どうやら、ぼくが休んでもジムの仕事は回るらしい。
 アヤメに促され脚が痛むことをスタッフに伝えたら、全員から「気にしないで休め」という旨のことを言われてしまった。ジムリーダーは替えがきかないから、休むわけにはいかないと思っていたのに。
 流石にバトルは後日改めてということになったけれど、挑戦者の人にはちょっと引くくらい心配されて、応援に来ていた人たちからは何故か両手で持てないくらいのお見舞いのお菓子を貰って。文句のひとつやふたつ絶対に飛んでくると思っていたのに、それどころかむしろ心配してくれるみんなの反応に首をかしげていたら、アヤメが少し目を赤く潤ませながら笑っていた。







「みんな……優しいんだな」

 晴れ渡る青空をぼんやりと見上げながら呟いた言葉は、白い息と共に空に溶けていった。

 休みを貰って一日目。昨日のみんなの反応に肩の荷が下りたのか、無性に部屋の外に出たくなった。でも無理はできないから、バトルコート前のベンチに座りみんなを自由に遊ばせている。脚に負担がかからないよう、少しの間だけ。
 でも、チルタリスは遊びもせず羽でぼくを包み込んだまま離れようとしない。理由は分かっている。昨日、脚が痛むのにぼくが無理をしたからだ。チルタリスはあの事故の当事者だから、思うことがあるのだろう。だからお詫びに存分に甘えさせてやろうと抵抗せずにいたら、ぼくの上半身はもふもふの羽にすっかり埋もれてしまう。そしてチルタリスは不満たっぷりの視線を向け、まるで何かを喋っているかのようにさえずった。

「うん……分かってる。ごめんね、チルタリス」

 きっと「何で無理したんだ」と言いたいのだろう。そしてそれに賛同するように、ベンチの横で休んでいるハルクジラも低く唸る。するとナッペ山の山頂一帯にびりびりと音の振動が伝播して、近くにいた野生のクマシュンたちは驚いて逃げ出してしまった。

 ジムのオープン初日からの連戦に加え、ナッペ山の身にしみる寒さ。どうやらそれが知らぬ間にあのときの怪我に響いていたらしい。
 テラスタルを発動するときは身体に反動がくることは知っていたのに、その影響を見誤っていた自分自身への苛立ちと未だ思うように動いてくれないぼくの脚。それはジムリーダーという立場になったぼくに焦りを感じさせるには充分すぎるほどだった。
 怪我の痛みがあのときの記憶を呼び起こし、否が応でも心に暗い闇が落ちる。怪我でスノーボーダーの夢を絶たれたぼくにとって、ジムリーダーであることは新しい存在意義であり大切な居場所だ。もし怪我のせいで戦えないなんてことがバレてしまったら。また失望されるんじゃないか、今度こそ完全に居場所を失ってしまうんじゃないか。そう思うと怖くてどうしようもなくて、あんな無茶をしてしまった。

 でも──

「もう無理はしないよ。みんなに心配かけるって分かったから」

 まだ疑いの目を向けてくるチルタリスに言葉をかけると、納得してくれたのか大人しくなってくれた。まだ少し不服そうではあるけれど。
 これから少なくとも怪我に関しては一人で抱え込まないようにしよう。現役時代の感覚が抜けてなかったけど、今の仕事はスノーボードと違って個人戦じゃない。チームで働いているのだから少しはみんなに頼っていいのかもしれない。それを気付かせてくれたのは──

 チルタリスの羽の隙間から、みんなと一緒にボールで遊ぶアヤメを眺める。ぼくが無理をできないぶんアヤメが息を切らしながら走り回っている姿を見て、トクトクと胸が温かく鼓動を刻んだ。
 アヤメがあんな大声を上げて怒るなんて思ってもいなかったから面食らったけど、その理由がぼくを思ってのことだったからか嫌な気持ちはしなかった。むしろいつもより踏み込んでくれたような気がして気持ちが昂って……というか、

「……だめだ、忘れよう」

 余計なことまで思い出してしまいそうになったから慌てて記憶に蓋をする。恥じらいで悶えそうになる衝動をなんとか押し殺して、アヤメから隠れるようにチルタリスの羽の中で俯いた。
 そもそも昔からぼくは考えるより先に体が動くタイプだった。事故の後からは逆に考えてばかりで行動に移すことが減ったけど、アヤメと再び接するようになってからは時折昔の癖が顔を出すようになってしまっている。だから昨日はあんなことをしてしまった訳で……ああもう、迂闊にも程がある。アヤメのことを信頼しているのは確かなんだ。自分で蒔いた種とはいえ誤解されている現状、それだけでも知ってほしかっただけなのに。

 そんな言い訳とも言えない自己弁護を頭の中で悶々と繰り返していたら、隣にいたハルクジラが少し高めの声をあげた──と思ったら、ぼくの足元に突然ぎゅうと何かがしがみつく。それと同時に触れられた箇所にひやりと冷気が伝わり、思わず変な声が出た。

「なっ何……どうしたの、ハルクジラ」

 脚に触れる冷気の感じがハルクジラに似てるけど、ハルクジラはぼくの隣にいるはずだ。誰がくっついてるんだろう。
 視界がチルタリスの羽に遮られ何が起きているのか分からない。頭に疑問符を浮かべつつ目の前の羽をかき分けるとぼくの目の前には、

「……アルクジラ?」

 ホエ、と悲しそうな声をあげ、脚にしがみついたままじっとぼくを見つめるアルクジラがいた。ところどころ怪我をして弱っているのか、ふらふらと今にも倒れてしまいそうだったから慌てて手を差し出す。

