07


「私……もう死んでたんだね」

 ぽつり、と小さく呟いた言葉にリンクの肩がびくっと跳ねる。その反応を見て確信した。リンクはやっぱり知っていたんだ。私が既に魂だけの姿であることを。
 一見信じがたい、余りに非現実的な話。それなのにすとんと受け入れられたのは、魂だけになってもリンクの目覚めを待ち続けた四人の英傑や国王様の話を彼から聞いていたからかもしれない。それがまさか、自分もそうだったなんて思いもしなかったけれど。

「いつから……知ってたの?」
「っ、マスターソードが力を取り戻した……そのときに」
「……そう、だったんだ」
 
 ベッドに立て掛けるようにして置かれたマスターソードに視線を向ける。リンクと初めて出会ったとき、見覚えがあるような気がしたのも今思えば当然のことだった。
 "時の勇者"だった頃のリンクが持っていたものと同じマスターソード。何度も何度も"リンク"と出会い、長い時を経て今ここにいるリンクへと受け継がれた聖なる剣――

「覚えていてくれたんだ……私のこと」

 一万年以上、気が遠くなるほど昔のことなのに。
 そっと手で剣に触れてみるけれど、私には何も感じないし聞こえない。リンクにはこの剣に宿ると言われている精霊の声が聞こえているのだろうか。


 目を閉じて、"もうひとりの私"から受け取った過去の記憶を辿る。
 元はひとつの魂だった私たち。あのとき――ガノンドロフに殺される直前、恨み辛みや憎しみの負の感情を全て引き受け、あの子は"私"と分離した。
 せめてもの抵抗だった。私の心を疲弊させ闇に堕とし、神の力を剥奪させることが目的だった奴の思惑通りになんてなりたくない、と。そして穢れていない魂の欠片である"私"なら、またリンクやゼルダ様に会えるかもしれない――あの子はそんな僅かな希望に賭けた。
 そして、ふたつに分かれた魂ごと……ガノンドロフに喰われ、奴の魂に取り込まれた。

 それから一万年以上もの間、この時代に至るまでガノンに囚われ続けていた私を無理矢理引き剥がして下さったのが"今"のゼルダ様。
 彼女が封印を維持するため自らガノンに喰われたことにより、私の魂は聖なる力に直接触れ外へ弾き出され――気がつけば、ハイラル城の前にひとりぽつんと佇んでいた。


「本当は……思い出してほしくなかった」

 長い沈黙の後、目を伏せたリンクが今にも消え入りそうな震えた声で呟く。

「やっと……やっと会えたんだ。何度も何度も繰り返して。なのに……っ」

 綺麗な青い瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ち、床に染みを作った。リンクは涙を拭うこともせず、項垂れた頭の下で拳を固く握りしめる。

「全てを思い出したらナズナは消えてしまう。でもオレは勇者だ。あのとき救えなかったナズナの魂も、あるべき場所へ導かないといけない。それが……勇者としての使命なんだ。だから――っ」

 嗚咽を漏らしながら私に縋るリンクは年相応の青年にしか見えなくて。勇者として産まれた彼ひとりが抱えなければならなかったこの世界の理不尽な運命に、私の心も張り裂けるほどに酷く痛んだ。

 私だって、ずっとリンクと一緒にいたかった。

 そう言いたかったのに、涙が邪魔をして言葉がつかえてしまう。感情の波が押し寄せてくる。言いたいことが沢山ある。
 一緒にいられなくてごめん。また一人にさせてごめん――

 違う、私が言うべきなのは謝罪の言葉なんかじゃなくて。

「リンク」

 私の声にリンクはゆっくりと顔を上げる。泣き腫らしたその顔は彼の悲痛な心の内をそのまま表しているようだった。
 私はリンクに辛い思いをさせるためにここに戻ってきた訳じゃない。リンクには幸せでいてほしい。笑っていてほしい。ただ……ただ、それだけだから。
 
