03
数年前から不思議なものが見えるようになった。
空を飛ぶ、蛇のような龍のような生き物。
初めは透けたりぼやけたり、見間違いではないのかとさえ思っていたのに年々はっきりと見えるようになって、更には気配まで感じられるようになって──
それがネルドラ様だと気付いたのは、半年前のことだった。
私の一家は知恵の泉の精霊であるネルドラ様を信仰している。いつの時代からなのかは分からないけれど、歴史はかなり古いらしい。
ハイリア人は女神ハイリアを信仰している者がほとんどなのに、精霊信仰──しかも三精霊のうちネルドラ様だけを信仰対象としているのは非常に珍しいと言えるだろう。
私の故郷がハテノ村にあるのも、いつでもラネール山を拝むことが出来るその土地を気に入ったご先祖様が定住したのがきっかけだとお母さんが教えてくれた。
でも、ネルドラ様の御姿を見た者がいるなんて話は家系を遡っても聞いたことがない。伝承としての言い伝えはある訳だから、もっと昔のご先祖様には見たことがある人がいたのかもしれないけれど。
そして最近、たまに頭の中に呼びかける声が聴こえることがある。とは言っても、それは何かに遮られるかのようにくぐもっていて、何を言っているのかはっきりとは分からない。
ネルドラ様は……私に何を伝えようとしているんだろう。
***
「──おい……おい、ナズナ!」
「は、はいっ!?」
「全く……人が話してる最中だっていうのに。相変わらず失礼だね、君」
「うっ……ごめん……」
リーバルはやれやれと大袈裟に肩をすくめ、ちくりと痛い視線を私に向ける。
彼に嫌味を言われるのは慣れたものだし反論でもしようかと思ったけど、話を聞いていなかったのは間違いないのでとりあえず謝ることにしておいた。
ゼルダとのちょっとしたお茶会が終わり、城下町に戻ろうとしていたところに英傑の皆とばったり会った。リンクは居ないようだったけど、どうやら国王様に呼ばれたらしい。
世間話がてら丁度良い、調査として神獣の繰り手の試練とやらの内容でも教えてもらおうかと立ち話をしてしていたら頭の中にぼんやりと例の声が響いてきて、気付けばこのザマである。
注意力が散漫になってしまうのは流石によろしくないな。見知った仲とはいえ英傑の前なのだから。
「しょうがないよ。だって、ハテノ村からこっちに来たばかりなんでしょ? きっと疲れてるんだよ」
と、さり気なくフォローにまわって下さるミファー様。相変わらずお優しいなあと感激していたらリーバルから呆れたような溜息が聞こえてきた。けど聞こえなかったふりをして、さっきまで聞いていた試練の内容に話を戻す。
「ねえリーバル、その"龍の角を射抜く"ってどんな龍だったの?」
でも、そう言った途端にリーバルに冷ややかな視線を向けられた。やばい、不味いこと言ったかも。
「……さっき言ったんだけどなあ? 君、本当に僕を不愉快にさせるのが上手いね」
不機嫌オーラをこれでもかと飛ばしてくる彼に冷や汗が流れる。ああ、これは面倒になりそう。いや私が悪いんだけど。
「ご……ごめん、聞いてませんでした……」
「ああそう。じゃあもう教えてやることはないね」
「えっ!? 待ってリーバル、何でもするから!」
つーんとそっぽを向くリーバルに焦って平謝りする。そんな私達のやり取りを見てかウルボザ様が噴き出し、ミファー様はおろおろし始めてしまう。どうしたものかと思っていたら、何か考え事をしているようだったダルケルさんが突然ポンと手を叩き大きな声を響かせた。
「ああ思い出した! ド根性ガケに行った時に見たんだったな、あの炎の龍。確かオルディン台地を西に向かって飛んでったぞ」
「っ! 炎の龍……ダルケルさんも見たんですか?」
「ああ。俺以外見た奴は居なかったから見間違いかと思ってたんだが……リーバルも見たんなら間違いねえようだ」
炎の龍、ということは、伝承と照らし合わせるときっとオルドラのことだろう。試練の龍はネルドラ様じゃなかったようだけど、龍を見た人が二人も居る。今まで得られなかった手掛かりをようやく掴めた。
「もしかして、その龍から声が聴こえてきたりしませんでしたか?」
少し食い気味になって一番気になっている事を尋ねる。もし私に起きている現象が二人にも起きているならまた一歩前進するのだけれど。でも、期待とは裏腹にダルケルさんは「声?」と腕を組み首を傾げた。
「いや、特に何も聴こえなかったな。それに俺が龍を見たのはあの時の一回だけだ」
「そうでしたか……じゃあ、リーバルは?」
と、顔を向けたらまだ機嫌が悪かったようで再びそっぽを向かれてしまう。正面に回り込もうとしても上手く躱されるし喋ってくれないしで埒が明かない……と思っていたら、見かねたウルボザ様が溜息をついて助け舟を出して下さった。
「ったく……リーバル、いつまで拗ねてるんだい」
「なっ!? ……おいウルボザ、僕は拗ねてなんか」
「悪いねナズナ、今日はずっとこんな調子なんだ。気を悪くしないでやってくれ」
「? いえ、いつものことなので」
「いつも、って……言ってくれるじゃないか」