「大丈夫──って、重っ……」
 
 そういえばぼくは脚を痛めてるんだった。脚に負荷がかかりそうになって焦ったけど、その前にハルクジラがアルクジラの身体を支えてくれたお陰でなんとか痛みはしなかった。ハルクジラとチルタリスが心配そうに鳴くと、アルクジラは弱々しい声でそれに応える。
 早くポケモンセンターに連れて行かないと。でも、やけに人慣れしてるみたいだし野生じゃなくて誰かのポケモンなのかな。だとしたら近くに持ち主がいるはずだけど──と周囲を見回すけど、ここから見える範囲には持ち主らしい人は見当たらない。

「っ、探すより治療が先か……ハルクジラ、お願いできる?」

 ぼくが頼むとハルクジラはひょいとアルクジラを抱え上げ、のしのしとポケモンセンターに向かった。そしてこちらの騒動に気付いたのか、アヤメたちも急いで駆け寄ってくる。

「グルーシャくん、その子……」
「あんたはアルクジラについててあげて。ぼくは念のため救助隊に連絡しておくから」
「うん、分かった!」

 ナッペ山ジムは登山者の避難所も兼ねる性質上、救助隊とは密に連絡を取り合っている。アルクジラが怪我や遭難をした主人の助けを呼びにきた可能性も否定できないから、万が一を考えておいたほうがいいだろう。
 スマホを取り出し急いで救助隊へ電話をかける。コール音が響く中、あのときの事故でぼくを庇って酷い怪我をしたチルタリスを思い出し胸がズキンと痛んだ。



***



「え……野生だったの? あのアルクジラ」

 驚きの声を上げるぼくの前で、アヤメは神妙な面持ちでこくりと頷いた。救助隊からも今のところ怪我人や遭難者を発見したという連絡はなく、ほっとしたと同時に腑に落ちない思いにも駆られる。
 アルクジラは野生でも人の側に寄ってくる人懐っこいポケモンだ。でも、怪我をしたら大抵のポケモンは姿を晒さないよう隠れる習性がある。いくら人懐っこいとはいえ、あんなに弱っていたのに警戒心もなく人に近付くとは思えない。
 どうにも釈然としない気持ちが顔に出ていたのか、ぼくの疑問に応えるようにアヤメは話を続けた。

「私もおかしいなって思ったの。かなり人に慣れてるし、野生じゃ覚えない技も覚えてたから。それで……その、」

 アヤメが言い淀んで目線を下に向ける。その様子から、この後に続く言葉が良いものではないということが分かる。そしてややあって、重い口を開いた。

「あの子……多分、捨てられたんだと思う」

 その言葉に昔の記憶がフラッシュバックした。トレーナーに見放されたアルクジラ。その姿が世間から見放されたあのときのぼくの姿と重なって、思わずぐっと唇を噛みしめる。

「だから、このジムで引き取ってお世話しようと思うんだけど……」

 アヤメの話を聞きながら、病室で治療を受けているであろうアルクジラのことを思い浮かべた。
 あんな怪我をして、ひとりぼっちで雪山を彷徨い必死に助けを求めて。どんなに心細かったか、悲しかったか。そう思うと居ても立っても居られなくて、反射的に心の声が口から出た。

「ぼくが世話するよ、アルクジラのこと」

 放っておけなかった。同じ痛みを持つ者として。
 今まで氷タイプのポケモンは沢山見てきたし育成だってしてきたから、あのアルクジラにも最適な環境を与えてあげられる自負はある。それに何より、人に見放された心の痛みを癒してあげたかった。

 突然のぼくの言葉に、アヤメは一瞬驚いたような表情をしたけれど──すぐに嬉しそうな顔になり、「ありがとう」と優しく微笑んだ。



***



「あんた、ボール嫌いなの?」

 ジムの病室の中、治療を終えたアルクジラを手持ちに加えようと空のボールを差し出したらイヤイヤと部屋の隅に逃げられてしまった。でも仲間になりたくないわけじゃないらしく、ボールを隠すと嬉しそうに跳ねて寄ってきて、また見せると困ったように少し後ずさる。

「形だけでもぼくに捕まってくれないと色々不便なんだけど……」

 と口では言いつつも、アルクジラの仕草に癒されるからかいつもより表情が緩んでしまう。おいで、と手を広げたらにっこりと笑顔を浮かべぼくの元に駆け寄ってくれる姿が健気で可愛くて、うっかり脚の痛みも忘れてしまいそうだった。

「まあ……いいか。どうせ脚の痛みが引くまで遠出しないし」

 ジムの中と周辺までなら連れ歩きで問題ないか、と結局ぼくが折れることになる。やれやれとばかりに軽い溜め息をつくと、アルクジラはぼくの顔を覗き込み楽しそうに鳴いた。そんなアルクジラの頭を撫でながら、アヤメがくすくすと笑う。

「遠出どころか、ずっとジムに篭りっきりだったのに」
「……たまに買い出しには行ってるよ」

 まるで引きこもりみたいに言われて少し不貞腐れたら余計に笑われてしまった。こんな何でもない会話で口角が緩むのはどうしてだろう。表情の変化をアヤメに悟られないようにマフラーをぐっと上げ、逸れた話題を元に戻す。

「ボールに入るかどうかはアルクジラに任せるよ。ぼくが出掛けるときは……あんたに預ければいいよね」
「うん! 任せといて。美味しいポロック、またいっぱいあげるからね」

 ポロックという言葉に反応してアルクジラが嬉しそうに飛び跳ねた。どうやらこのアルクジラもアヤメのポロックが好きみたいだ。
 楽しそうに笑顔を浮かべるふたりを見ていると自然と心が穏やかになる。春の木漏れ日のような居心地の良い暖かさ。

 ジムリーダーになって色々な出会いがあって、みんなの優しさに触れて。少しずつではあるけれど、ぼくの中で確実に何かが変わり始めているのを感じた。

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