静寂に包まれる見覚えのある殺風景な空間。歩く度に地面に薄く張った水がぱしゃりと跳ね服を濡らすが、そんなことは気にせずただ眼前に見える枯木の根本に座る自分の影に歩み寄った。
「ダークリンク」
「……」
声をかけるが、じろりと視線を向けるだけで返事をしてくれない。
自分はずっと対話を拒否していたのに、今更話したいだなんて虫のいい話だということは分かっている。それでも感謝を伝えたかった。伝えなければいけないと思った。彼はずっと僕を護ってくれていたのだから。
「ありがとう。今までずっと一緒に居て……僕を護ってくれてたんだね。それなのに、ごめん」
深く頭を下げる。ダークリンクは口を開かないけれど、視線はずっと僕に向いている。聞いてくれている。
僕は屈んでダークリンクと目線を合わせ、言葉を続けた。
「僕は自分のことだけで精一杯で、君を見ようとしていなかったんだ。だから君の心の変化にも気付けずに辛い目に合わせてしまった。君と話をする勇気が僕にあれば君まで傷付くことは無かったのに、」
「あ゙ー……」
突然、話を遮るようにダークリンクが声を上げた。そしてどことなく気まずそうな雰囲気で、ガシガシと頭を掻きながら視線を逸らす。
「それに関しては……俺も悪かった。最初お前を乗っ取ろうとしたから警戒してたんだろ? 俺の自業自得だ」
「っ! ダーク……」
話してくれた。僕の言葉を受け入れてくれたのだろうか。ほっと胸を撫で下ろす。
本当はもっと謝りたいことがあったけど、これ以上謝ったら殴ると言われたので止めておいた。
***
ダークの隣に座りぼうっと景色を眺める。
不思議な空間だ。ダークと初めて会った水の神殿のあの部屋に似ているけれど、どこか違う。ダークと話がしたいと思ったら、気付けばここに居た。ここはどこなんだろうか。
上を向くと枯木が視界に入り、ふと気付く。枯れていたはずの木に何個か蕾が見える。
さっきまであったっけ? 気付かなかっただけなのかな、と考えていたらダークが口を開いた。
「お前はもう大丈夫なのかよ」
「え?」
「昔の記憶、思い出そうとしてるだろ。特にあの妖精のこと」
「っ!」
ダークからその話を出されるということは、やっぱり僕とダークの意識は繋がっているんだ。でも、僕からはダークの意識に入ることができないことをみると、恐らくダークから僕への一方通行のものなのだろう。
ダークが僕の為に過去の記憶を消そうとしていたのはダークとナズナの話で知った。ナビィと旅した記憶が朧げになって、夢なのか現実なのか分からなくなっていたのはそれが原因だったんだ。完全に忘れなかったのは、僕が無意識に抵抗でもしていたのだろうか。
「確かに今でも辛いよ、ナビィと別れたことは……でも、」
友達でもあり家族でもあり、とても大切な相棒だったナビィ。ナビィが居なかったら……支えてくれなかったら、僕はきっとハイラルを救えなかった。
そんな大切なナビィが居なくなって僕の世界は真っ暗になった。前が見えなくて、何をしても全部行き止まりに見えて。
……でも、ナズナが光を差してくれた。気付かせてくれた。
「僕までナビィとの思い出を忘れたら、本当に何も残らなくなっちゃうから。そっちの方が辛いんだ」
確かに辛い過去を忘れれば心は傷付かないかもしれない。でも、それは本当に正しいことだろうか。僕が経験した様々な人との出会いと別れ――それを全て無かったことにして、僕には何が残る?
それに、今なら分かる。僕は独りなんかじゃなかった。支えてくれる人達が居る。だからきっと過去も受け入れられる。
忘れるのではなく乗り越える――それが今、僕がすべきことなんだ。
「もう、目を逸らすのは止める。大丈夫だよ、だってダークもナズナも居てくれるでしょ」
「……そうか」
「それに、ナビィはこの世界のどこかに必ず居るって思えるようになったんだ。会えなくても、離れていても僕達はずっと友達だって」
ダークはふっと笑った。それにつられて僕も笑う。
ナビィだってきっと僕が立ち止まって悲しむことは望んでいない。前を向けるようになったんだから、歩き始めないと。
春の日差しのような、穏やかな日が差し始めた。厚い雲に覆われていた空の隙間から青空が見える。
――何となく、ここがどこなのか分かってきた。
「……ねえ、ダークはこれからどうしたい?」
「どうって……どうするも何も、俺はここから動けねえし」
いつの間にか足元に咲いていた小さな花を指で触りながらダークが言う。
「身体が戻るかも、って言ったら……戻りたい?」
ダークがぴたりと動きを止めた。
……やっぱり、戻りたいと思っているんだ。元は僕の心から生まれた存在とはいえ、今はちゃんと人格と感情を持ったひとりの人間だ。
人間、と言うのが正しいかは分からないけど、僕はそう思っている。
「……確証はあるのか」
ダークが花から目を離さずに小さな声で僕に問う。
「分からない。でも、やってみる価値はあると思う」
ダークが身体を取り戻したいと思っているなら尚更だ。今まで僕の為に頑張ってくれたんだから今度は僕が返さなければ。
「それに、ナズナのことも助けたいと思ってる。ゼルダ姫からの手紙……覚えてる?」
「……ああ」
王国から追われているから匿ってほしい、とそれ以上のことは何も情報は無かった。でも、ナズナが追われるようなことをするとは思えない。きっと城で何かが起きている。
「ナズナは何も言わないけど、離れ離れなのは辛いと思う。会えるのであれば会わせてあげたい」
ゼルダの子守唄をふと口ずさんだり、夢でゼルダ姫を思って泣いたり。きっと城に戻れるのであれば直ぐにでも戻りたいだろう。
追われている理由はナズナが話したくなったら話してくれるといい。それまで僕は待つ。その時僕の力が必要ならば、どんなことだってする。
「――はっ、そもそも俺があの時出られたのはナズナが寝言で姫のこと言ってたからなのによ。あんな動揺するくらいナズナを返したくなかったのに、こんな短期間で変わるもんなんだな」
「ちょっ……! それは言わないで……」
ダークはニヤニヤしながら恥ずかしいところを突いてくる。
確かにあの夜、ナズナは涙を流しながら姫の名前を呼んでいた。あの時の僕はナズナを絶対離したくなくて、ナズナが城に帰ってしまうことを考えたらどうしようもなく心に黒い影が差して……気付いたらダークが出てきていた。
「お前が夜這いしてたことナズナに言わないでおいただけでも有り難く思えよ」
「ッ! っていうか、あれダークが後押ししてたでしょ!」
僕だけの秘密だったはずのナズナとの一方的なキス。当然だけどダークも知っている。あのとき魔が差したのは多分ダークのせいだ。絶対そうだ。
「お前が余りにもヘタレてたからな。良かったじゃねえか、キスできて」
「……僕はちゃんとした手順を追ってからキスしたかったのに……」
「その割にノリノリだったよな。言っとくけど俺は最初の一回しか手出してねえぞ」
「……」
恥ずかしくて両手で顔を覆う。ダークは僕よりもずっと口が達者みたいだ。楽しそうにケラケラ笑う姿を指の隙間からじろりと見たら更に笑われた。
「――まあ、人の為に動きたいと思えるようになったなら上出来だ。……絶対に離すんじゃねえぞ、ナズナのこと」
「……当たり前だ」
空を見上げれば澄み切った青空。僕達の心を模したこの空間も、随分居心地の良い場所になったみたいだ。
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