02


「なんでかなあ……」

 窓から差し込む朝の日差しを浴びながら、ばっちり目が冴え気分も爽やかな自分自身に首を傾げた。

 こんなに疲れもなく目覚めるなんて久しぶり。昨日は大変なことばかりだったから、今までの傾向からすると絶対に昼過ぎまで目を覚まさないと思っていたのに。
 思い当たる原因は……多分リンクに触れたときの力がみなぎるあの感覚。やっぱり気のせいじゃなかったんだ。

――でも、

「どうせなら怪我も治ってくれればよかったけど……流石にそれは望みすぎか」

 ただひとつ、ボコブリンにやられた怪我までは治っていなかった。当然と言えば当然ではあるけれど。
 軽く溜め息をつき服をめくる。この痛々しい内出血が綺麗に治るにはそれなりに時間がかかりそうだ。でも昨日より幾らか痛みが引いてきたから良しとしよう――と窓の外で楽しそうに遊ぶ子供たちの声を聞きながら、氷嚢を患部に当てた。

 この世界はどこを歩いても廃墟だらけだ。そのせいもあるのか、こうやって人が居を構え平和に過ごしている光景を見るだけで凄く心が落ち着いてくる。
 荒廃したハイラル城の前にぽつんと一人で立ち尽くす私。それが今覚えている一番古い記憶だった。そこから人里に向かって馬宿を渡り歩く生活をしていたから、この村は今の記憶の中で初めて訪れた平和な村。穏やかで優しい時間が流れていて、今ならハイラル城を見て感じた異様な胸騒ぎだって忘れてしまいそうだ。

「――あ、そういえばリンクが来るんだっけ」

 そうやって物思いに耽っていたら、リンクに朝になったら様子を見に来ると言われたことを思い出した。もうそろそろ来るかなと胸を弾ませ無意識に髪を弄りながらそわそわし始め……そんな自分に気付いてはっとする。これじゃあリンクに会うのを凄く楽しみにしてるみたいじゃない。いや楽しみであることは否定しないけど、まるで恋する乙女にでもなったような急に湧き上がってくる甘酸っぱい気持ちに頭が混乱してしまった。
 そんなやましい思いを打ち消すように頭を横にぶんぶん振ったら傷が痛んで思わずうずくまる。ああもう、何をしているんだ私は。

「ナズナ、おはよう。調子はどう?」
「ひいっ! おっ、おはよう!」

 そんなことをしているうちに、いつの間にかリンクが階段を上がってきていたので慌てて何事もないかのように取り繕った。私に笑いかけるリンクの姿が誰かと重なったような気がしたけれど、それが誰なのか思い出す前に一瞬だけ頭に軽い痛みが走りその姿はかき消されてしまう。

「怪我はまだちょっと痛いけど、昨日より痛みは引いてきたよ」
「良かった。打撲に効く薬でもあればいいんだけど……今日知り合いに聞いてみるね」
「ありがとう。何から何まで」

 そんな会話をしながらリンクは私のベッドの横に椅子を持ってきてそこに座り、「どうぞ」と笹の葉に包まれた物体を私に手渡してきた。美味しそうな焼き魚の匂いが鼻を掠める。食べ物なのだろうか。

「朝ごはんまだだよね? おにぎり作ってきたから良かったら食べて」
「お、鬼? 何それ……」
「知らない? まあいいや、開けてみて」

 鬼を切るなんて物騒な名前だなあと思いながら言われたように笹の葉をめくってみると、そこには三角形の塊に形成された米の上にちょこんと焼いた魚の身が乗っている、見たことのない変わった料理があった。これがおにぎりなのだろうか。名前に似合わず可愛らしくて美味しそう。
 初めて見るおにぎりを物珍しそうにじっと観察していたら、「見覚えない?」とリンクに聞かれたのでこくりと頷いた。するとリンクは何やら考え込むように腕を組む。

「ナズナはこの辺の出身じゃないのかな。これ、ハテノ村やカカリコ村では普通に食べるものだから」
「そうなんだ……あ、でも私が忘れてるだけってこともあるかも。まだ文字の読み方も思い出せないままだし」
「え? でも普通に言葉通じてるよね?」
「それが不思議なんだけど、喋れるのに文字だけ読めなくて」
「……? 外国から来た……ってこともないか。ナズナも耳尖ってるもんね」

 確か神の声を聴くため耳が長いんだっけ。そんな御伽噺か言い伝えなのかも分からない話は覚えているのに文字は読めないなんて、妙に不均衡な記憶だなあと自分でも思う。何故か別の文字なら覚えているから余計に。
 視線をおにぎりへと落とし、記憶を無くす前の私はいつも何を食べていたのだろうかと記憶を辿る。お米よりはパンのほうが馴染みがある気がするけれど……やっぱり何も思い出せない。でも美味しそうなおにぎりを前にしたら段々お腹が空いてきて、思わずお腹がぐうと鳴った。

