アヤメはポケモンにも人にも優しいし努力家だし真面目で良い子だと思う。バトルの腕前は中の下……どころか下から数えたほうが早いレベルだけど、だからといってそれが友達を作るにあたって致命的な欠点だとは思わない。
 実際、ぼくと関わるようになってからアヤメの周りには人が集まり始めている。誰とも話さないから転入初日にとっつきにくい印象を皆に与えてしまっただけで、それが誤解だと分かってからは皆との会話も増えアヤメもすっかりこのクラスに溶け込んだ。

 だからぼくは、何でアヤメに友達がいなかったのか不思議でならなかった。






「生息地は主に人里離れた山奥、寿命は……百年!?」

 アカデミーの図書館でポケモン生態学の課題レポートを書きながら、ぼくは思わず素っ頓狂な声を上げた。
 図書館と言っても、アカデミーのエントランスから繋がるオープンスペースであるこの場所は私語厳禁という訳ではない。でもぼく以外に自主学習をしている学生もちらほらと見えるから、一応周囲を気にして声のボリュームを抑えた。

 ポケモンの生態について図書館の文献をもとにレポートにまとめる、という課題はこの授業ではお馴染みのものだ。好きなポケモンを六匹選んで調べろとのことだから、とりあえず五匹は今のぼくの手持ち、残る一匹は誰にしようと思っていたらふとアヤメのアブソルが頭をよぎって──今に至る。

 アブソルはパルデア地方には生息していないからか、図書検索アプリでピックアップされた参考文献はそれほど多くない。でもホウエン地方で出版された図書が数冊所蔵されているようだったから、それを読みながら行ったこともないホウエン地方に思いを馳せた。
 パルデアと同じように自然が豊かなホウエン地方。ただ自然災害に襲われることも多く、陸地や海を生み出したポケモンの神話が残っているのも自然を畏れの対象とし古くから共存してきたからなのだろう──そんな内容が書かれたページをぺらぺらとめくっていたら、とある挿絵で目が止まった。

「これ……アブソルか?」

 それははるか昔ホウエンで起きたとされる超古代ポケモン同士の戦いについて記載されたページ。アブソルの挿絵の注釈には『わざわいポケモン。その姿を見ると災いが起きると言われている』と書かれていた。本文に目を通すと、そのポケモンたちの戦いによる大規模な自然災害に襲われた全ての人里では必ずアブソルの姿が目撃されていた──というにわかには信じがたい内容が。
 まるで自然災害の引き金はアブソルだとでも言いたそうな恐ろしい見た目で描かれた挿絵は、ぼくが唯一知るアヤメのアブソルの姿とはかけ離れている。その異質な姿に、強烈な違和感と嫌悪感を覚えた。

 何を言ってるんだこの本。アブソルが? そんなことあるわけない。だってアヤメのアブソルはこの本で言われているような不吉の象徴とは正反対の目をしていた。
 傍から見てもアヤメのことを信頼し、穏やかな気性だと分かる優しい目。アヤメも同じようにアブソルを家族のように心から大切に思っているのが分かったから、だからぼくはふたりに興味を持ったんだから。

 この記述は何かの間違いに決まってる。慌ててもう一冊持ってきていた本を手に取り、索引からアブソルのページを探していたら、

「グルーシャくん、隣いいかな?」
「っ!?」

 背後からアヤメに声をかけられた。
 突然だったうえに調べている内容も内容だから必要以上に驚いて心臓が思い切り跳ねる。そんなぼくの様子にアヤメは首をかしげ、視線をぼくから机の上に置かれた本へと移した。

「……この本、」

 アヤメの表情が一気に曇る。この様子だと、アヤメもこの本の内容を知っているに違いない。
 まるでこの場の空気に亀裂が入ったような感覚に陥る中、アヤメは唇を噛みしめた後ゆっくりと口を開いた。

「アブソルのこと……どう思った?」

 それは落ち着いているけれど、嫌に冷たく心の奥に落ちるような声だった。
 いつものアヤメからは考えられないその声色に一瞬怯んだものの、それを悟られないよう慎重に言葉を選び応える。

「いや、ただの迷信だろ? アヤメのアブソル見てたらそのくらい分かる」

 内心、かなり緊張が走っていた。言葉を間違えたらきっとアヤメを傷付ける。普段はあまり言葉なんて選ばないぼくだけど、流石にそれくらいは理解できた。

「……そっか」

 ぼくの言葉に安心したのか、アヤメの強張っていた表情が緩んだ。それにつられぼくまでほっと胸を撫で下ろす。するとアヤメは本を後ろの方までめくり、奥付のページを開き手を止めた。

