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――誰かに呼ばれた気がした。

 周囲をぐるりと見渡すが、誰も見当たらない。それどころか、存在すべきものが何一つ見当たらないことに気付く。上を見上げても空なのか天井なのか分からない、ただ真っ白な空間が広がるだけ。まるで地面も存在していないかのように感じるので、最早自分が立っているのか浮いているのかさえ分からない感覚に陥る。
 しかし、不思議と恐怖は感じなかった。何故なら似たような状況を以前にも経験したことがあるから。そう、リンクが世界を救う旅を夢で見ていたあの時の感覚。

「ナズナ」

 再び名前を呼ばれる。今度ははっきりと、私のすぐ近くから聞こえた。すると、視線の先に人影が見えた。先程までは確かに居なかったその影は、次第にぼやけた輪郭を鮮明にさせる。
――その人物は、私によく似ていた。

「貴女は……誰、ですか……?」

 突然現れた彼女に驚いて目を見開き、声を掛けた。何となくではあるが、私にリンクの夢を見せていたのは彼女だと感じる。彼女から、ネール様と似たような気配を感じるから。
 彼女は私に向かい微笑んだ。

「私は……前世の貴女です」

 その言葉の後に、私の脳内に大量の記憶が流れ込んできた。恐らく彼女の生前の記憶。
 記憶の中の彼女は、血塗れの男性を抱き締め涙を流している。あの男性は……彼女と同じ時代に生きたリンクなのだろう。ぴくりとも動かないリンクと、叫ぶように泣き声を上げる彼女。その光景に似合わない穏やかな青空が、酷く印象に残った。
 そして彼女は自分の全てと引き換えにネール様と契約を交わし、女神ハイリア様の転生した姿であるゼルダ様を守護する使命を与えられた。今の私にも受け継がれている使命を。

 言葉を失った。愛する人を目の前で失うなんて、どれ程の絶望だっただろう。だからこそ彼女は、自分の全てを犠牲にしてまでこの争いの輪廻に加わった。リンクを救いたいという一心で。

「貴女にお礼を言いたかったのです。ありがとう。この世界のリンクを幸せな結末へ導いてくれて。あの時の私には……出来なかったことだから」

 瞬間、一陣の風が吹き、この何も無い空間に青空が広がった。どこまでも澄み渡る、リンクの瞳と同じ色の青空。それと同時に、急激に意識が現実に引き戻される。
――まだ、貴女に聞きたいことがあるのに。
 彼女に向かい手を伸ばすが、その手が届くことは無かった。そして私の身体が消える瞬間、彼女の声が心の中に響いた。


***


「忘れ物はないですか? 二人とも、お仕事頑張って下さいね。行ってらっしゃい」
「うん、行ってくるね。ナズナも気をつけて」
「あー、だりぃ。クソ面倒だな仕事って」
「だるいって言うともっとだるくなるよ。ほら頑張れダーク」

 いつものように玄関で仕事に行く二人を見送る。ダークさんが仕事の愚痴を溢し、リンクがそれを宥めるというやり取りももう見慣れたものだ。

「大体、二人とも訓練兵からってどういうことだよ。俺等より強い兵士なんかいねえだろ」
「様々な知識や礼儀作法を学ぶ上でも、皆訓練兵から始まるのです。でも二人ならきっと直ぐ昇進できますよ」
「ナズナもそう言ってるでしょ? だから前みたいにサボりは駄目だからね」
「ったく、分かったよ……行ってくる」
「ふふっ、頑張って下さいね」

 あの一件以来、私達は城下町で暮らすようになった。そして今、リンクとダークさんはハイラル城の兵士として働いている。

 リンク達からは、ガノンドロフの手下だったツインローバという人達が事件の黒幕だった、と聞いた。私が追われていた理由も、彼女達が魔法で城の人達を洗脳していたから。どうやら私の魂を利用してガノンドロフを復活させる計画を企てていたらしい。
 でも、二人が終わらせてくれた。ようやくハイラルに平和が訪れたのだ。

