「ナズナッ!! 大丈夫か!?」

 サンゾクオオカミの群れの残党が慌てて逃げ去るのを遠目に確認しながら、へたりとその場に座り込むナズナの元へ駆け寄る。
 オレが少し目を離した隙に木の影にでも隠れてナズナに近寄ったのだろうか。ナズナを危険な目に合わせてしまったオレ自身が許せなくて、痛いくらいにぐっと唇を噛み締める。でもそれ以上にナズナが無事かどうか不安な気持ちでいっぱいで、嫌な汗が流れて身体の芯が冷たくなった。

「ナズナ! おい、ナズナ!!」

 ナズナの傍らにはオレの矢を眉間に受け動かなくなったサンゾクオオカミが横たわっている。辺りにはナズナのぬいぐるみのものであろう綿が散乱していてぞっと肝が冷えた。もしこれがナズナだったら。でも幸いなことにナズナには特に目立つ怪我は見られない。少し膝を擦りむいているくらいだろうか。
 安心したら急激に身体の力が抜けて、思わず地面に膝をつく。長く息を吐きナズナの顔を覗き込むと、ナズナは青ざめながらただ呆然と座り込んでいた。

「……ナズナ、」

 何て声をかければいいか分からない。オレが村の外に出ようって言わなければ。オレがナズナから目を離さなければ。オレが──
 罪悪感がじわじわと押し寄せる中、ふと違和感に気付く。ナズナは……何を見ているんだろう。視線の先にあるのは周囲に散らばるぬいぐるみでも、横たわるオオカミでもない。心ここにあらずという状態。定まらない視線で、何もない空間をぼうっと捉えていた。

「ナズナ……どうした?」

 ナズナに触れると、ひとしきり大きく肩が跳ね弾かれたように顔を上げる。ナズナの目にオレの姿が写りこんだと思ったら、みるみるうちに涙が溜まりぽろぽろと大きな粒が頬を伝った。

「リンク! よかった……生きてる……っ!」
「え、おいナズナ、」
「動いて大丈夫なの……? 怪我は……早くお医者さんに見せないと……っ!」
「??」

 困惑するオレを余所に、ナズナはしゃくり上げながらオレの身体をぺたぺたと触り始める。オレは遠くから矢を放っただけだから怪我なんてしてないし、むしろその台詞はオレがナズナに言うべきなのに。何を言っているんだろう。

「落ち着けって。ほら、何ともないだろ? それよりナズナ、ザラシちゃんが……その、ごめん」
「え? 何言って──」

 オレの言葉に反応してナズナが周囲を見渡す。今のこの状況をやっと理解したのか、絶句した後に大声で泣き出してしまった。



***



 その日の夜。何故かナズナに一緒に寝ようと誘われた。
 驚きのあまりぽかんと口を開けたまま硬直するオレのパジャマの裾を軽く握るナズナは不安そうに眉を下げ、じっとオレの顔を覗き込んでいる。

 ……いやいやいや、確かにもっと小さいときは一緒のベッドで寝てたこともあったらしいけど。まだ子供とはいえオレたちくらいの年齢の男子と女子が一緒に寝るのはあんまり良くないことだっていうのは何となく分かる。そもそもオレが恥ずかしいし、父さんに見られでもしたらきっと怒られ……あ、今日は帰ってこないんだった。

「お願い。今日だけでいいから」
「……?」

 何かおかしい。ナズナの目からどこか恐怖を感じるし、少し顔も青ざめているように思える。昼間のことが余程怖かったのだろうか。そうだとしたら、オレが原因のひとつな訳だから断るのも可哀想だ。

「……分かった。でも、本当に今日だけだからな」

 今日くらい一緒に寝てもいいだろう。オレがナズナを慰めてやらないと──そう自分に言い訳をしながらナズナと一緒にベッドに入ったはいいものの、一人用のベッドだから自然とナズナと密着する訳で。あったかいし柔らかいし良い匂いがしてとてもじゃないけど顔を合わせられなくて、オレはナズナに背を向けた。

「……リンク、」
「な、何」
「ごめんね。わがまま言って」
「別に……わがままってほどじゃないだろ」

 背中越しにナズナの声が聞こえる。いつもより近い距離から響くナズナの声が耳をくすぐり変な感覚が身体を巡る。
 意識すればするほど恥ずかしさが込み上げてしまうから気を紛らわせるために心の中で必死に数字を一から数えてみるものの、果たして効果があるのかどうかさえ分からない。


 少しだけ、沈黙が流れた。
 しんと静まった部屋の中でオレの心臓の音がやけに大きく聞こえる。まさかナズナに聞こえたりなんかしてないよな、と不安に思い始めた瞬間、「あのね」とナズナが口を開いた。

「……あのとき、変な景色が見えたの」
「あのとき……って、オオカミに襲われたとき?」
「うん。バッグに噛みつかれて、ザラシちゃんが取られちゃって。そうしたら……っ、リンクが、」

