05


「思ってたより……っ、急な坂なんだね」
「気をつけてね。この道は大丈夫だけど、岩が落ちてくる場所もあるから」
「岩!? う、うん。気をつける……!」

 思いがけない言葉に肩を揺らし動揺する。でも「桜が見たい」と自分から言い出した手前ここで怖気づくのはどうにも格好が悪い気がして、平静を装いながら視線をリンクの背中に向けた。

 今、私たちはサトリ山に咲くという桜を見るためひたすら山頂を目指している。リンクは何度かここに来たことがあるそうで先導して道案内をしてくれてはいるものの、想像していたよりも勾配が急な坂道にすっかり私の息は上がってしまっていた。
 その一方でリンクは息を切らすこともなく平然と足を進めている。途中、何度も後ろを振り向きながら私を気にかけてくれる優しさに励まされはしたけれど、だからといって疲れが吹っ飛ぶなんてことは無いようで。ひいひい言いながら必死に足を前に動かした。

 そして山の中腹を越えただろうかという頃。前を行くリンクが足を止め、きょろきょろと周囲を見回し「おいで」と手招きするものだから力を振り絞りリンクの元へ向かった。

「一旦ここで休憩しようか。疲れたでしょ?」
「お……お言葉に甘えて……」

 そう言ってリンクは近くにあった岩の上に腰掛ける。どうぞ、と砂を払って私の座る場所を整えてくれたので、ありがとうとお礼をしそこに腰掛け一息つくことにした。
 リンクと体力の差がありすぎてちょっと恥ずかしい。私ってこんなに疲れやすかったっけ。でも初めての登山だから仕方ないかな、と自分を納得させつつリンクから手渡された山菜おにぎりを頬張る。相変わらず私好みの味で美味しい。それに体力まで回復してきたような気がするし、やっぱりリンクのご飯には不思議な力が宿ってるんじゃないかなあ。

 木々の間を抜ける爽やかな風が私の汗ばんだ額を撫で、その心地よさに目を細める。進んできた道を振り返れば、ハイラル平原や双子山にナリシャ高地――今まで旅をしてきた道程を一望できる光景が目に飛び込み、思わず感嘆の声が漏れた。
 そんな私を微笑みながら見つめるリンクは、少し照れ臭そうに頬を掻きながら呟く。

「本当は山にある祠から行けばすぐ着くんだけど……それじゃ味気ないと思って遠回りしちゃった」
「え? そうだったの?」
「うん。少しでも、ナズナとの思い出が欲しくて」
「……?」

 何となく、リンクの声色が沈んだ気がした。その微かな違和感に横目でちらりとリンクを盗み見るけれど、逆光が私の視界を遮って表情を確認することはできなかった。

 思い返すのはコログの森で抱きしめられたときのこと。あのときリンクがまるで縋るように私を抱きしめた理由は未だに分からない。リンク本人が何も話さないし、私も聞いてはいけない雰囲気を感じ取ったから。ただ、あれ以来ふとした瞬間に思い悩むような表情を見せることが多くなったのは気のせいじゃないと思う。
 もちろん私だって本当は何があったのか知りたい気持ちが無い訳じゃない。でもリンクが言いたくないのなら無理に聞き出すことはしたくないし、きっとそのうち話してくれるだろうと自分を納得させ今に至っている。

 気になることは沢山あるけれど、今はそれを考えるよりもリンクと一緒のこの時間をただ楽しみたい。私も視線を眼下に広がる景色へと戻し、春のように暖かな空気に身を任せた。

「――あ、そういえばコレ……」

 その穏やかな空気を感じていたら、コログの森を後にするときにマカマカちゃんから貰ったとある物のことを思い出しポケットの中を探った。
 取り出したものは小さなビンに入った植物の種。マカマカちゃん曰くこれは桜の種らしく、ちゃんと育てればきっと綺麗な桜が咲きますよ、とのことで。