「――っ、ありがとう。リンクが私を強く思っていてくれたから……私はこの瞬間まで消えずにいられて、今こうやって話ができるんだよ」

 精一杯の笑顔で伝えたのは感謝の言葉。
 今なら分かる。リンクが側にいるときに怪我が異様な早さで治ったのも、強い眠気に襲われなかったのも。きっとリンクがいなかったら、私はとっくに消えてしまっていた。
 誰かを思う強い祈りの力は時に奇跡を起こすから。女神様の加護を受けたリンクの祈りなら、本来の肉体を持たず魂だけの姿だった私には尚更強く作用して、今まで消えることなく持ちこたえてくれたのかもしれない。

「また一緒に旅ができて楽しかった。隣にいられて嬉しかった。幸せだった」
「ナズナ……っ、」

 本来、私はここにいるはずのない人間だ。それなのにまたリンクに出会えて側にいられて……これ以上ないほどの奇跡を与えられた。あのとき言えなかった別れの言葉も感謝の気持ちも、今ここで伝えなかったらこれまでの全てが無駄になってしまう。まだ言えるうちに、消えてしまう前に聞いてほしかった。

「オレだって……っ! 幸せだった。時が止まればいいのにってずっと思ってた」
「……うん」
「でも、それじゃ駄目だってことも頭では理解してて。甘えてたんだ。ナズナと離れたくなかったから」
「そんなこと……ないよ」

 この旅を通して見てきた、勇者としてではないリンクの素顔。こんな運命じゃなければ。普通の青年として生きられたなら。そんなことばかり考えてしまう。
 それでも、私が消えた後もリンクはこのハイラルで勇者として生きていかなければならない。だから振り向かせてはいけない。希望を持ち前を向いてもらいたい。二人で過ごしたこの思い出を、ただ辛くて哀しいだけのものにはしたくないから。

「……大丈夫。リンクがたくさん思い出をくれたから。絶対、また会える」

 リンクの手をぎゅっと握りしめ、自分にも言い聞かせるように力強く語りかける。重ねた手は私のものだけ透けていて、ぼんやりと青白い光に包まれていた。
 恐らく、残された時間はもう少ない。
 伝えないと。あの子が私に託した願いを。本当に消えてしまう前に。それは、私の願いでもあるのだから。

「最期に、お願いがあるの」

 サイドテーブルの花瓶の中で淑やかに咲く姫しずかに視線を向ける。リンクだけじゃなく、ゼルダ様にも私の声が届くようにと願って。

 リンクにサトリ山で初めて貰ってから、いつの間にかここに飾るようになった姫しずか。新しく見つける度に私に渡してくるから次第に花瓶に入りきらなくなって、大きいのに買い換えないとね、なんて笑いながら話したのは三日前のことだったっけ――
 そんな幸せだった記憶を思い出しながら、真っ直ぐに視線をリンクに移す。

「この呪われた輪廻を断ち切りたいと……トライフォースに願ってほしい」

 神々の力を宿し、触れた者の願いを叶えるというトライフォース――その力を使いこの呪縛を完全に断ち切る。それが、あの子が私に託した願いだった。

 いつの時代も定められた運命を生きるしかない勇者、姫、そして魔王。何度も何度も争いを繰り返し、その度に傷付く皆の姿。ずっと眠っていた私とは違い、ガノンを通しその結末を見せ続けられていたあの子がこの願いに辿り着くのは当然のことだった。
 あの子がひとりガノンの中に残ったのは、彼にさえも救いの手を差し伸べようとしているから。前世からの呪縛に苦しみ続けているのは勇者と姫だけじゃないと知ってしまったから。あの子はあの子の役目を果たそうとしている。それなら……私だって。
 もし、この輪廻の呪縛を断ち切ることができるなら。争いもしがらみもないハイラルで、勇者も姫も魔王も関係なく皆が普通の人間として生きることができるなら私は――




「っ、必ず……! 必ずやり遂げる。ナズナの思いは絶対に無駄にしない」

 トライフォースという言葉を耳にしたリンクは私の願いの意図を察したのか、泣きはらした目を一瞬で固い決意を込めた目に変え私を見据えた。

「ありがとう……」

 結果として神に与えられた使命を放棄することになることに心苦しさはあるけれど。でも、やっぱりこれ以上リンクに辛い思いをさせたくない。
 神にひたすら従順だった昔の私では思いつきもしなかった心の変化は、あの子の影響なのだろうかと苦笑した。
 