「ここ見て。この本の初版が出版された年」

 言われるがままアヤメが指差す文字に目を向ける。そこに書かれていたものは、ほんの十数年前にこの本が出版されたということを示す文字の羅列だった。
 でも、だからといってそれがアブソルと何の関係があるのか分からない。「どういうこと?」とアヤメに問うと、アヤメは眉を下げぽつりと語り出す。

「ホウエンでは、アブソルが災いをもたらす存在だって……つい最近まで信じられてたの。それこそ、こうやって正しい情報かのように本に記載されるくらいには」

 その話を聞いて、点と点が繋がった。
 姿を見ると災いが起きる。そんな迷信が現代にも蔓延っているならば、アブソルとアヤメがどんな立場に置かれていたかなんて容易に想像できる。

 だからアヤメには、友達が──いなかった。

「……お父さんとお母さんにも、私が病気がちなのはアブソルのせいだって言われちゃって。身体が弱いのはアブソルと会う前からだったから、そんなはずないのにね」
「っ!? 身体が弱いって、」
「今はもう平気だよ。アブソルのせいにされたくないから必死で治療法を調べたの。そしたらタンバシティってところで──って、この話は恥ずかしいからいいや」

 あはは、とアヤメは困ったように照れ笑いをしているけど、アヤメが病気がちだったなんてさらりと重要なことを言われ酷く動揺した。ぼくはアヤメの過去を何も知らない。それをまざまざと見せつけられ、何故か無性に歯痒い気持ちになる。
 そんなぼくの複雑な心境を知る由もなく、アヤメは話を続けた。

「アブソルだってみんなと同じ普通のポケモンなのに、私の話なんて誰も聞いてくれなくて。どんなに頑張っても人の心は簡単に変えられないって思い知らされたから……だから我儘言ってこのアカデミーに転入したの。パルデアにはあんな迷信なんてないし、アブソルにも友達ができると思って」

 明るい調子で話してはいるけれど、その言葉の裏にアヤメの様々な苦労や努力が積み重なっているであろうことは想像に難くない。思い返せばアヤメが誰とも話さなかったのも、アブソルが人見知りをすると言っていたのも、"普通"にこだわっていたのも。全部過去のことがあったからなんだろう。
 周囲から孤立し非難の目を向けられても、それでも自分だけはアブソルの味方であり続け、"普通"を経験させてあげたい一心で故郷を離れ遠く離れたパルデアにたったふたりで訪れた。そんな過去を持つアヤメだからアブソルと接する笑顔があんなにも優しさで満ちていて。だからぼくはそれに惹かれて、気付けばアヤメを目で追っていたんだ。

 アブソルを想うアヤメの気持ちが、眩しいほどのふたりの絆がぼくの心を揺らした。鼓動が速くなるのが分かる。アヤメのことをもっと知りたい。そんな衝動が、身体の中を駆け巡った。

「……ぼくがバトル教えてあげる」
「え?」

 気付けばそんなことを口走っていた。突然のぼくの言葉に目を丸くするアヤメに、畳み掛けるように言い聞かせる。

「バトルできるようになれば友達も作りやすいだろ。ここならアブソルに変な先入観持ってる奴もいないし、あんたも気楽に戦えると思う」
「気楽に……」

 ぼくの言葉を繰り返すアヤメの目に期待の火が灯るのを見て確信した。アヤメはバトルが苦手だけど嫌いなわけじゃない。ポケモンを攻撃することへの恐怖心が足枷になっているだけで。
 それなら、もう迷うことなんてない。

「ジム巡りだってせっかく始めたんだ。バッジ一個くらいは取りたいと思わない?」
「……っ、取りたい!」

 アヤメはつい先日からブリーダーの資格を取るための勉強を始めたようだった。だからジム巡りは諦めたらしいけど、ぼくからしたらそんなの勿体ない。アヤメはもっと自信を持つべきだ。今まで頑張ってきたのだから、せめてこのアカデミーでは目一杯楽しんでほしい。

「その代わりぼくのポケモンたちの世話、たまにしてもらうから。資格試験は実技もあるし丁度いいだろ」

 こういう交換条件にでもしないとアヤメはどうせ遠慮するだろうから先に逃げ道を潰しておく。そうまでしてアヤメを繋ぎ止めておきたい理由は分からないけど、これでアヤメと二人きりで会う口実ができたと思うと胸が弾むようだった。

「うん……! ありがとう、グルーシャくん!」

 ぼくが何を考えているのかなんて知りもせずに、アヤメは目に薄く涙を浮かべ感謝の言葉を口にする。心の隅に少しだけ生まれた罪悪感なんて忘れてしまうほど、アヤメのその笑顔が、言葉がぼくの心を満たしていく。

 スノボの大会で優勝したときともポケモンバトルで勝利したときとも全く違う高揚感。
 この思いの正体に気付くのは──何年も後のことだった。

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