「どこに植えようかな? せっかくなら、すぐ見られる場所がいいよね」

 種からだと育つのにどのくらい時間がかかるのかは分からないけれど、きっと大きく育つだろうからそれなりに広い場所のほうが良いと思う。自分の家でもあったら庭に埋めて毎日眺められるのになあ、と子供のようにわくわくと満開の桜が咲く光景を思い浮かべていたら、思いがけないリンクの言葉が飛んできた。

「オレの家の庭は? それなりに広いし、色々揃ってるから世話もしやすいと思うよ」
「えっ……いいの?」
「今はまだ忙しいけど……旅が終わって落ち着いたら、一緒に植えて育てよっか」
「っ、うん!」

 思わず前のめりになりながら返事をしたら、くすくすと楽しそうな笑顔が返ってきた。

 嬉しい。記憶も身寄りもない私と今一緒にいてくれるだけでも充分すぎるほどなのに、その先のことも考えてくれているなんて。この旅が終わっても、そこでおしまいの関係じゃないんだ。

 ただふらふらと彷徨い続けていただけの私の中にようやく一筋の明るい光が見えた気がして、心の中につかえていた不安がすうっと軽くなるのが分かった。
 そんな私の気持ちに気付いているのかいないのか、リンクは「さて、」と立ち上がり軽く伸びをする。

「あと少し頑張ろっか。桜の場所までもう少しだから」

 差し出されたリンクの手に自分の手を重ねる。ふと懐かしい感覚が頭を過った気がしたけれど、すっかり舞い上がってしまった私にはそれが何なのか分からなかった。



***



「うわ……綺麗! 本当に咲いてる!」

 青空に映える満開の桜、水辺に散ったその花弁。まるで一枚の絵画のような美しい光景に、興奮を隠せぬまま桜の元に歩み寄りその幹に触れた。
 見上げれば視界全てを覆うように咲き誇る淡い桃色の花。手を伸ばせば届きそうな距離にあるそれはコログの森とはまた違った印象を見せるけれど、どちらも私の心を強く揺さぶることに変わりはなかった。

 けれど――

「どう? 何か思い出せそう?」
「んー……特に何も。何か引っかかる気はしてるけど……」

 この桜も私の記憶を呼び起こすまでには至らず、心の中にはもやもやと消化不良な気持ちが残る。
 ようやく手掛かりになりそうなものが見つかったと思ったのに、と軽くため息をつくと、「ナズナ」と背後から神妙な声色で名前を呼ばれた。

「どうしたの?」

 振り向くと、リンクが真っ直ぐ私を見つめていた。どくんと大きく心臓が鳴り、コログの森での出来事が頭を掠める。

「あのさ、オレ……桜を見てると、思い出す光景があるんだ」
「っ!」

 それはあのとき私が聞こうとしていた話。剣の試練が終わった後はリンクの様子がおかしくて聞きそびれていたけれど、まさかリンクの方から切り出してくれるなんて。
 でもやっぱり、いつもと様子が違うのはあのときと同じだ。とてもつらそうな、苦しそうな表情をしている。

「オレは桜の下でずっと誰かを待っていて。でも、待てども待てどもその人は一向に現れない」

 リンクの言葉ひとつひとつが重く、私の胸に突き刺さるような感じがした。
 私の記憶に繋がるかもしれないリンクの記憶。聞き逃すまいと静かに耳を傾けるけれど、またいつもの頭痛がそれの邪魔をする。

 聞いてはいけない。でも、聞かなければならない。

 相反する気持ちが渦巻き混ざり合い、警報のように頭痛もだんだんと激しく強くなっていく。そして呼吸さえも忘れるほど、心臓がばくばくと脈打ち始めた。

「次第に桜は枯れてきて、それでもオレはずっとその人を待ち続けて――」

 そこまで耳にした瞬間、あの真っ暗な夜の砂漠の光景が頭に浮かんだ。「聞いちゃだめ」と、"誰か"が私の心に強く語りかける。

「っ、待って!!」

 咄嗟に飛び出たのは制止の声。自分でも驚くような大声にリンクも目を丸くし言葉を止めた。
 次第に頭痛はすうっと引いていき、未だ強く脈打つ心臓の鼓動だけが身体に響く。

