17


 その翌日──知恵の泉での修行を終えた後も私はひたすらに祈り続けていた。
 でも、ネルドラ様の御姿を見るどころか気配を感じることすら叶わない。私だけじゃない。皆の思いも背負っているのに、それでもまだ足りないなんて。

 薬を飲んでいるとはいえ、ここは雪山の山頂付近。刺すように冷たい泉の水は私の体力をどんどん奪っていく。
 唇をぐっと噛みしめながら寒さに耐え、既に感覚を失ってしまった脚をなんとか動かし再び泉で禊をしようと歩みを進めた。

「ナズナ……! 今日はもう終わりにしましょう」
「ううん、もう少しだけ──」

 もしかしたら、次の祈りで届くかもしれないから。
 そう心の中で呟いてゼルダの静止を振り切る。そして泉の水に足をつけようとした、そのときだった。

「ナズナ」

 ふいに腕を掴まれ、そのまま身体ごと後ろへ引かれてしまう。思わず振り返ると、眉間に皺を寄せるリンクの顔が目に入った。
 怒ってる──と思う間もなく、リンクは両手で私の頬をむにゅっと挟み込む。

「んぐっ……な、なにするの……!」

 私の抗議の声なんてお構い無しに、リンクはじとっと冷ややかな視線を向けてくる。そしてそのまま数秒見合った後、気まずくなって先に私が目を逸らすとリンクが長い溜め息をついた。

「無茶はするな、って姫様やオレに何度も言ってたのは誰だっけ?」
「う……でも、」
「でも、じゃない。ナズナって自分のことになると適当だよね」
「そうですよ。特に知恵の泉はこの環境もあります。無理をして後に響いては元も子もありません」
「っ……ごめん」

 リンクだけではなくゼルダからも諭され、視線を自分の足元へ落とす。それを見たリンクは困ったように笑い、私の顔から手を離した。

「でも、ナズナの気持ちは分かるよ。オレも昔はそうだったから」
「ええ、私も。独りでがむしゃらに祈り続けて……今思えば、かなり無茶をしていました」

 その言葉を聞いて心臓がどきっと跳ねた。独りでがむしゃらに、なんて今の私も同じじゃない。あれだけゼルダに言っておきながら──と、恐る恐る視線を上げると、ゼルダは眉を下げ少し哀しそうに笑っていた。それでも、真っ直ぐに私を見つめる眼差しは決して曇ることはない。

「最初は……ナズナに力のことを伝えるかどうか迷いました。責任感の強いナズナだから、自分を追いつめてしまうのではないかと思って」

 その言葉を聞いて、だからあのとき──ゼルダが私の中に眠るネルドラ様の力のことを話したとき、後ろめたいような表情をしていたのかと理解した。
 ゼルダの助けになれるとすっかり舞い上がって私は気付けなかったけれど、ゼルダは私のことを心配してくれていた。姫として、本当はそんなこと気にしている余裕なんてあるか分からない状況だったのに。

「──でも、きっとネルドラのしたことには何か意味がある。そう思い伝える決心をしたのです。もしナズナが自分を責めるようなことがあっても、貴女なら私たちが差し伸べる手を素直に掴んでくれると信じていたから」
「それに、ナズナの側にはオレだって姫様だって……皆だっている。ナズナは独りじゃない。だからネルドラのこと、オレたちも一緒に背負うよ」

 ゼルダはリンクの言葉を噛みしめるようにゆっくり頷くと、そっと私の手を包み込み祈るように言葉を紡いだ。

「あの世界のミファーが言おうとしていた言葉……今なら分かる気がします。私たちの力は、心から人を思う気持ちがあってこその力……だから、きっと大丈夫」

 瞬間、繋がれたゼルダの手を通して次々に暖かい思いが私の中に流れ込んできた。不思議と理解できる。これは、きっとあの世界の皆の思い。それが私の中に溶け込んでいる"今"の皆の思いと交わって、春の木漏れ日のように私の心を明るく優しく照らし──

「……雪?」

 ふと、氷の華がはらはらと降り始めた。つられて空を見上げてみるけれど、雲一つない快晴。どうして──と思う間もなくそこにネルドラ様の気配を感じた。必死に目を凝らすものの、視線の先には深い青空が広がるだけ。でも、確かにそこにいる。
 私は叫んだ。届くのか分からないけれど、きっとネルドラ様に届くことを信じて。

「──ッ! ネルドラ様、有難う御座いました。ここまで来るに至った奇跡……決して無駄には致しません。どうか……どうか、私たちをお見守り下さい」

 空に向かい手を伸ばすと、何かに触れた気がした。この感覚は──あのときガノンの怨念に襲われそうだった私を護ってくれた、冷たいけれども心地良い、あの感覚。
 それを感じると同時に、大量の記憶が頭の中に流れ込んできた。


 リンクとゼルダの側にいる私の記憶。でも、今隣にいる二人じゃない、きっとどこか違う世界の二人。そして何度も何度も繰り返される戦いの歴史──それを見て理解した。
 前世の私も、その時代のリンクとゼルダの側にあった。私の魂は、この長いハイラルの歴史を巡っている。


 ぽろぽろと溢れ出る涙を拭うことさえ忘れて、その記憶に思いを馳せる。私が気付かなかっただけで、ネルドラ様は……ネール様は、前世からずっと私を見守ってくれていた。永い時の中で力が薄れてしまった私のことも、ここまで導いて下さった。
 時の神殿跡で勇者様に言った私の"御役目"──自分で辿り着いた結論は、決して間違ってはいなかった。ゼルダを守護しハイラルを平和に導く。私の魂は、ずっとそのためにあったのだから。

 ようやく思い出した。とても……とても永い時間がかかったけれど。



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