08


 私たちの生きるハイラルは、一度は滅んだ国だった。

 封印してもなお蘇りハイラルを滅ぼそうとする厄災ガノンと、それを阻止するため戦う勇者と姫の物語。空想上の話ではないのだから、ハッピーエンドで終わらないこともそれは当然あるだろう。
 最後の戦いから数百年。復興も終えハイラル最盛期の勢いを取り戻しすっかり平和になった今、その当時の記録は人々から忘れ去られハイラル各地に散らばっている。
 それを集め歴史を紐解くのが、私と私のお姉ちゃんの仕事だ。



「ハテノ村って……なんでこんな遠いの……」

 穏やかな春の日差しの中、ひとりぽつんと溢した愚痴は誰の耳に届くことなく木々の間に消えた。
 今回は馬を借りられたからまだ良いものの、もしこれを歩いて調査しろなんて言われたらたまったもんじゃない。シーカー族の身体能力と一緒にしてもらったら困るんだから、と自由奔放な上司の顔を思い浮かべ深いため息をついた。
 ハテノ村はハイラル城から物理的に距離がある。だからこそ、かつての大厄災の中でも滅亡せずに生き残った村だということは理解してはいるけれど。それでもやっぱり調査に出向くなら近場がいいとは思ってしまう。意外と遠出が好きなお姉ちゃんとは真逆の性格。双子なのに顔以外はこうも似ないものなんだなあと苦笑した。

「……あ、見えてきた」

 私がそんなことを考えている間にも馬は道なりに歩みを進めてくれていて、気付けばハテノ村の門らしきものが視界に入るまでの距離にまで近付いてきていた。

――そもそも何故ハテノ村に用があるのかというと、かつて勇者が暮らしていたという家がこの村にあるという噂を耳にしたからだった。
 厄災ガノンや神獣、ガーディアンに関わる記録はハイラル城の図書室にも所蔵されているものの、大厄災に立ち向かった人々の記録は未だ各地に点在しているままだ。私たちはそれを調査し書物にまとめ、ハイラル王国にまつわる正式な歴史として記録するという仕事を担っている。
 とりわけ勇者の記録となると重要度は増す。そんな責任重大な仕事をこんな小娘一人に任せる上層部の考えなんて分からないけれど、任された以上は責任を持ってやり遂げるだけだと腹をくくり村の門をくぐった。

「まずは村長さんにご挨拶してお話を聞かなきゃ。今回は……失敗しないといいけど」

 思い出すのは数ヶ月前、ゲルドの街を訪れたときのこと。お姉ちゃんと二人で調査をしていたけれど、何が気に食わなかったのか私だけゲルド王から話を聞く許可が下りず、あろうことか街から追い出されてしまったことがあった。その一方でお姉ちゃんはあの王に大層気に入られてしまったようで。
 そんなこともあり、ゲルド地方の調査はお姉ちゃんに任せ私はなるべくゲルドの街に関わらないようにしている。だってあの王様、我儘で傍若無人で怖いんだもん。
 ……まあとにかく失礼がないようにしないと。これでまた村を出禁にでもなったら流石に私の首が危ういから。

「確か村長さんの家は真っ直ぐ行って――あれ?」

 妙な違和感があり足を止める。
 この村の光景、どこかで見たことあるような。

「……?」

 初めて訪れた場所のはずなのに、村のどこに何があるのかが分かる。万屋に服屋、もう少し進むと染物屋に宿屋。そして、この祠の手前の道を曲がり村の外れの橋を渡った先には――

 心臓の鼓動が速まった。
 何か……何か大切なことを忘れている気がする。

 いても立ってもいられなくなって駆け出した。橋の先にある家。私はあの場所に行かなければならない。どうしてそう思うのかなんて分からないけれど、確かに私はあの家で――

 息を切らしながら無我夢中で橋を渡る。あの家が見えてきた。そして、その庭には。

「――っ、桜……?」

 満開の桜が咲き誇っていた。その花は、まるで「おかえり」と私を歓迎するかのように春風に揺れている。その姿から目が離せず、吸い寄せられるようにその桜の幹に触れ――何分の間そうしていただろう。バタン、と扉の開く音で我に返った。
 この家の人だろうか。勝手に庭に入り込んでぼーっと立ち尽くして、不審者だと思われてしまう。早く謝らないと。
 慌てて振り返り勢い良く頭を下げる。

