ここは山麓の馬宿。ゴロンシティに向かうほとんどの旅人が立ち寄る馬宿だ。
 そしてゴロンシティといえばゴロン族以外の人間が生身で立ち入ったりでもしたら文字通り燃えてしまうほどの高温地帯。そのことはハイラルで暮らす私たちにとってごく当たり前の常識のはずだけど――

「知らなかったんだね……」
「……うん」

 やっちゃった、と照れ顔で頭を掻くリンクの服は所々焼けた跡が残り焦げた匂いが鼻を突く。よく見たら髪の先も少し焦げているけれど、酷い火傷をした様子は見られないことにほっと胸を撫で下ろし氷嚢の代わりにチュチュゼリーをリンクの頬に当てた。

「ごめん、確認しておくべきだった。てっきり薬か何か持ってるものかと……」
「何ともないから気にしないで。武器は燃えたけど」
「えぇ!? ……よくこの程度で済んだね」
「まあ、身体は丈夫だから」

 なんて笑いながらガッツポーズをしてみせるけれど、こちらとしてはハラハラして気が気じゃない。
 リンクは記憶の一部を失っているのだから、たとえハイラルの常識だとしてもそれを覚えていない可能性だって充分にあることを失念していた。記憶が戻るまでの間は私が色々サポートしないといけないのに。今回はなんとか大丈夫だったみたいだけど、避けられる危険は避けるに越したことはないのだから。それなら今私にできることは――

「これ、燃えず薬。持ってるぶん全部あげるね。あとチュチュゼリーはいざというとき消火に使えるから持っておいて損はないよ。ゴロンシティに着けば耐火装備が売ってるはずだから、そこまでなんとか頑張って」

 そう口早に言いながらとりあえず手元にある三本の薬瓶をリンクに手渡した。昔と違って今は道中に魔物が増えているかもしれないけど、リンクなら薬三本もあれば効果が切れる前に辿り着けると思うから充分かな。
 万が一のために薬の作り方はこの後教えるとして……後はなんだろう。マグマに触ったらヤバいっていうのは流石に分かるよね。ああでもリンクは知っていても無茶しそう。ポーチに妖精入ってるのかな。無いなら一旦探しに行ったほうが良いかもしれない――

 なんて私があれこれ考えている間、リンクはさっき渡したビンのうちの一つが気になるようで角度を変えながらじっくり眺めていた。

「ねえナズナ、このビンだけ形違くない?」
「ああそれ、スプレーになってるの。便利だよ」

 リンクが眺めているそれは燃えず薬を香水の空きビンに詰め替えたもので、主に私の調査資料へ薬液を吹きかける用途で使っているものだ。
 高温地帯だと紙でも木製の道具でも燃えるものは全部燃えてしまうから、持ち歩くものにも気を配らないといけない。ただ、薬液を自分の肌に塗るだけならともかく大切な資料や本にそのまま塗るのはどうにも抵抗があった。だからこうやってスプレーできるようにしてみたら案外使い勝手が良く、いつも持ち運ぶようになったのだ。

 リンクは「そうなんだ」と何度か空中にそれをスプレーする。そして少し首を傾げ何かを考えているのかと思ったら、あろうことか突然自分の口の中に向かってそれを噴射した。

「ッ! げほげほげほっ!!」
「え!? ちょっ、リンク!?」

 何やってるの、と動揺しながら盛大にむせるリンクの背中を慌ててさする。
 びっくりした。どうしちゃったんだろう、いきなりこんな奇行に走るなんてリンクらしくもない……あ、でも今のリンクは割と変なことをするんだった。ここ数年は真面目なリンクしか見ていなかったから、まだ私の頭がそのギャップに追いついていけないだけで。
 うんうんと自分を無理矢理納得させていたら、丸まった背中から何とも弱々しい声が聞こえてきた。

「何これにっが……ナズナこれ飲んでるの?」
「あ……そっか、言い忘れてた……これ塗り薬なの」

 一番大切なことを言い忘れるとはなんたる失態。他の薬のほとんどは飲むタイプだから燃えず薬だって飲み薬かと思っても全くおかしくないのに。変だなんて思ってごめんね……ちょっと反省。
 それにしても大雑把な味覚の持ち主のリンクがこんな悶えるなんて。どれだけ苦いの、この燃えず薬。