「じゃあナズナ、オレからもお願い」

 先程より身体の透過が進行した私を、リンクはそっと抱きしめた。まるで壊れ物でも扱うかのように。

「願いが叶ったら……そのときは。またオレと一緒に生きてほしい」
「――っ!」

 正直不安はあった。私がまたリンクの元へ戻ってこられるかどうか。でも、この言葉がまるで道標のように私の行く道を照らしてくれる――そんな気がした。
 身体は透けてきていても、まだなんとか感覚は残っている。優しい体温に包まれながら、私も腕をリンクの背へと回した。

「絶対にまた戻ってくる。リンクの隣で生きたいから。何年かかっちゃうか……分からないけど」
「何十年でも何百年でもいい。ずっと……ずっと待ってるから」

 互いに誓い合うように言葉を紡ぐ。魂に刻み込むように、決して忘れることのないように。そして、どちらからともなく向かい合い微笑みを浮かべた。
 これが最期のお別れじゃない。あのときとは違って希望がある。そう思えるだけでこんなにも心強いなんて。例え今の私が消えてしまっても、リンクは……きっと、大丈夫。

 抱きしめ合う私たちに微笑みかけるかのように姫しずかが揺れる。リンクだけじゃなく、ゼルダ様もずっと見守ってくれていた。ガノンに縛られ続けていた私の魂をあるべき場所へ導くために。

「……ゼルダ様にも、ありがとうって伝えておいて」

 本当は、直接伝えたかったけれど。
 彼女がいなければ、私は今ここにいなかった。リンクに会うことすら出来なかった。ありがとうなんて言葉だけでは表せないほど感謝をしている。
 でも、ひとつ心残りなことは――

「私、助けられてばっかりだったね。本当なら私も戦わないといけなかったのに」

 そう、使命を結局ひとつも成し遂げられず終わってしまうこと。自虐を込めて薄く笑うと、リンクは少しむっとした顔で私の頬をつねる。

「痛っ、何するの……!」
「ナズナは使命に囚われすぎなんだよ。神様なんてオレたちにハイラルを任せっきりで何もしてくれないんだから、そんなの気にしなくていいの」
「……リンクだって、勇者の使命のこと気にしてたのに」
「それはそれ、これはこれ」

 二人分の笑い声が静かな部屋に木霊する。どちらからともなく重ねられた手は、しっかりと固く握りしめられていた。まるで別れを惜しんでいるかのように。

「"次"の私は……思い出せるかな。今の私の記憶を」
「大丈夫。ナズナが忘れててもオレが思い出させる」
「ありがと……あ、そういえばリンクはどこまで覚えてるの? 私のこと」
「全部」
「……本当に?」
「本当。ピーハットに追いかけられて泣いてたのも、怖がってスタルチュラハウスに入れなかったのもちゃんと覚えてるよ」
「っ! そんなの覚えてなくていいから!」

 顔を赤くして怒る私をからかうように、リンクは目を細めて笑う。
 こうしているとあの頃に戻ったみたいだ。やんちゃで無鉄砲で、でも強くて優しくて頼りになって――そんなリンクが大好きだった。一緒にいられて幸せだった。
 ああ、やっぱり名残惜しい。このまま時が止まってしまえばいいのに。

――でも、

「リンク」
「なに?」
「そろそろ……時間みたい」
「…………そっか」

 身体を包む光は段々と強くなり、繋いだ手の感覚も無くなってきた。脚は……もう既に実体をなくしているのが分かる。
 また会えるから。そう必死に言い聞かせても涙は止まってはくれなくて。最後は笑顔でいたかったのになあ、と泣きじゃくっていたら、ふいに顎をくいと上げられ唇に温かいものが触れた。

「――っ、」

 唇に残る体温。リンクも大粒の涙を流しているけれど、少し照れ臭そうな、けれどとても優しい微笑みを私に向ける。それにつられて私も自然と笑顔になれた。

「……行ってくるね」
「……うん。行ってらっしゃい」

 伝えるのは別れの言葉じゃない。また巡り会えることを信じているから。
 私の最後の言葉は優しい光に包まれ、優しくこの部屋を照らす月の元へと昇っていった。



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