04


 ひらひらと儚く舞い散る薄桃色の花弁。それが地面に絨毯のように積もる様はまるでこの世のものではないような幻想的な光景で、私は時間が経つのもすっかり忘れるほどに心を惹かれ見入っていた。
 どうやらこれは"桜"という花らしい。このコログの森にいる皆が教えてくれた。


「綺麗……桜って、この森にしか咲いてないのかな? 今まで見たことないけど」

 森の案内役であるマカマカちゃんのお気に入りの場所であるというデクの木さまの太い枝の上。そこに腰を下ろし、うっとりと満開の桜を見上げながらマカマカちゃんに尋ねる。
 少なくとも私がここに来るまでの旅の中で桜を見かけたことはなかった。せっかくこんなに綺麗なのだから、もっといろんな場所に咲いてたらいつでも見られるのになあ、なんて考えていたら、カラコロと心地良い音を響かせながらマカマカちゃんが口を開いた。

「確か、サトリ山ってところにも桜が咲いているらしいデスよ」
「サトリ山?」
「はい。外に出たことある仲間が言ってた気がしマス」
「そっかあ。きっとそこの桜も綺麗なんだろうなあ……」

 私のもとへはらりと落ちてきた花弁をそっと手のひらで受け止めると、自然と笑顔が溢れ心が温かくも切ない気持ちで満たされた。
 この感覚、身に覚えがある。初めて見たはずのこの花を私はずっと前から知っている。直感的に、そう思った。
 でも、どうして「綺麗」という感情の奥に心を締め付けられるような切なさが見え隠れするのだろう。まるでリンクと初めて出会った――そのときと同じような切なさがこの桜からも感じ取れることに首を傾げる。

 私の過去の記憶。知りたいと思う一方で、全て知るのが怖い気持ちも少しずつ増えてきていた。思い出そうとする度に襲われる頭痛は、何かの警告なのではないかと思い始めたから。
 でもそれと同時に、絶対に忘れてはいけない大切な記憶があることも確信に近く感じている。

「……リンクが帰ってきたら聞いてみようかな」

 もしかすると、リンクも桜に対して何か思うことがあるのかもしれない。ぽつりと小さく呟き、マスターソードが刺さる台座へと目をやった。

 今、リンクは"剣の試練"というものに挑戦している。
 どうやら現在のマスターソードはまだ完全な状態ではないらしく、剣本来の力を取り戻すためには己の肉体と精神を鍛える試練を達成していく必要がある――ということをデクの木さまから教えて頂いた。
 既にリンクは何度か試練を終えていて、これは最後の試練になる。この試練を無事に終えマスターソードが本来の力を取り戻せば、ハイラル城に渦巻くあの怨念もきっとどうにかできるはず、そうリンクは言っていた。
 ただ、それにしても。

「勇者……というかリンクって凄いんだね。アレをどうにかできるなんて」

 そう、あの状況はどう見たって人間がどうにかできる範疇を超えている。アレを見ただけで足がすくむほどの恐怖を感じる私は、戦うという選択肢なんて思いつきもしなかったのに。
 リンクを褒める私の言葉に反応し、マカマカちゃんは「そうなんでス!」と少し興奮した様子でぴょんぴょん飛び跳ねる。

「ゆうしゃサマはもちろんデスが、今もずっと戦ってるお姫サマもすごい方なんデスよ!」
「っ!」

 お姫様。その言葉を聞いた瞬間、先程までの穏やかな心情が一変して波のように荒れ狂い、心臓がどくんと脈打った。
 まただ。このハイラルの姫――ゼルダ姫の話を聞くと胸の奥がどうしようもない焦燥感と罪悪感に襲われる。リンクから旅の最終目的を聞いたときも、インパ様からお話を聞いたときもそうだった。

「っ、マカマカちゃんは……そのお姫様に会ったことあるの?」
「はい! 百年前に一度だけデスが、とてもキレイであったかい心を持つ方でシた」
「……そうなんだ」

 心はこんなにざわついているのに何も思い出せない。記憶を伴わない感情だけが先に出てきて焦りと苛立ちばかりが募っていく。
 きっと彼女に関する記憶は私の根幹をなす重要な記憶だと……そう思うのに。

