいいけど……あんまり端っこ歩かないほうがいいよ。崖あるから」
「ひっ……わ、分かった!」

 さらりと怖いことを言われて変な声が漏れた。確かにこのナッペ山は急斜面や崖が多い。いくらスマホロトムの安全機能があるといっても、うっかり足を踏み外さないよう気をつけるに越したことはないと思う。
 私がよく知る緑の山々とは全く違う景色。気を抜いたらこの大自然に飲み込まれてしまいそうで、思わず足がすくみそうになった。

「ねえグルーシャくん、動画で見たけど、こんな崖みたいな急斜面を滑ったり跳んだりするんでしょ? 安全機能が発動しちゃうんじゃ……」
「スノボやってるときは誤作動起こすから切ってるよ。練習にならないだろ」
「へ、へえ……そうなんだ」

 聞いているだけで心臓がひゅっとするけれど、日々雪山を相手にしているグルーシャくんにとってはもう慣れたものなんだろう。表情を固くする私とは対照的に、グルーシャくんは涼しい顔で滑る準備をし始めている。それをヒノヤコマと一緒に眺めていたら、「そういえば」とグルーシャくんが何かを思い出したように口を開いた。

「あんたってポケモンに乗って空飛んだことある? 空飛ぶタクシー以外で」
「? ないけど……」
「そっか。じゃあチルタリス、あんまりスピード出すなよ」

 そう言ってグルーシャくんがチルタリスをボールから出すと、チルタリスがひと鳴きし私に背を向け綿のような翼を広げた。そしてそのまま顔だけ振り返って、「乗って」と言いたそうな視線を私に向ける。
 あ、そっか。練習風景を上空から見せてくれるんだ。凄いスピードで滑るらしいから、多分あっという間に見えなくなっちゃうし。

「よろしくね、チルタリス」

 チルタリスの背にそっと跨る。シャンプーやブラッシングでいつも触れてはいるけれど、チルタリスの羽毛に包まれる経験なんて生まれて初めてで。まるで雲の上にいるかのような心地良さと暖かさにうっとりと身体を埋めた。
 そしてチルタリスが翼を羽ばたかせると、柔らかな衝撃と共に私の身体は浮遊感に包まれる。咄嗟にぎゅっと目を瞑り、体勢が安定した後に恐る恐る目を開くと──眼下に広がるのは一面の銀世界だった。
 幾重にも連なる山の尾根も遠くに見える渓谷も、全てが深い雪に覆われ陽の光を反射しきらきらと輝いている。そのあまりにも美しい光景に、寒ささえ忘れて感嘆の溜め息が漏れた。

「綺麗……」

 生まれ育った温暖なホウエン地方では決して見ることのできない光景。先程まで恐ろしいと思っていたこの雪山も、目線を変えればこんなにも人の心を惹きつける。グルーシャくんがこのナッペ山を好きだと言っていた理由が分かった気がした。

「──ん? どうしたの、ヒノヤコマ」

 雪景色にすっかり見入っていた私の周りを突然ヒノヤコマが飛び回り、何かを伝えるようにさえずった。視線を辿ると、グルーシャくんがこちらに向かい手を振っているのが遠目に見える。どうやら滑る準備ができたことを教えてくれたみたい。
 「ありがと」とヒノヤコマにお礼をして手を振り返すと──それを合図に、グルーシャくんは雪の斜面を疾風のように滑りおりた。

「──っ!」

 思わず言葉を失ってしまうほどに一瞬で視線を奪われた。雪煙が舞い、冷たく真っ白な美しい世界を力強く華麗に滑る彼の姿に。
 まるで空を駆けるかのように宙を舞い、臆することなく急勾配の雪肌を疾駆する。雪山を知り尽くしているからこその滑り。この大自然の美しさに引けを取らないほどの存在感を放つ彼が、私の脳裏に鮮明に焼き付く。
 ずっと彼の姿を見ていたい。そんな思いが、強く強く心に残り続けた。
 


***



「凄いよグルーシャくん! 凄いスピードなのにあんな身軽に跳んで、でも滑ってるときは力強くて凄く雪が舞って……!」

 滑り終えたグルーシャくんの元へチルタリスが降り立つと、私は興奮さめやらないまま矢継ぎ早に話したてた。その昂りで語彙が貧弱になる私を愉しげに眺めながら、グルーシャくんはチルタリスをひと撫でする。

「興奮しすぎ。凄いって何回言うんだよ」
「だって本当に凄かったんだもん!」

 グルーシャくんの笑顔は自信に溢れていた。それも当然だと思う。だって、彼はこの滑りを裏付けるほどの努力をずっと重ねてきたのだから。
 ひとつの目標に向け己を高め、真っ直ぐ突き進む彼の姿に憧憬の思いが湧き上がる。それは強烈に、猛烈に私の心に深く根を張った。

「私、今日のこと絶対忘れないから! グルーシャくんの滑りも、このナッペ山の景色も!」
「……このくらい、いつでも見せてやるけど」
「本当? ありがとう!」

 照れ臭そうに頬を染めるグルーシャくんの隣で、私の頬も赤く染まった。

 グルーシャくんならきっと次の大会も優勝できる。
 私はそう信じて疑わず、ナッペ山の頂を見上げ晴々しい気持ちで白い息を吐いた。



back

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -