04


「私、遺物研究を止めようと思います」

 ゼルダの言葉に思わず耳を疑った。
 その言葉を発した本人は気丈に振る舞ってはいるものの、諦めなのか悔しさなのか、どこか遠くを見ているようで見ているこちらが辛くなる程に痛々しく感じる。

「そんな……どうして急に、」
「御父様に厳命されたのです。今後は泉での修行に専念しろ、と」
「なっ……!」

 何それ。遺物研究はゼルダの支えのひとつなのに。強要された義務感だけの祈りが成果を生むなんて思えない。これ以上追い詰めて良い結果になる可能性なんて──

 ふつふつと込み上がる怒りで思わず言葉を失う。それが顔に滲み出ていたのか、ゼルダが困ったように少し眉を下げ、私を宥めるように優しく声を掛けた。

「仕方がありません。いつまで経っても力に目覚めない私が悪いので」
「っ、違う。ゼルダは悪くない」

 一番辛いのはゼルダなのに。気を使わせるなんて何をやっているんだ私は。

「ゼルダは今までずっと頑張ってきたよ。頑張りすぎなくらい。私だけじゃない、ウルボザ様もインパ様も……リンクだって知ってる。これ以上自分を責めないで」
「……ナズナ」
「それに、遺物研究だって厄災に対抗するための手段に違いないじゃない。私は今更、この状況を変える必要はないと思う」

 最近ゼルダはリンクとも打ち解けてきたようで、昔と比べたらかなり穏やかになったし沢山笑うようにもなった。このままゼルダの心が安定していれば力に目覚めるような……そんな気がしていたのに、何で今になって。

 ゼルダは私の言葉に一瞬表情を崩すも、直ぐに何もなかったかのように振る舞い真っ直ぐに私を見据えた。

「ありがとう、ナズナ。
ですが……御父様の言うことは事実です。姫としての責務を果たすため、今はそれだけに集中しなければなりません」
「……っ、」

 きっともうゼルダの中で結論は出ている。私が何を言ってもそれが覆ることはないだろう。でも、本人が納得して決めたことならともかくこんな形で懸命に続けてきた研究を諦めさせられるなんて。私まで悔しくて堪らなくなって、ぎゅっと拳を握りしめた。

 そもそも、"無才の姫"なんて酷いことを言ってゼルダを責めるような人たちがいるから。
 悪意のある言葉や視線を幼い頃から浴び続け追い詰められて、焦燥感や罪悪感にまみれた無茶な祈りを神に捧げることになって。護るべき人たちからそんなふうに扱われて、護りの力になんか目覚める訳ないじゃない。ゼルダだって姫である以前に私たちと同じ人間なんだから。
 それでもゼルダはずっと必死に頑張ってきた。そんな人たちをも護るために。なのに──

「……十七歳になるその日、知恵の泉に行こうと思っています」

 ぽつり、とゼルダが呟く。

「知恵の泉は最後の希望です。もし、今度の禊でも駄目だったら……」
「そんなに思いつめないで。まだチャンスはある」

 咄嗟にゼルダの手を握り、そこで気付いた。その手が冷たく震えていることに。それに、どこか目も虚ろで様子がおかしい。まるで何かに怯えているような──

「ゼルダ……? どうしたの……」

 問いかけに何も答えず、ゼルダは弱々しく首を横に振り震える手でぎゅっと私の手を握り俯く。こんなゼルダ初めて見た。嫌な予感が頭を過ぎる。
 私はただ、その手を握り返すことしかできなかった。



***



 知恵の泉での修行が行われる日。あのときのゼルダの様子が頭から離れず、許可を得て私もラネール山の麓まで同行することにした。
 リーバルは出迎えにだけ来るという話だったけれど、他の英傑の皆も一緒に来て今はゼルダが修行を終え戻ってくるのを待っている。良い知らせが来ることを信じて。


「ナズナ、御ひい様の様子……気付いてるだろう? 何か知ってるかい?」
「いいえ……でも、まるで何かを感じ取っていたような、そんな気がしました」

 ゼルダが何に怯えているのか、結局私には分からずじまいだった。ウルボザ様にも話していないとなると、きっとまた独りで抱え込んでいる。ゼルダを支えるには力不足の自分自身に、もどかしさを感じてならない。

「……姫様」

 ミファー様はラネール山の頂上を見上げ、祈るように呟いた。同じ姫という立場上、私なんかよりミファー様のほうがゼルダの苦悩を理解している。だからこそ、彼女は今こんな辛そうな表情を浮かべているのだろう。

「ま、まあ今回の修行で何か得られるかもしれないだろ? 姫さんの事を信じて待とうぜ、皆」
「……うん、そうだよね。私たちが姫様を信じないと」

 思い空気を払うようにダルケルさんが言う。
 確かにそうだ。今はゼルダを信じて待つしかない。それに今はラネール山の頂上にネルドラ様の気配を感じる。きっとゼルダのことも見守ってくださるはず。

 瞳を閉じ、私も祈りを捧げる。
 私もあれから何度もラネール山に参拝をしたけれど、今日に至るまであの声がはっきりと聞こえることはなかった。
 今、ネルドラ様は何を思っているのだろう。初めてゼルダの祈りを受け、そして──
 


***



 ゼルダとリンクがラネール山から戻ってきた。遠くからでもゼルダの足取りが重いことが分かる。つまり──そういう事だろう。


「ごめんなさい………」

 ゼルダは俯き謝る。
 ゼルダのせいじゃない──そう声を掛けようとした瞬間、凄まじい程の悪寒が背を走った。手足の先が冷たくなり心臓が激しく脈打つ。恐ろしいものにじっと見られている感覚に冷や汗が止まらなくなり、無意識に身体が震え始める。それと同時に、ネルドラ様の優しい気配がピリッと緊張した空気に変わった。でも、皆は何事もないように話を続けている。

 私だけしか気付いてない?
 何なの、これ……

「……ナズナ?」

 リンクは私の異変に気付いたのか、心配そうな顔で私の顔を覗き混んだ。

──何か来る。

 その言葉を口にする前に、大きく地面が揺れた。その衝撃に皆が思わず身体をよろめかせる。

 直ぐさまリーバルが上空に飛び上がり、周囲の様子を見渡す。ハイラル城の方面を見たリーバルは目を見開いた。城には暗雲が立ち込め、赤黒い稲妻が降り注いでいる。城の周りを旋回するように渦巻く怨念──

 厄災ガノン。奴が、目覚めてしまった。




 ダルケルさんが皆に指示を出す中、私はネルドラ様の気配がどんどん邪悪なものに侵食されていくのを感じていた。
 苦しんでいる。どうしよう、早く助けないと──

「ナズナはなるべくハイラル城から離れた所に避難しといてくれ。
……ナズナ? おい、聞いてるか?」

 ダルケルさんの声を遮るようにがんがんと頭の中に響いてくる声。こんな時になっても未だはっきり聞き取れないけれど、ネルドラ様に呼ばれていると、そう確信した。

「ごめんなさい。私、知恵の泉に行かなきゃ……!」

 焦燥感からラネール山に向かい走り出そうとしたら、ダルケルさんに肩を掴まれ止められる。

「今一人で動くのは危ねえ。ここからならカカリコ村が近いから、まずはそこに避難するんだ」
「っ、でも……!」

 正論だ。私が一人で行動したところでどうにかなるなんて思えない。でも、ずっと感じなかったネルドラ様の意思を今は確かに感じる。今ここで行かなかったら、私がいる意味がない。そう思えてならなかった。

「行かせてあげな、ダルケル」

 気持ちばかり焦る私にウルボザ様の凛とした声が届き、弾かれたように彼女のほうを振り向く。目に映る彼女の真剣な表情は、私にあのときの言葉を思い出させた。

「声……聞こえるんだろ? でも、絶対に無理はするんじゃないよ」
「──っ、はい」

 ウルボザ様の声に少しずつ冷静さを取り戻す。焦ったところで状況が良くなる訳じゃない。私は私にしかできないことを確実にやり遂げないといけないのだから、まずは落ち着かないと。
 私は一度深く息を吐いてから皆に向き直った。皆はこれからあの厄災と戦うんだ。今ここで時間を取らせる訳にはいかない。
 
「皆、私は大丈夫です。だから、どうか……気をつけて下さい。
リンク、ゼルダのこと……お願いね」

 リンクは何か言いたそうに口を開きかけたけれど言い留まり、真っ直ぐに私を見て頷いた。

「ナズナ……」
「ゼルダ、大丈夫だよ。だって、今まで皆で頑張ってきたじゃない」

 不安そうに私を見つめるゼルダをぎゅっと抱きしめる。大丈夫という確証なんてない。でも、今はそう言うしか……そう信じるしかなかった。そうしないと本当に、不安で押しつぶされてしまいそうだったから。


──皆は強い。封印の力が無くても、きっとガノンを倒せる。

 そう自分に言い聞かせ、皆の無事を祈りながら知恵の泉へ走った。



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