 それにしても、あの時ハイラル城にリンクとダークさん"二人"で帰ってきたのを見たときは驚いた。水の神殿で色々あって、ダークさんの身体を上手く取り戻すことができたらしい。
 そしてダークさんのお陰か、リンクは子供の頃のように無邪気に笑うことが増えた。あの妖精さんが隣に居たときと同じように。

「――さて、私も行かないと」

 二人を見送った後、時計を見て一人呟く。
 私は今、自分が育ったあの教会でお手伝いとして働いている。神父様もシスターも私の事を覚えていてくれて、私がお尋ね者になった時には酷く心配させてしまったようだった。
 私が教会を離れて十年は経つのに私の身を案じてくれる二人の優しさに、僅かながら恩返しがしたいと思ったのだ。
 
 今日は子供達にどの話をしようか。ヴァルバジアとの戦いなんて凄く食い付きそうだな。
 目を輝かせる皆を想像して思わず笑みが溢れた。


***


「ナズナお姉ちゃん、この後はどうなったの?」
「次のお話はまだ書いている途中なのです。終わったらまた話しますので、待っていて下さいね」

 ヴァルバジアを倒しゴロンの里を救った勇者の話を終えた後、話の続きを促された。やはりシンプルに戦って勝つ、という話は子供に好評のようだ。
 リンクの勇者としての活躍を少しでもこの世界に残したくて、あれから私達三人で少しずつ本を書いている。この世界の歴史には刻まれなくても、誰かの心に残ってくれることを信じて。

「ぼくも時の勇者さまみたいに伝説の剣で悪い奴をやっつけるんだ!」
「わたしは剣より魔法がいいなあ。でぃんのほのお? あれやってみたい!」

 そんな可愛い会話を聞きながら窓の外に目をやると、既に陽は傾き始め辺りが薄暗くなっていた。そろそろ帰る時間だな、と腰を上げた瞬間、背後から聞き慣れた声が聞こえた。

「ナズナ、お疲れ様。迎えに来たよ」
「リンク! 珍しいですね。早く終わったのですか?」
「うん。あとこれゼルダ姫が子供達に、って」

 そう言って両手で抱えた箱を床に降ろす。箱を開いたその中には、子供の頃私も読んだ記憶のある絵本や児童書、図鑑など様々な種類の本が大量に入っていた。
 
「わあ……! ゼルダ様にお礼を言わないと!」

 きっと皆喜ぶだろう。思わず感嘆の声を上げた。

「そうしてあげて。一昨日会ったばかりなのにもうナズナに会いたがってるから」

 少し眉を下げ困ったように笑うリンクにつられて私も笑った。


***


「ダークさん、お待たせしました」
「おせーぞ二人とも」

 教会から少し離れた路地の壁に寄り掛かり、こちらに顔を向けるダークさん。遅いと言いながらもちゃんと待っていてくれるところに彼なりの優しさを感じる。

「ダークも来れば良かったのに。目付きの悪いお兄ちゃん来てないの? って皆探してたよ」
「……誰が行くかよ」

 そう言いながらも満更では無い様子のダークさんをリンクがにやにやしながら見る。居たたまれなくなったのか、ダークさんがリンクを小突いた。その様子が微笑ましくて、平和な今の幸せを噛み締める。


 ふと夜空を見上げた。あの時と同じ、白く輝く満月。でもあの時と違って、優しい月明かりに照らされる今の私達は孤独や悲しみなんて感じていない。
 リンクとの出会いが始まりだった。それぞれの思いが周りの意識を変え、幸せという結末に皆で辿り着くことができた。

――どうか、次の輪廻にも希望を繋げて下さい。
 前世の私があの時最後に言った言葉。きっと来世の私達も、この繰り返される戦いからは逃れられない運命にあるだろう。でも、皆の思い次第で結末は変えられる。私達がそうであったように。

 今度は私達が未来に希望を繋げる番だ。この過酷な輪廻を生きる皆が、幸せな結末を迎えられるように。

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