 ナズナの声が震える。反射的にナズナの方を振り向くと、ナズナの目には涙の膜が張って今にも零れ落ちそうだった。

「酷い怪我をしてるのが見えて。し……死んじゃいそうで……っ、」

 涙が頬を伝う前に、慌てて両手のひらでナズナの頬を挟み込む。ナズナが何のことを言っているのかはよく分からないけど、オレのことでナズナが泣くのは凄く心が痛かった。

「馬鹿、オレがオオカミなんかにやられる訳ないだろ」
「むぐ……っ、それは分かるよ! でも、凄く恐かったんだから……っ!」
「あ、ほら泣くなって」

 結局溢れてしまった涙の粒を拭い、少し身体をナズナのほうに寄せ落ち着くまで頭を撫でてやることにする。さっきまで恥ずかしくて堪らなかったのに、今はそんな気持ちはどこかに行ってしまったようだ。

「オレは死ぬような無茶はしないよ。だって、死んだら──」

 ナズナと一緒に居られないから。そう言いかけたものの、流石に格好付けすぎな気がして口に出すのは止めておいた。
 少し照れ臭くなって視線を泳がせ頬を掻く。瞳を潤ませたナズナが不思議そうな顔をしてくるけど、そのまま続きを話さないでいたらナズナがオレの目の前にずいっと自分の小指を差し出してきた。

「約束して。無茶なことはしないって。絶対だよ。大人になっても、ずっと」
「……うん、約束」

 ナズナの小指に自分の小指を絡め指切りをする。本当は、騎士になったら自分の命を賭してでも主君を護らなければならないことも起こり得るけれど。でもそれを今言って不安にさせる必要は無いし、そんなことが起こらないように毎日鍛錬している。だからこの指切りにはナズナとの約束と、自分自身への誓いを込めた。

 絡めた指を離したら、ようやくナズナに笑顔が戻る。さっきまで目に浮かんでいた恐怖もどこかに行ったようで、柔らかく微笑むナズナを見てほっと胸を撫で下ろした。

「あのね、リンクがくれたバッグのお陰で怪我しなかったの。私のこと、護ってくれた」
「……そうだったんだ。でも、」

 中に入っていたぬいぐるみは無事じゃなかった訳で。
 きっと咄嗟にバッグを盾にしたのだろう。そのお陰でナズナが大きな怪我をしなかったのなら不幸中の幸いだったと思うべきなんだろうけど、オレがもう少し気付くのが早ければ。どうしてもその気持ちが先に来てしまう。
 ごめんと言おうとしたら、悲しそうに眉を下げたナズナに「謝らないで」と先手を打たれてしまった。

「ザラシちゃんのことは私がもっと気をつけてないといけなかったの。そもそも一緒に村から出た時点で私にだって責任があるんだから」
「……ナズナ」

 ナズナの目がまた潤み始めた。でもそれは雫として頬を流れ落ちることはなく、目の表面に膜を張りきらきらと輝いている。

 最近、ナズナは泣く頻度が減ったように思う。ナズナなりに少しずつ前に進もうとしているのかもしれない。
 もうすぐオレは城下町に行くし、ナズナも本格的に両親の仕事に加わる。いろんなものが目まぐるしく変わっていく。でも、オレのこの思いだけはきっと変わることはないのだろう。

「──あのさ、」

 哀しいやら切ないやら愛おしいやら、いろんな思いが胸に込み上げ思わず口から零れ落ちる。でも、まだ本当の気持ちを言う訳にはいかないから、

「オレがもっと強くなって立派な騎士になったら……ナズナに伝えること、あるから」

 だからそれまで待っていてほしい。

 独りよがりの願いだけど、そう誓いを立てないと、ナズナとの別れが辛くて悲しいだけのものになってしまいそうだから。だから支えが欲しかった。ただ父さんの跡を継ぐだけじゃない、自分の中の揺るがない思いを糧にすれば離れていてもきっと耐えられると信じて。

 オレの目に映るナズナの頬が紅く染まっていく。そのまま恥ずかしそうにこくりと頷く姿を見たら、胸の奥がきゅうっと苦しくなってナズナを抱きしめたい衝動に駆られた。
 でもそんなことをしたらきっと怖がらせてしまうから、それを抑え込んで代わりにそっとナズナの手を握る。

「リンク?」

 どうしたの、とでも言いたそうなナズナに見つめられながら、ぎゅっと手に力を込めた。二人分の体温が触れた手のひらで交わり熱を帯びていく。

 このままずっと二人一緒に居られたらいいのに。覚悟は決めたはずだったのに、ナズナと離れるのがこんなにも名残惜しい。それはオレの心がまだ未熟だからなのだろうか。

「……いや別に、寂しいかなと思って。いつもザラシちゃん持ってたから」

 嘘、ではない。でも本当はオレがナズナに甘えたい気持ちのほうがずっと大きい。ナズナのためという名目でこんなことをするのは少し気が引けるけど、今日だけだからと自分に言い訳をした。
 ナズナに甘えるのなんて初めてだ。自分でも仕草や声色がぎこちなくなっているのが分かる。恥ずかしくて目を合わせずにいたら、ナズナに手を優しく握り返された。

「ありがと。リンクのお陰で寂しくなんかないよ」
「そ……そっか」

 手を繋ぐなんていつもしてることなのに、まるでナズナに包まれているような、特別で少しくすぐったい気持ちになる。
 慰めるふりをしながら甘えるなんてちょっとずるい気もするけど、今のこの雰囲気が無性に心地良くて、それ以上深くは考えないことにした。

 もしかすると、ナズナにはオレの下手に取り繕った言葉なんて簡単に見透かされているのかもしれないけれど。
 でも、今日だけだから。今日だけはこのままでいさせてほしいと瞳を閉じた。

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