「はいはい、分かったからナズナの質問に答えてやりな」
ウルボザ様に軽く肩を小突かれ、リーバルはしょうがないなとでも言いたそうに渋々口を開いてくれた。
「……龍の声なんて聴いてないね」
「そっか……ありがと、リーバル」
二人とも声は聞いていない。やっぱりそう簡単にはいかないかと少し肩を落とすけど、私以外に龍を見たという人が二人も見つかっただけでも今は充分だ。また地道に情報収集しようと気を取り直す私に「ナズナは龍の声を聴いたことがあるの?」とミファー様に声を掛けられた。興味津々に目を輝かせるその様子に、彼女はまるでルッタと語り合っているようだったというリンクの話を思い出す。そういえばかつてゾーラ族にも精霊信仰があったんだっけ。それこそ一万年前よりずっと昔の話だけど、今も神聖な職が多く残るゾーラ族の王女様なら何かご存知かもしれない。
「聴こえはするんですけど、ぼんやりしていて内容までは……
ミファー様はルッタとお話できるとリンクから聞いたのですが、コツみたいなものってあるんですか?」
自分で聞いておきながら、そもそもこういうものにコツなんてあるのだろうかと疑問に思う。不思議な力なんて持っていない私にとっては全く未知の世界だから──と、ゼルダの後ろ姿が頭に浮かんで心の奥が重くなった。比べるのもおこがましいレベルの話だけど、ゼルダはずっとこうやって悩んできたんだ。しかも自分の力にハイラルの命運が掛かっているときたら、その責任や重圧に押しつぶされて気に病むのも仕方がないと思う。
そんな思いを知ってか知らずか、ミファー様は私の手をきゅっと握り微笑んだ。
「今は嬉しいとか悲しいとか、そういう感情が何となく分かるだけで……
でも、私もルッタともっとお話したいと思ってるの。根気良く続けて心を通わせれば、きっとお話できるようになるって信じてる」
そう語るミファー様は慈愛の笑みを浮かべる。それだけで私の心もじんわり癒されたような気分になって前向きになってきた。
根気良くか……そうだよね。私もラネール山を参拝できる年齢になったんだから、地道に参拝を続けよう。そのうち光が見えてくるかもしれない。どうして私なのかは分からないけれど、ネルドラ様が私に何かを伝えようとしているのなら、私もそれに応えないと。
「声、ねえ……」
ぽつりとウルボザ様が呟く声が聞こえた。どこか神妙な面持ちの彼女は何か言いたそうにふいと私を見たので、何だろうと首を傾げたらリーバルが口を開いた。
「話はもういいかい? もうリトの村に戻らないといけないんだけど。明日は神獣操作の訓練があるからね」
「えっ、そうだったんだ! ごめんね、付き合わせちゃって」
リーバルの言葉にはっとする。気付けばもう夕刻。うっかり長話をしてしまった……皆は忙しいのに申し訳無い。
***
皆と別れ、さて私も宿に戻ろうとした時「ナズナ」とウルボザ様に呼び止められたので足を止め彼女のほうを振り返る。そういえばさっき何か話そうとしていたっけ。
「さっきは有り難うね。リーバルの奴、リンクが厄災討伐の要だって聞いた後からずっとピリピリしてたんだよ」
「え、そうだったんですか? でも感謝されることなんてしてませんし……」
「そうやって普通に接してくれたじゃないか。たまにはそういう時間も必要なんだ」
たまには、という言葉がとても重く感じる。英傑である皆にとって、今まで当たり前だった普通の日常はもう当たり前じゃなくなっているんだ。
当事者からその話を聞くと本当に厄災の脅威が迫っているという事実をまざまざと思い知らされ、それが心に重くのしかかる。
「私の周りには息抜きの仕方が上手くない子が多くてさ。リーバルも、リンクも……御ひい様も」
「……ウルボザ様、」
「あの子、最近元気なかったからナズナが会いに来てくれて良かったよ」
「いえ……そんな。ゼルダは大切な友達ですから、いつだって会いに来ます」
つい言葉に力が入る私に、ウルボザ様が優しく微笑む。その後、真剣な顔で真っ直ぐ見つめられた。
「ナズナにはきっと、御ひい様の助けになる力がある」
「っ!」
「聖なる者の言葉を聴く力……厄災が復活しようとしている今このタイミングでナズナにそれが宿るなんて、私にはとても偶然には思えない」
ウルボザ様の言葉を頭の中で繰り返し息を呑む。根拠も何も無い話なのにこんなにも説得力があるように感じるのは、ゲルドの長であるウルボザ様も不思議な力を持っているからなのかもしれない。
ゼルダの助けになる力──もしそんなものが私にあったらどれだけ嬉しいか。いつも私は見ていることしかできなかった。唯一助けになれそうだった姫の力の研究だって、結局何も分からずじまいだったから。
私がネルドラ様の声を聴けることに意味があって、それがゼルダの助けになる力なのだとしたら何だってしたい。
「ナズナには感謝してるんだ。どうか御ひい様を……支えてやっておくれ」
「──はい。勿論です」
胸に決意を秘め、こくりと頷く。
陽が沈んだ空には、星が輝き始めていた。
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