「ごめんね……大丈夫?」
「ゔ……平気」

 水筒の水で口をゆすぐリンクに、せめて口直しにとハチミツアメを差し出す。それを受け取りひょいと口の中に放り込むと、リンクは一瞬目を見開いた。

「――あ、この味……」
「?」

 コロコロとアメを口の中で転がしながら、何かを思い出すかのようにぼうっと遠くを見るリンク。たまに眉間に皺を寄せ、頑張って記憶を呼び起こしているように見えたから邪魔しちゃいけないと私は固唾を飲んで見守っていたら。

「ナズナ、ちょっと」

 おいで、とリンクにちょいちょい手招きされた。
 何だろうと頭に疑問符を浮かべつつ、呼び寄せられるまま素直にリンクの元へ近寄った瞬間――

「んむっ!?」

 キスされた。
 しかも触れるだけじゃない、大人のキスのほう。

 突然すぎて何も身構えていなかった私の口内にいとも容易く舌を侵入させてくるリンクの胸板を叩いて必死に抵抗する。
 いつもなら恥じらいながらも受け入れるけれど、今は違う。だってここは近くに人がいるし、何より舌を使って飴玉を私に渡そうとしてくるのだから。

「ん゙ーーーー!!!」

 塞がれた口で叫んでみるものの、くぐもった声しか出ない。でもその声に怒りを込めているのが伝わったのか、リンクは少し不服そうに唇を離した。

「〜〜〜〜っ!! たっ……食べ物で! 遊んじゃだめでしょうが!!!」

 ぜえぜえと息を乱しながら咄嗟に出た言葉がこれ。他に言うことあるだろうと自分でも思ったけど、羞恥で混乱する頭ではこれを言うので精一杯だった。
 それを聞きリンクが肩を揺らして笑い出す。

「ちょっとリンク!」
「分かってるよ。ごめんね、ナズナ」
「分かってないでしょ絶対……それになんかちょっと苦いし」

 ぷいっとそっぽを向いたら後ろからぎゅーっと抱きしめられた。そんなので誤魔化そうったってそうはいかないんだから。

「ねえナズナ、聞いてくれる?」
「……なに」

 拗ねる私の頭をぽんぽんと撫でるリンクの優しい声が肩越しに聞こえる。

「さっきのアメで思い出したんだ。ハチミツの味がする薬」
「薬?」
「そう。子供の頃、ナズナが風邪ひいたときによく使ってたよね」
「……あー、」

 そういえば昔、風邪を引いたときは決まってやっていたことがある。普通の風邪薬は苦くて嫌いだったけれど、ハチミツ味の喉を潤すスプレー式のあの薬。あれだけは甘くて美味しくて、風邪をひいてないときでも舐めたいくらいに好きだった記憶があった。

「オレは風邪ひいたことなかったけど、ナズナにお願いしたら使わせてくれて」
「そういえば……そうだったかも」
「普段できないからかな、すごく美味しかったのを思い出した」
「……もしかして、燃えず薬を口に噴射したのって」
「その記憶がうっすら残ってたのかもね」

 まさか子供の頃の些細な出来事が回り回って記憶の一部を取り戻すトリガーになるなんて。連想ゲームのような不思議な繋がりだけど、リンクの記憶が少しでも戻ったなら……まあ、苦い思いをさせてしまったのも結果オーライなのかもしれない。

「それだけじゃないよ」
「え?」
「その薬を使ったナズナから甘い匂いがして……多分、キスしたいって思ってたんだろうな。子供だったから分からなかったけど」
「なっ……だからって今しなくても!」
「もう何回もしてるんだからいいじゃん」

 わなわなと唇を震わせる私をじっと見つめるリンク。その愉快そうなニヤけ顔を見たら、先程のとんでもないことを思い出して火が出るんじゃないかってほどに顔に熱が集まった。

「という訳で。ナズナ、もう一回する?」
「し ま せ ん !」

 私を追い回すリンクから逃げてはいるけれど、実は心が弾むように嬉しくてしょうがない。
 記憶がなくても無意識に行動に移してしまうほど、私たち二人の昔の思い出がリンクの心に深く根付いていたなんて。
 そう思うと顔がニヤけてしまいそうだけれど、そんな顔なんて見られたくないから必死になんでもないふりをした。

back

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -