「ありがとうございます。お陰で助かりました」
ぺこりと頭を下げ彼にお礼の言葉を言う。しかし、相も変わらず彼は無言のままだ。不機嫌そう……というより、どこか怒っているように見えるのは気のせいではないと思う。
喋ってくれないと帰るタイミングが分からない。お礼はしたし、もう帰ってもいいだろうかと崖の下に目をやるとスナザラシが数体ひなたぼっこをしているのが見えた。
今は盾を持っていないからあの子で帰るのは無理そうだ。でも歩いて帰るとしても、今ある薬だけでは街に着くまで足りるか分からない。どうしよう。
スナザラシがころごろしている姿を見ながらぼんやりと帰り方を考えていたら、軽い舌打ちの後に「おい」と苛立つような声が聞こえたのでその声の主の方を振り向く。
「はい。何でしょうか」
「何故そんな格好で酷暑地帯に入った。その様子なら薬も飲んでいないだろう。死にたいのか」
あ、やっぱり怒られた。
ようやく口を開いてくれたと思ったら、それは私を叱責する言葉だった。当たり前だよなあと思いながらも、聞かれたので一応これまでの経緯を話すことにする。
「えっと……急いで人が居ない場所に向かってたらこうなって。迂闊だったとは思ってます」
言い終えた後にふと気付く。無意識に魔力のことを隠したけれど、この人は魔力持ちだ。しかも私より遥かに大きな、底知れぬ魔力を感じる。隠す必要は無いかもしれない。
「……魔力が暴発しそうで、必死だったの」
その声は絞り出したような震えた声で、自分でも驚いた。私は思っていたより気落ちしているのだろうか。
そんな私の声を聞いてなのか、彼は一瞬ぴくりと反応する。その後ひとつ息を吐き、口を開いた。
「以前から魔力の制御が下手とは思っていたが……確かに街中で暴発でもされたら面倒だ」
「え? 会ったこと、ありましたっけ」
「オレの街に出入りしている双子の学者だろう。あんな瓜二つの顔がうろついていたら嫌でも目に付く」
「ああ、なるほど……って、あれ?」
この人、「オレの街」って言ったような。
赤髪で褐色の肌にハイリア人よりも大きな身体。そしてさっきの言葉とこの人が男性であることを考えると……
「ゲルドの王様?」
「……今更気付いたか」
「だって姿なんて滅多に見られないから」
今まで何度もゲルドの街に行っているけれど、王の姿は一度も見たことがなかった。まさかこんな場所で会えるなんて。
我儘だとか自分勝手だとか、良い意味で言うなら自由奔放な人だと色んな噂を聞いていたから、まさか赤の他人の私を助けてくれるような人だなんて思ってもみなかった。
学者としてもそうだけど、個人的に彼に興味が湧いたので、帰り方を考えるのはひとまず置いておくことにしよう。
「ゲルドの長は代々魔力持ちだって話、本当だったんだ。空飛んでたのも魔力なの? 私も飛べるのかな」
魔力持ちの人間と話すのは初めてなこともあってか、相手が王ということも忘れるほどに好奇心が押し寄せた。
うっかり敬語が外れてしまったけれど、彼は気にも止めていなさそうだったのでそのまま話を続ける。
「お前の不安定な魔力では無理だ」
「そうなんだ。残念」
「だが……今は魔力に揺らぎが無いな。先程ヤツを殺した影響か?」
「ッ!」
心臓が跳ねた。「殺した」という言葉が心に重くのしかかる。
いや、何も間違っていない。私が殺したことに代わりはないのだから。
後ろめたさを覚えながら、目を伏せてぽつりと小さく呟く。
「……いつもああやって発散させてるの。自分だけじゃどうにもできないから」
行き場のなくなった魔力は発散させないと暴発してしまう。でも厄介なことに、私は"避雷針"がないと自力で魔力を放出することができない。そして、その"避雷針"にあたるものは生きている人間や魔物――
だから私は調査を行う影で魔物を殺して回っていた。私の力が人に向いてしまったら、人を殺してしまうから。普通に生活する為に、今まで何体もの魔物を……殺してきた。
でも、本当は魔物を殺したくない。彼等を手にかけるとき、言いようもない程の罪悪感に襲われるから。
魔物は人間の命を脅かす存在だから退治されるべきだと小さい頃から教わってきたし、兵士さんだって躊躇なく魔物を狩っている。だから私のしていることは罪でも何でもないはずなのに、それでも魔物を殺すことへの罪悪感はずっと消えずにいる。その理由が何故なのかは分からない。
言ったところで理解されるとも思わないから、こんなこと絶対に人には言えなかったけれど。
――と、柄にもなく心にしまっていた思いを彼に吐き出した。
何となく、彼なら受け入れてくれる気がするのは私と彼の魔力の性質が良く似ているからだろうか。勝手ではあるけれど、そこに親近感を覚えたのかもしれない。
彼は私の話を黙って聞いてくれた。真っ直ぐに私を見つめるその表情からは、何を考えているのか読み取ることができない。
でも、話し終えた後もずっと黙っているものだからどうしたらいいか分からなくなって、再びスナザラシに目を向けようとした時だった。
「オレが相手をしてやる」
「……え、」
彼の思いがけない言葉に思わず間抜けな声を上げる。
相手、というのはどういう意味だろう。まさか私の魔力を受けてくれるのだろうか、と驚きつつも少しの期待を込めて食い入るように彼を見つめた。
「オレも力が有り余って仕方が無いのでな。その代わり、死ぬ気でかかって来い」
「……いいの?」
物騒なことを言われているのに、その言葉を受けて胸が高鳴るのを感じた。恐怖ではなく、喜びから来る高鳴り。
受け入れてもらえた。それに、この人なら思い切り力をぶつけてもきっと死んだりしない。
生まれて初めてと言っても過言ではないほどに期待で胸が踊る。久しぶりに、自然に笑えた気がした。
「嬉しい。でも、絶対に死なないでね」
「フン、お前にオレが殺せるとは思わんな」
「死んじゃったら困るからそれでいいの。ふふ、楽しみ」
私より魔力が強い人に出逢えて、しかもその人が魔力の放出に付き合ってくれるなんて思ってもみなかった。
魔力での戦いってどんな感じなんだろう。今までみたいな放出しておしまいの一方通行じゃない魔力の使い方をしてもいいのかな。それに、もうひとりぼっちで悩まなくて良いのかもしれない。そう思うと、さっきまで気落ちしていたのが嘘のように心が軽くなる。
楽しみでしょうがないとか、嬉しくて舞い上がりそうなんて言葉はきっと今のこの感情のことなんだろうな。
まるで遊ぶ約束でもするかのような軽い調子で戦いの約束を取り付け、その後は結局彼がゲルドの街まで私を送ってくれることになった。
もしかすると、噂が一人歩きしているだけで本当は彼は優しい人なのかもしれない。だって初対面の私にこんな優しくしてくれるのだから。
彼に抱きかかえられながら見た世界はじんわりと滲んでいたけれど、涙に反射したきらきら輝く夕陽は私の心も照らしてくれているように思えた。
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