暑い。それはもう溶けてしまうのではないかというほどに。

 全開にした窓を恨めしげに眺めてみるけれど、部屋の中に涼しい風なんてこれっぽっちも吹き込んでくれやしない。その代わりうんざりするほどの熱気がこれでもかと部屋中に居座り続け、暑さに弱い私はすっかり参ってしまっていた。
 水を張った桶に足を浸し、タオルを巻いたアイスロッドを抱きしめぼんやりと視線をキッチンへ向ける。ここのところまともに掃除どころか食事さえも作っていない。というのもリンクは仕事で一週間留守にしているし、ご飯を作る相手がいないのであれば自分だけのために火なんて扱いたくもなかったから。そもそも暑さで食べる気力がなく、適当なフルーツやパンをかじって食事を済ませばいいやという堕落した一週間を一人で過ごしていた。

 でも、そんな生活はもう終わりにしなければならない。何故なら今日はリンクが帰ってくる日だから。

「うゔ……買い出し……行かないと」

 行くなら朝のうちにしないと気温はどんどん上がる一方だ。でも今年のハイラルは朝から晩までずっと暑い。比較的気温が低いはずの今の時間帯でさえ、あの日差しの中外を出歩くことは私にとって試練のようなものなのだ。
 せめてアイスロッドを背負っていけたらまだ良いけれど、城内で許可もなくこんな武器を持ち歩いていたらきっと兵士さんに捕まってしまう。最終手段として淑女の服を着ていくことも考えたものの、ゲルドならともかく城下町であの格好になるのは流石に勇気がいるしそもそもリンクにバレたら絶対怒られるだろうから止めることにしておいた。

 でも、どうにか動かなければ時間は過ぎていく一方だ。自分の身体に鞭打ち重い腰を上げ、外出する準備に取り掛かる。大きな溜め息をつきながらのろのろと服を着替え買い物カゴを持ち、さて出掛けようとした瞬間ガチャリと部屋の扉が開いた。

「ナズナ! ただいま!」
「!!!」

 あまりにも突然のことにしまったと思う暇もなく、満面の笑みのリンクにあっという間に抱きしめられてしまう。私はそれに抵抗するでもなくただ身体を強張らせるしかなかった。
 いや、私だって一週間ぶりにリンクに会えて嬉しい。嬉しいけれど、今この部屋を見られたらまずい。いつもは綺麗に片付いている部屋のあちこちに物が散乱しているし、洗濯物も溜まっている。だってずっと片付ける気力が無かったのだから。リンクが帰ってくるのは今日の夜だって聞いていたから買い出しが終わったら一気に綺麗にしようと思っていたのに、すっかり油断していた。

「お、お帰りリンク。早かったんだね……?」
「予定より早く終わったんだ。ナズナに早く会いたいから速攻で帰ってきた」

 そう言いながらリンクの手が腰のほうへと下りてきた。私が心の中でどれだけ焦っているかなんて知る由もないリンクはそのまま優しく私の腰を撫で、いつものようにキスをする流れになる……かと思ったら。

「ナズナ、少し痩せた……というかやつれた?」
「うっ……」

 リンクは首を傾げ心配そうに私の顔を覗き込む。その言葉につい目を泳がせてしまったのが肯定だと捉えられたようで、今度は矢継ぎ早にリンクから質問が飛んできた。

「オレがいなくてもちゃんと食べてた? ご飯抜いたりしなかった? よく見たら顔色悪いよ、体調悪いんじゃ……」
「ちっ違うの! 平気だから!」
「ナズナは平気じゃなくても平気って言うじゃん。ほら、寝てていいから早く部屋に戻って」
「ああっ! だめ待ってそっち行かないで!」

 過保護スイッチが入ってしまったリンクを慌てて引き止めようとするものの、そんな力も残っていない私はリンクの腕にしがみつきながらずるずると引きずられるしかなかった。そして数歩進んだ後に「えっ」という驚いたようなリンクの声が耳に落ちる。

「どうしたの、この部屋……」
「えっと……その、」

 ああもう駄目、部屋の中見られた。こんな汚い部屋、絶対幻滅される。どうしよう。

 半泣きになりながら恐る恐るリンクの顔を見上げる。呆れてるんじゃないだろうか。怒られるんじゃないだろうか。でも、そんな心配とは裏腹にリンクは申し訳なさそうな目で私を見ていたものだから、今度は私が「えっ」と間抜けな声を上げた。

「ごめんね……片付けするのも辛かったんだね。早く医者に見てもらおう。オレも一緒に行くから」
「え、あの」
「早く帰ってこれて良かったよ。もしナズナが倒れでもしたら大変だから」
「ちょっ、」
「今は気分どう? 城下町まで歩くの大変そうなら背負っていくけど……ってナズナ? どうしたの!?」
「だって……なんで怒らないのぉ……」

 突然ぽろぽろ涙を零し始めた私を見て、リンクが慌てて私をなだめようと背中をさする。何とも情けないことに、リンクの素直な優しさと気遣いに対する罪悪感から色んな感情が込み上げてきて、意図せず涙が止まらなくなってしまったようだ。