「ごめん。まだ……それ、聞いちゃだめな……気がする」

 冷や汗が背を伝う。今にも震え出しそうになる身体をなんとか抑えようと、拳をぐっと握りしめた。
 何が「まだ」なのかなんて分からない。でも、きっと今ここで思い出すべきではないのだと思う。あの真っ暗な夢の中で"誰か"が私に伝えようとしたこと――まずはそれが何なのか理解しないといけない気がする。根拠なんて何もないのに、そう思わずにはいられなかった。

 沈黙が二人の間を通り抜ける。
 その気まずい空気を先に破ったのはリンクだった。

「オレのほうこそ急にごめん。でも……いつかはナズナに聞いてほしいんだ。だから、覚えておいて」

 そう言ってリンクは笑ってみせた。無理やりな、哀しそうな笑顔。それが私の心にずしんと重くのしかかる。
 リンクの期待に応えてあげられないことが歯痒くて仕方がない。私も笑顔を返すべきなのだろうけれどとてもそんな気分にはなれず、下を向いて黙り込んでしまっていたら、

「これ、ナズナにあげる」
「……姫しずか?」
「うん。お守りに持っててね」
 
 一輪の姫しずかを手渡された。突然どこから持ってきたのだろうと周囲を見渡せば、淑やかに咲く数輪の水色の花が目に入る。桜ばかり見上げていたから気付かなかったようだ。

「ここにも咲いてるんだ……」
 
 ゼルダ姫が好んでいたというこの花。コログの森の中、まるでマスターソードを静かに見守るように咲いていたのが印象に残っている。
 絶滅危惧種だと言われるこの花がこの場所にも咲いているのは――果たして偶然なのだろうか。

「ナズナ」
「え?」

 物思いに耽っていたらふいに名前を呼ばれ、振り向いた瞬間カシャリと無機質な音が辺りに響いた。突然のことにきょろきょろと辺りを見渡し音の出所を探していたら再びカシャリ。リンクがシーカーストーンを掲げているのを見るに、その音なのだろうと理解したけれど……一体何をしてるんだろうかと首を傾げる。

「オレのことは気にしなくていいから。ナズナは普段通りにしてて」
「?? そう言われても……」

 困惑しながらリンクを見つめていたら、三度目の音が聞こえた。何の機能を使っているのだろうとシーカーストーンを覗き込もうとするけれど、画面が私に見えないようにひらりと躱されてしまう。

「何してるかくらい教えてくれてもいいのに」
「言ったでしょ、思い出作りだって。ほら笑って」
「っ!? ちょっ……!」

 両頬をつままれて無理やり笑顔にさせられた。思いがけずリンクの肌が私に触れたので、かあっと顔に熱が集まる。そんな私にまたシーカーストーンを向けカシャリ……そろそろ、何をされているのか分かってきた。

「リンク、もしかしてウツシエ……ってやつ使ってるの?」

 私の問いに答えず、リンクはただにこにこと笑顔を向ける。これは肯定と捉えていいだろう。

「やだ、消してってば!」

 確かウツシエって本物そっくりの絵が一瞬でできる機能だった気がする。前に見せてもらったときはその精巧さに驚いたものだけれど、不意打ちされた間抜けな私の絵が残るのは流石に恥ずかしくてしょうがない。
 慌てて止めようとするものの、私がリンクを捕まえられるはずもなく再びシャッターを切られてしまった。抗議の意味を込めた視線を精一杯リンクに送ってみるものの、きっとそのくらいでは止めてなんてくれないのだろう。

 サトリ山に私たち二人の騒がしい声が木霊する。それを見守るように、手に持った姫しずかが静かに風に揺れた。



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