リーバルから"風の勇者の物語"が知りたいと言われた。
リーバルがそんなことを言い出すなんて思いもしなかった私はそれはもう張り切って伝承を解りやすくまとめ上げ沢山の資料を用意した。
歴代勇者の伝承に興味を持ってくれたとしたら研究者として嬉しい限りだ。風の勇者を始めとして他の勇者伝説も教えてあげたいけれど、一気に話したら混乱するだろうしまずは言われた通り風の勇者の冒険の軌跡をじっくりみっちり教えてあげて──
なんてわくわくしながら会いに行ったのに。
「僕が知りたかったのは賢者の話なんだけどね」
どうやら勇者自体に興味があった訳じゃないらしい。
「また人の話聞いてなかっただろ。いい加減学んだらどうだい?」
「だって……わざわざ私に頼むんだから勇者のことだと思うじゃない……」
賢者も勇者に深く関わりのある人物だから私に話がくるのは間違いではないけどさ。
がっくりと肩を落とす私には目もくれず、リーバルは何かを探すように資料をぱらぱらと捲る。すると、あるページでぴたりと手を止めた。息を呑んだようにも見えたリーバルの様子が気になって、ひょいとそのページを覗いてみる。
「大地の賢者メドリ……」
リーバルは資料から目を離さず、それを熱心に読み込んでいるように見えた。私の呟きも耳に入っていないみたい。
神獣ヴァ・メドーはかつて存在したとされるリト族の賢者メドリにあやかり名付けられたのではないかという説がある。
ルッタのように明言されている訳ではないから推測の域を出ないけれど、リト族に深く関わりのある神獣で且つ名前も近いときたらほぼ定説になりつつあるのが現状だ。
メドーの操者として何か思うものがあるのだろうか。資料とリーバルの横顔を交互に眺めていたら、「あのさあ」と嘴が動いた。
「そんなジロジロ見ないでくれるかい? 集中できないじゃないか」
「あれ、気付いてたんだ。さっき反応なかったのに」
「聞こえないふりをしたんだよ。下手に反応したら君は勝手にべらべら喋り出すだろうからね」
「よくお分かりで」
呆れたように横目で私を一瞥するリーバルの小言を軽く受け流す。
「でもリーバルが伝承を知りたいだなんて何かあったの? しかも厄災討伐後の今になって」
思い返してみれば、ガノン封印前のリーバルはメドーの歴史的背景にはさほど興味がないように見えた。ミファー様はルッタのことをこれでもかと調べ尽くしていたようだから、同じ英傑でも神獣に対する見方が随分違うんだなあと思った記憶がある。
私の問いにリーバルは一瞬動きを止めた。そして少しの間を置いてから再び資料をひとつ捲り、いつもの調子で話し始める。
「村の子供たちに教えてやるんだよ。メドーがまた怖がられたり、ましてや"おバカ"なんて言われちゃあ堪らないだろう?」
「ああ、確かにそんなこと言われてたもんね……ん?」
それっていつの話だっけ。
今のメドーは厄災を倒した神獣としてリト族の皆から守り神だと崇められているから、文句どころか怖がる子すらいなかった気がするけれど。百年後のあの世界ならともかく。
はて、と首を傾げているうちにいつの間にかリーバルは資料を纏め帰る準備をし始めていた。まあいいか、私が知らないだけかもしれないし。
それに神獣に乗った本人が体験談として語ってくれるなんて有り難いことこの上ない。村の子たちはリーバルを慕っているから、きっと皆の記憶に残る話になるだろう。
「話、後で聞かせてね。当事者の言葉は貴重だから、私もちゃんと記録しておかないと」
それが、あの世界で命を落とした皆のために出来ること。いろんな人がいろんな形で語り継ぎ未来へ繋げ、忘れないことで皆は記憶の中に生き続ける。そう信じてるから。
「ああ、分かっているよ」
リーバルは背を向けその翼を大きく羽ばたかせ、青く広がる空へと急上昇した。空気が舞い上がり、私の周りは強い風に包まれる。
「──ナズナ、」
リーバルが私の名前を呼んだ。空を見上げてみるものの、太陽の光と重なった彼の表情は逆光でよく見えない。
「────」
発した言葉は私の耳に届く前に風の音にかき消される。聞き返そうとする間もなく彼は力強く大空を仰ぎ、あっという間に見えなくなってしまった。
何て言ったんだろう。ぽつんと一人残された私は、リーバルがいなくなった後の透き通るような青空を眺める。
その視線の遥か先には、まるで私たちを見守るかのようにメドーが静かに鎮座していた。
back