「リンクが優しすぎるから……っ! ただ暑くてだらけてただけなのに……っ」
「え? そうなの?」

 まるで子供のようにぐすぐすと鼻をすすりながら泣く私の背中をリンクは戸惑いながらも撫で続ける。ああほらこうやって優しくされると余計に涙が止まらない。自分でもなんでこんなに泣きたいのか分からないけれど、身体が弱ると心も弱るって話をどこかで聞いたことがあったなあと頭の片隅で思い返していたら、怪訝そうな顔をしたリンクが口を開いた。

「ナズナ、今日の朝ごはん何食べた?」
「ヒンヤリメロン……」
「昨日は?」
「ヒンヤリメロンと……ハチミツかけたパン」
「それだけ?」
「……うん」

 そう答えるや否や、リンクから大きく長い溜め息が漏れる。

「それじゃあ体調悪くもなるよ……もっと栄養取らないと」
「うぅ……でも食欲なくて」
「食べやすそうなのオレが買ってくるから。ナズナはアイスロッド持って寝てなさい」
「っ、でも」
「いいから」
「はい……」

 呆れ顔のリンクにぴしゃりと言い放たれ、しょんぼりと肩を落としながら寝室へ向かう。
 何をやってるんだ私は。帰ってきたばかりで疲れてるはずのリンクを買い出しになんて行かせて。
 罪悪感が頭をぐるぐる回るけれど、一週間ぶりにリンクに会えたことへの安心感から気が抜けたのか、久しぶりに深い眠りへと落ちていった。



***



「うわ……綺麗になってる」

 目を覚ましたのは既に陽が沈みつつある夕暮れ時。少しだけ休むつもりだったはずがうっかり寝すぎてしまったようで、その隙にリンクがあのごちゃごちゃの部屋を片付けてくれたらしい。

「あっ起きた? おいで、ナズナ」

 こっそりリビングを覗く私を見つけたリンクにちょいちょいと手招きされる。言われるがままリンクの元へ歩み寄り、「どうぞ」と手渡されたものは。

「これ……メーべのプリン!?」
「ちょうど城下町に売り出しに来てたから。これなら食べられそう?」
「うん! ありがとう……!」

 メーベ牧場のプリンといえば、新鮮なタマゴと濃厚なミルクで作られた少しお高めの高級プリン。その上すぐに売り切れてしまうからなかなか手が出せないはずなのに、わざわざ買ってきてくれたんだ。どれだけ優しいのリンクは。

「タマゴとミルクは栄養価高いからいっぱい買ってきたよ。あとツルギバナナも。それとカカリコ村の梅干しとゴロンの香辛粉は食が進むと思うから、料理に少し足してみるといいかもね」

 リンクの背後に目をやると、色々と買い込んでくれたであろう食材の山ができていた。しかも何本かフリーズロッドが立てかけてあって温度管理もばっちり……なのだけれど、ふと疑問に思う。アイスロッドならともかく、うちにフリーズロッドなんてあっただろうか。しかもこんなに沢山。

「ねえ、このロッドどうしたの?」
「ウィズローブ狩ってきたんだ。これだけあれば室温も下がりそうじゃない?」
「た、確かに涼しいけど……」

 そんな「ちょっと買い物行ってきた」みたいなノリで倒せるものなんだ。というかこの辺りでウィズローブが生息してる場所ってどこだっけ。私が寝てる間にどこまで行ってきたの? 仮にも仕事終わりで疲れてると思うのに、買い出しどころか部屋の片付けまでしてもらって更にはウィズローブ狩りなんて。

「ごめんね……大変だったでしょ」
「オレはごめんねよりありがとうって言ってほしいんだけどなぁー……」
「うっ……そうだよね、ありがとう」

 少し不貞腐れてしまったリンクに慌てて感謝を述べると、そのままぎゅっと抱きしめられてしまった。いつもより若干力が強い気がするのは不満を表しているのだろうか。申し訳ない。

「ナズナは昔から自分のこと適当にしがちなんだから。今回は普通の夏バテだと思うけど、面倒臭がらないで自分の身体は大切にしないとダメだよ」
「……おっしゃる通りです」

 流石リンクは私のことをよく分かってる。そもそも暑くて面倒だったのが始まりでこんなザマになった訳なのだから。でも、こんなだらしない私のことも見捨てず心配してくれるなんて優しすぎやしないだろうか。

「あぁ……なんかリンクに甘えすぎてどんどんダメ人間になってる気がする……」
「そう? 泣いて甘えるナズナなんて、子供の頃に戻ったみたいでオレは嬉しかったよ」
「っ! それは!」

 そうやって無邪気な笑顔で私をからかうリンクの方こそ、子供の頃やんちゃだったあのリンクと全然変わってないんですけど。
 でもそんなこと言ったところで今のリンクには何の反撃にもならないだろうから、悔しいけれどその言葉を飲み込んでリンクの胸板に顔を埋めた。

「〜〜っ、泣き虫はとっくの昔に卒業したはずなのに……」
「別にいいじゃん。今更気にする関係性でもないし」
「私は気にするの……!」

 とは言いながら、大人になったにも関わらず昔と同じように接してくれたことに後からじわじわ嬉しさが込み上げて、緩む頬を抑えることができなかった。

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