「――あ、」

 ふいに視界がぐらりと揺れた。それと同時に頭がぼうっとして徐々に目蓋が重くなる。
 この感覚、久しぶりだ。リンクと一緒に旅をするようになってからは一度もなかった異様な眠気。これが来るとまるで気絶でもするかのように深く長い眠りについてしまうから、私は慌てて立ち上がりデクの木さまの樹洞の中へと急いだ。

「あれ? ナズナサン、どうかしましタか?」
「うん……ちょっと、ごめんね。少し休ませてもらえると嬉しいな……」
「お疲れデスか? それならこっちのベッドをお使いくださイ」
「っ、ありがとう……」

 心配そうに私の顔を覗き込むマカマカちゃんに促され、樹洞の中の一画に用意された葉っぱのベッドへとおぼつかない足取りで向かう。確かペパパちゃんがリンクのためにって用意してくれてた場所だと思うけどいいのかな、なんて考えが過るけれど、もうまともに頭が回らなくなってしまった私は倒れ込むようにそのベッドに横たわりそのまま目を閉じ意識を手放した。



***



 冷たい風が身体をぶるりと震わせる。周囲の空気がコログの森の穏やかなものから一変したことに気付いて目を開いた。
 初めに目に飛び込んできたのは、真っ暗な空にどこまでも続く地平線。地面は一面砂に覆われていて、砂嵐に乗った無数の細かい砂が私の身体を叩きつける。

 夜の砂漠。私はただひとりそこに立っていた。

 慌てて周囲を見渡しても何もない。砂に足元を掬われ上手く動けない。どうして私はこんな場所にいるのだろう。広大な砂漠にぽつんとひとりぼっち。不安と焦りでバクバクと胸の鼓動が速くなる。助けを求め叫んだ声も、風の音にかき消されるだけだった。

「……?」

 ふと、誰かの気配を感じた。私の目の前に。でも、そこには誰もいない。何も見えない。手を伸ばしてみるけれど私の手は虚しく空を切る。

「誰? 何て……言ってるの?」

 その人は私に話しかけているように思えた。声なんて聞こえないのに、私に何かを伝えようとしていることは何故か理解できる。
 けれど、それを聞いてしまうと何かが変わってしまう気がして。急に私は怖くなって、目も耳も塞いでその場にうずくまった。



***



「――あれ? ここは……」

 突然、意識が急激に浮上する感覚に陥った。目を開けばそこはコログの森のベッドの上。まだ覚醒しきっていない頭でぼんやりと、先程までのことは夢だったのだと朧気に理解する。
 でも、ただの夢にしては変な感じがした。夜の砂漠に吹く冷たい風の感覚も、砂に足が埋もれる不快感もやけにリアルに感じられたから。それにあの場所、何故か昔から知っているような――

「ナズナ」

 困惑する私の耳に届いたのはリンクの声。思いがけず近い距離からの声に驚いて顔を横に向けると、リンクはベッドに寝ている私を見下ろすように立っていた。いつの間にか夜になってしまったのだろうか、辺りが薄暗くて顔がよく見えない。

「ごめんね、寝ちゃってて――ッ!?」

 ベッドから立ち上がろうとした瞬間、身体が何か暖かいものに包まれた。一瞬何が起きたのか分からなかったけれど、少し遅れてリンクに抱きしめられていることを理解し思わず息が止まる。

「ちょ、リリリリンク!?」

 どうしちゃったの、と硬直した身体でリンクに声を掛けるもリンクは何も話さない。
 この状況……私も抱きしめ返したほうがいいのかな。なんて混乱しながら手持ち無沙汰の両手をリンクの背に回そうとしたら、微かにリンクの身体が震えていることに気がついた。

「……どうしたの?」

 私の声に反応し、ぎゅっと腕の力が強まる。まるで絶対に離すものかとでも言わんばかりの強い力で。

――何があったんだろう、私が眠っている間に。

 顔なんて見えないけれど、縋るように私を抱きしめ続けるリンクは泣いているようにしか思えなくて。
 泣かないで、と心の中で繰り返しながら、その震える背中をただひたすらに抱きしめた。



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