01


 街の中央にそびえる時計塔、建設途中の月見やぐら。空を見上げれば恐ろしい顔をした月は――もう見えないけれど、ここはクロックタウンだ。間違えるはずがない。
 でもどこか可怪しい。街の中には人っ子ひとり見当たらず、建物の窓も扉も固く閉ざされたままだ。

 かつて何度も繰り返した三日間。懐かしさを覚えつつあの時と全く変わらない街並みを歩いていたら、時計塔の中へと続く扉の前にいつの間にかナズナが立っているのに気が付いた。さっき見たときは居なかったのに、と不思議に思いながらもナズナの元へと駆け寄る。
 でも、ナズナに近付くに連れ僕の中で違和感がどんどん膨らんできた。僕に背を向け扉に触れる彼女からはナズナと全く同じ魔力を感じるのに、僕のよく知るナズナとはどこか違う気がしてならなかった。

「ナズナ……だよね? どうしてこんな所に……」

 戸惑いつつもナズナに声を掛け、ふと気付く。"どうして"とは言ったけれど、僕だって何で今クロックタウンに居るのだろう。そもそもどうやってここに来たのだろう。

 ナズナと出会ったあの森で暮らし始める前、僕は僕を知る人を求めて何度もクロックタウンに戻ろうとしていた。でも、いくら探しても街は見つからなかったんだ。なのに今更どうして。

 まさかまた変なことに巻き込まれたんじゃ――と嫌な考えが頭を過ぎったとき、ナズナがゆっくりとこちらを振り向いたので思わず身構える。そんな僕とは裏腹に、こちらに顔を向けた彼女は優しく微笑んでいた。
 少し拍子抜けしつつも、彼女に敵意は無さそうなので緊張を解き、彼女をよく観察する。ナズナに凄く似ているけれど――やっぱり彼女はナズナじゃない。

「タルミナのことも思い出してくれたのですね。貴方が前を向けるようになって、本当に良かった」

 静かな街中に響く澄んだ声。何処かで聞いたことがあるはずなのに思い出せない。懐かしさの中にどうしようもなく切ない思いが込み上げ困惑する僕を見て、彼女は少し眉を下げ哀しそうに話し始める。

「あの子も……貴方と別れるのは本意ではありませんでした」
「!!」
 
 ぐっ、と喉まで出掛かった言葉を飲み込む。"あの子"とはナビィのことだと、何故か確信に近くそう思った。
 彼女はナビィのことを知っている。聞きたいことは山のようにあるけれど、今は彼女の言葉の先を早く聞きたくてそれだけに集中した。

「あの子は勇者を導く使命を持つ妖精……与えられた次の使命を果たす為、貴方とはあの場で別れなければならなかったのです」
「……そう、だったんだ」
「もっと早く伝えたかったのですが、私一人の力ではあの時の貴方の心に干渉出来ず……申し訳ありません」
「うっ……それは僕も、ごめん」

 苦笑いをし後ろ手で頭を掻きながら謝ると、彼女はふわっと笑った。笑い方までナズナにそっくりだ。

 "干渉"という言葉から、この不思議な世界は彼女が僕に見せている夢か何かだと理解した。ナビィが居なくなってから僕の心は荒れに荒れていたから、きっと当時はそのせいで干渉できなかったのだろう。
 それにしても、またこんな現実離れしたことが起きるなんて思っていなかった。少し心が踊るのは勇者としての性だろうか。でも、だからといって簡単に全てを受け入れる訳ではない。彼女に対する疑問は幾つも残っている。

「あの……聞いていいかな。干渉とか簡単に言うけど君って何者? ナズナにそっくりなのは何か関係があるの?」

 彼女は僕の質問に困ったようにはにかむ。少し間を置いて、ぽつりと小さな声で話し始めた。

「私の口からはお話しできません。でもナズナさんなら……知っている筈です」
「……?」

 それは、暗にナズナに聞けということだろうか。結局僕が知ることに変わりはないのなら、今彼女が教えてくれてもいいのではないかとは思ったけれどそんなことは言えなかった。何故なら彼女の表情が酷く哀しそうに見えたから。

「リンク」

 彼女が僕の名前を呼んだ瞬間、急に周囲の風景がぼやけ始めた。夢から現実に引き戻される、そんな感覚に陥る。

「ナビィさんのこと、忘れないで下さいね。そうすればまたきっと巡り会えますから」

 そう言って、彼女は僕の前から姿を消した。



***



「――リンク、起きて下さい。リンク」
「ん……あれ、ナズナ? 本物?」

 寝ぼけ眼を擦りながら辺りを見回すといつもの部屋の中。目の前には心配そうに僕を覗き込むナズナが――良かった、このナズナは本物だ。安心してほっと胸を撫で下ろしたら、ナズナがきょとんと首を傾げた。