「あっあの! すみませんでした! あまりに綺麗な桜だったからつい……」

 そう言いながら恐る恐る頭を上げると、目の前にいたのは私と同い年くらいの青年で。ぽかんと驚いたような表情をする彼は、穴が空いてしまうのではないかというくらいの視線を私に向けていた。

「……あの、」

 そのまま動かない彼に、おずおずと声をかける。
 どうしたんだろう。怒らせちゃったかな。それとも私の顔に何かついてるのかな。それにしてもこの人、どこかで見たことがあるような――

「名前……」
「え?」
「君の名前、教えてほしいな。なんて言うの?」
「ナズナ、です」
「ナズナ……うん、やっぱり」

 ようやく口を開いてくれたと思ったら、開口一番に聞かれたのは私の名前だった。さっきの謝罪から続く会話と少し噛み合ってない気がしたけれど、名乗らない理由もないので素直に名前を教える。すると彼は私の名前を繰り返し、嬉しさを隠せないような笑顔を溢した。その笑顔を見た瞬間、どうしてか無性に泣きたくなって鼻の奥がツンとしたので慌てて必死に取り繕う。

「オレはリンクっていうんだ。ナズナは見た感じ旅人っぽいけど……何か探してた?」
「あっ! そうなんです。勇者が暮らしていた家がハテノ村にあるって聞いて来たんですけど……」
「ああ、それならこの家だよ」
「!? そうなんですか?」
「うん。よかったら中に入る? 勇者が遺したものも色々あるから」
「是非! お言葉に甘えて……!」

 思いもしない幸運にすっかり涙は引っ込んだ。まさかこの家がそうだったなんて。しかもあっさり中にも入れてくれるし、勇者が遺したものもある程度は現存しているとのことで。これは調査もすんなり進みそう。

 リンクさんに案内され、家の中に足を踏み入れる。不思議と懐かしく感じる風景、懐かしい空気。胸がぎゅっと苦しいくらいに締めつけられた。
 覚えてないだけでここに来たことあるんだったっけ? と首を傾げていたら、

「この本、見てくれないかな」

 リンクさんに一冊の古びた本を手渡された。数十年……いや、百年以上は昔のものだろう。劣化が激しく、所々補修された跡が残っている。
 この本が勇者が遺したものの一つなのだろうかと期待を込めて最初のページをめくってみると――

「これ……私?」

 その本には、桜の木の下で微笑む私そっくりの女性が描かれていた。
 いや、描かれているというより……これは恐らくウツシエだ。シーカー族の人から、"現像"というものをしたウツシエを見せてもらったことがある。それにそっくりだった。
 ページをめくるたび色々な表情を見せるウツシエの中の私。引き込まれるようにそれを見ていたら、あるページに私と青年が二人一緒に写っているのが目に入り思わず息が止まりそうになった。
 だって、その"青年"は――

「――夢を見たんだ。桜の下で、誰かを待ち続ける夢」

 ぽつり、と優しい声色で語り始めるリンクさんに目を向ける。知らぬ間に私の目から溢れ落ちる涙が何を伝えようとしているのかは、まだ分からない。

「単なる夢だとは思えなくて、ずっと待ってた。この桜の木の下で。そうしたら――今日、ナズナに会えた」

 リンクさんが私の手をそっと包んだ。手から伝わるその体温が、心の奥深くに眠る記憶の扉を開き、ひとつ、またひとつと欠片を浮上させる。

 そうだ。私は、あのときこの部屋で――
 
「――っ、リンク……!」

 ずっと、ずっと願っていた。リンクと共に生きることを。永遠とも思えるような夜を越えて、それがようやく叶ったんだ。

「おかえり、ナズナ」
「ただいま……っ!」

 互いに強く抱きしめ合う。離れ離れだった時間を埋めるように。もう二度と離れることのないように。

 私たちの物語はまたここから始まっていく。
 輪廻の呪縛を断ち切った、このハイラルで。

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