誰も訪れたことのない僕の家を急に訪ねてきて、ここに住ませてと懇願してきたナズナ。正直、人と関わることにまだ抵抗感があったけどナズナがあまりにも必死にお願いするものだから断れなかった。
……こんな辺鄙な場所に身一つでやって来た、僕と歳が対して変わらない女の子を放置するなんて流石に良心が痛むし。それにゼルダ姫の手紙によるとどうやら訳有りのようで、尚更助けない訳にはいかなくなってしまった。

でもそれは建前の話。当時の僕は気付いていなかった……いや、気付かない振りをしていたけどナズナを受け入れた理由はそれだけじゃない。きっと心の何処かで期待していた。もしかしたらあの世界のことを知っているのかも、なんてあり得ない淡い期待。だってナズナが僕のことを"勇者"なんて呼んだから。普通に考えたらただゼルダ姫から聞いたから知っているだけのことだろうに。

何度も何度も期待して、その度に傷付いてきたのにそれでもまだ縋りたがる。僕はなんて愚かなのだろうか。そんな愚かな自分を見たくなくて、必死に目を逸らした。




そして始まった二人での生活。とは言っても、寝床を貸すだけで僕からナズナに接するつもりは無かったけど。でもナズナは違った。毎日毎日、僕に話しかけてくる。たいした反応も返さないのに満面の笑みで勇者様おはようございます、勇者様おやすみなさいと必ず言うのだ。

久しぶりの人の声、僕に向けられる笑顔。今までなるべく平穏を保ってきた僕の心が乱されているのに、なぜか悪い気はしなかった。けど恥ずかしいし若干意地になっている所もあって、暫くは素っ気無い態度で過ごしていた。子供っぽいと自分でも思う。



何度も何度も声を掛けられると、流石にナズナの事が段々と気になってきた。気付かれないように観察してみると、ナズナは狩りが出来ないのか木の実やキノコや山菜しか食べていないようだった。もっと肉や魚も食べないと倒れてしまう。只でさえ華奢な身体なのに……と、ここで気付く。僕がナズナを心配していることに。
いや、倒れられたらどうせ僕が面倒をみる羽目になるからだ、と自分に言い聞かせようとしたら急に不安になった。もしナズナが倒れてしまったら? ……胸に何かがつかえたような気分になる。ナズナの笑顔が見られなくなるのは、嫌だ。初めて自分のナズナに対する気持ちを自覚した瞬間だった。



その翌日から少しだけ素直になってみることにした。まずはナズナに挨拶を返すことから始める。人とまともに会話をするのは久しぶりだから上手く話せるだろうか。

おはよう、とたった四文字の言葉なのに、僕がそれを口にしたらナズナは顔をぱあっと輝かせて勇者様勇者様と凄い勢いで話しかけてきた。想定外の反応に思わず逃げ出す……何やってるんだ僕は。折角話し掛けてくれたのに。それにしてもおはようと言っただけであんなに喜ぶなんて。心の奥の方が仄かに温かくなった。


その日の昼はナズナのぶんも魚を釣ってきた。会話の切っ掛けになると思って。ナズナはそれは美味しそうに僕が焼いた魚を食べた。あまりにも良い食べっぷりだったのでその様子をじっと見つめる。ナズナをこんな近くでまじまじと見るのは初めてだ。……ずっと昔から知っているような、懐かしい感じがする。

そんなナズナを見ていたら何故か無性に名前で呼んでもらいたくなった。名乗っていなかったから当然だけど、ナズナはずっと僕のことを勇者様と呼んでいる。でも、ナズナには"勇者"ではなく"リンク"として見て欲しかった。その理由は分からないけど。




それからは毎日が楽しくてしょうがなかった。何の代わり映えもない、ただ何となく生きているだけの日々だったのにナズナが隣に居るだけで目の前の景色が違って見える。一人で見る景色と二人で見る景色。同じもののはずなのにこんなにも違って見えるなんて。ナズナの笑顔は鈍っていた僕の心を太陽のように照らしてくれる。お陰で僕の顔つきもだいぶ柔らかくなったように思えた。


一緒にいるようになって気付いたが、ナズナは機嫌がいい時に鼻歌を歌う癖がある。僕はそれをこっそり聞くのが好きだった。でもある時ナズナがゼルダの子守唄を歌っていた事があって……それを聞いたら、この世界に戻ってきてからの記憶が蘇ってきた。辛くて思い出したくない記憶。


……ナズナも僕を置いて何処かに行ってしまったらどうしよう。僕のことを忘れてしまったらどうしよう。ナズナと一緒にいるのが楽しくて忘れていた……いや、思い出さないようにしていたけど、僕はいつだって置いていかれる存在だった。もう置いていかれるのが嫌だから、大切な存在を作りたくなくて人と関わらないようにしていたのに。大切な人ほど別れの時が辛いから。ナズナにも置いていかれたら……今度こそ僕は耐えられない。きっとアイツも出てくる。僕が僕でなくなってしまう。

怖くなった。僕という存在がこの世から完全に消えてしまったら、僕だけが知っているあの世界を知る人は居なくなる。僕がナビィとやってきたことも……全部無かったことになるのと同じだ。もう既に自分でも夢なのか現実なのか分からなくなってきているのに、これ以上無くしたくない。僕が命を掛けて護った世界も、ナビィが確かに存在していた証明も消したくない。

ナズナに聞いて欲しくなった。僕達の旅のことを。ナズナなら、もしかしたら信じてくれるかもしれない。信じてくれなくても、覚えていてくれるかもしれない。何の根拠もないけど、ナズナは皆とは違う気がする。僕のことを置いていかないでくれるかもしれない。

あと一回だけ、人を信じてみよう。期待するのはもうこれで最後にするから。
それでも、ナズナならきっと――







「夢なんかじゃないです」

月明かりの下、真っ直ぐ僕の目を見て優しく語りかけるように話すナズナ。
ナズナは僕が話していないことも知っていた。見ていてくれた。何でナズナが知っているのかは分からないけどそんな事はどうでも良い。あの世界は夢じゃ無くて現実だったんだ。ナズナが証明してくれた。僕が必死に護ったあの二つの世界の存在を。

感情が抑えられずナズナを抱き締める。やっと見つけた、僕を理解してくれる人。同じ世界を見ていた人。
この世界で僕だけが異質な存在で、本当はずっと寂しかった。誰かに受け入れて欲しかったんだ、僕のことを。

ナズナが僕の頭を撫でる毎に心の中の黒いもやが晴れていく気がする。ナズナの甘い匂いと温かい体温に包まれると心の底から安心する。
ずっと、ずっとこのままでいられたらいいのに。


ナズナはどこにも行かないで。ずっと僕の側に居て。置いていかないで。もう離さない、絶対離したくない。何があっても。

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