「全然起きなかったので心配しちゃいました。疲れているなら横になりますか?」
「ごめん、大丈夫だよ。もう起きるから」

 どうやらリビングのテーブルに突っ伏して寝ていたようだ。椅子から立ち上がり伸びをして、そのままナズナをぎゅっと抱きしめる。さっきの夢のせいなのか、昔のことが色々と頭に浮かんできてナズナに甘えたくなってしまった。
 それだけではない。ナズナそっくりの彼女が最後に見せた哀しそうな顔――あの顔を見たら、無性にナズナを抱きしめたくなった。
 ナズナはそんなこと知らないけれど、僕をいつものように優しく抱きしめ返してくれる。

「ふふっ。どうしました? 甘えんぼさんですね」
「んー……ちょっと変な夢見て」
「夢?」
「うん。後でナズナにも話す」

 そう言いながら、腕の力を少しだけ強めた。
 話すにはまだ頭の整理がついていないし、多分長い話になる気がする。これから夕食の時間だし、急ぎではないから夜にでも話そう。
 ナズナの額にちゅっと唇を落とし腕の中から解放すると、ナズナは少し照れた様子ではにかんだ。


 ふとテーブルの上に目をやると、食材が入った大きな手提げが二つ。買い出しに行ってくれたのだろうかと思ったけれど、それにしては量が多くてナズナが一人で持ちきれる量ではない気もする。

「ナズナ、これ重かったでしょ。いっぱい買うなら僕が行ったのに」
「いえ、これはゼルダ様に頂いたんです。それにインパ様も家の前まで運んで下さって……あ! 今日は凄いものがあるんです!」

 と、ナズナが手提げから取り出したミルクを見て目を疑った。そのミルクのビンに貼られたラベルはいつものロンロン牧場のものではなく、高級感のある紫色のラベル。もしかして……これ、シャトー・ロマーニじゃないか?
 僕がかつて旅をしたタルミナでしか売られていないはずのミルク。それが何故か目の前にある事実に、思わず息を呑んだ。

「最近噂のシャトー・ロンロンです。"禁断にして至高のミルク"なんて言われているだけあって、凄く美味しいんですよ!」
「……シャトー・ロンロン?」

 ナズナの言葉を繰り返す。ロマーニではなくロンロン……確かに、よく見るとラベルのデザインが少し違う気がする。
 僕の早とちりだったのかと気抜けするが、この良く似た名前とラベル――ついさっきタルミナの夢を見て直ぐこれだ。とても偶然とは思えない。僕は動揺を隠せず、テーブルの上に置かれたビンを凝視していた。
 その一方でナズナはミルクの味を思い出しているのか、うっとりとした表情を浮かべながらキッチンに向かい片手鍋を取り出す。

「今ロイヤルミルクティーを作りますね。あ、でも折角なので最初はそのまま飲むのが良いでしょうか。リンクはどちらにします?」
「え? ああ、ロイヤルミルクティーがいいな。ナズナの紅茶は美味しいから」
「ふふっ。では少し待ってて下さいね」
「ありがとう……ねえナズナ、マロンはこのミルクについて何か言ってなかった?」

 教会にロンロン牧場のミルクを届けてもらっている関係でナズナとマロンは顔見知りだ。もしかして何か知っているかもしれないと、ナズナに問いかける。

「確か、高級ミルクを売りにしている別の牧場を参考にしたと言っていました。何年もかけてようやく出来上がったらしいですよ」
「……そうなんだ」

 その話を聞いて僕の中に小さな期待が湧き上がった。
 初めて得たタルミナに繋がる情報。もしかしたら、またあの街に行けるかもしれない。

 傍から見たら三日間の出来事でも、僕にとっては何ヶ月にも渡る長い旅だった。あの街に懐かしさも感じれば、愛着だって湧いている。
 過去にしか縋り付けなかったあの時とは違う。今はただ単純にあの街で出会った皆に会いたい。特に――カーフェイは元気にやっているだろうか。アンジュさんと幸せに暮らしているだろうか。今更だけど、あのとき言えなかった「おめでとう」を言いたい。

 キッチンから漂う茶葉の香りとナズナのご機嫌な鼻歌に包まれながら、僕は胸の鼓動が速まるのを感じていた。



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