「!!」
「あ、ごめんお腹すいてたよね。遠慮しないで食べていいよ」
「っ、じゃあいただきます!」
 
 リンクは気にしていない素振りをしてくれたけれど、男の人の前でみっともないことをした恥ずかしさで顔に一気に熱が集まってしまう。それを誤魔化すように慌てておにぎりを手で一口サイズに割り口に入れた――その瞬間、お米が口の中でほろりと解け程良い塩気と魚の旨味がふわっと広がった。素朴な見た目を遥かに上回る美味しさ。驚きのあまり先程の恥なんてすっかり忘れ、感激の声を上げた。

「これ……凄く美味しい! リンクが作ったんだよね?」

 そうだよ、という声を耳に入れながら食べ進める。こんなシンプルなのに美味しい料理があるなんて。目を輝かせ夢中で頬張るうちにあっという間に食べ終わってしまい、「ごちそうさまでした」と手を合わせリンクに顔を向ける。すると優しい眼差しで私を見つめるリンクと目が合い思わずどきっと心臓が跳ねた。懐かしくて少しくすぐったくも感じるリンクの柔らかい視線。ぎゅっと胸が締め付けられるこの感覚に、愛おしさと少しだけ切なさを覚えた。

「ナズナって食べ方綺麗だね。それに、美味しそうに食べてくれるからオレも作った甲斐があるよ」
「そ、そうかな……」
「後で他にも料理作ってあげる。何か思い出す切っ掛けになるかもしれないし」
「……うん、ありがとう」

 段々と鼓動が速まるのを感じる。出会ったときから加速度的に膨らんでいくこの感情、とても一目惚れという言葉で片付けられるようなものではない。もしかして、私とリンクは恋仲だった……なんてことも有り得ない話じゃ――

「っ、そうだ! リンクは今日どこかに行く予定なの?」

 そんな勝手な妄想が頭を過ったので慌てて話を逸らす。今はお互い過去の関係を知らないのに無駄に意識し過ぎて気まずくなるのは何としてでも避けたいから。こんなこと考えているなんて知られたら恥ずかしくて一緒に旅なんてできる気がしない。
 動揺する私とは裏腹に、何事もなく落ち着いた様子のリンクを見てほっと胸を撫で下ろした。

「カカリコ村って分かる? シーカー族の村なんだけど」
「名前だけなら。私もついて行こうかな」

 ここに来る前、双子馬宿で道を尋ねたときカカリコ村とハテノ村のどちらに行くかで迷ったのは記憶に新しい。きっとこの村からそう遠くはないのだろう。それなら早速リンクと行動を共にしてもいいかもしれないと思ったけれど。

「でも、ナズナはまだ怪我治ってないでしょ? 今日は休んでたほうがいいよ」
「あ、それもそうか。って……あれ?」

 その言葉で自分が怪我していたことをふと思い出し脇腹をさすってみると、痛みが引いていることに気が付いた。不思議に思いながら服をめくると、さっき見たときには確かにあった内出血が綺麗さっぱり消えている。

「何で? 治ってる……」

 ぺたぺたと直接触れてみるけれど、やっぱり痛みは感じない。それに加え吹っ飛ばされたときについたかすり傷まで治っていた。まるで最初から怪我なんてしていなかったかのように。
 いつから治ってたんだろう。リンクと話し始めてすぐは確かに痛かったはずなのに……あ、そういえば今朝異様に調子が良かった件もあるし、もしかすると――

「リンクって治癒能力持ってるの!?」

 ばっと勢い良く顔を上げると、リンクは顔を真っ赤にしながら必死に私から目を逸らしていた。それを見て遅れて思い出す。私がリンクの目の前で、無防備にお腹を露わにしているということを。

「っ!? ご……!」

 ごめん、と言いたかったのに口をぱくぱくさせるだけで、声は喉でつかえ止まってしまった。びっくりすると声が出なくなるって本当なんだ、なんて頭では呑気なことを考えつつ慌てて服を戻すけど、リンクはまだ固まったまま、

「ち、治癒能力……持ってるけど、多分オレ以外には発動しないと思う……」

 私の痴態には触れずそう答えた。

「そっ、そうなんだ!? じゃあ私の勘違いかも!」

 少なくとも怪我が治ったことに関しては勘違いなんてことはないけれど、動転した今の私にはそう言うのが精一杯で。ついさっき気まずくなるのは避けたいなんて思ったばかりなのに私は一体何をしているんだろう。男の人の前でこんな無防備に素肌を見せるなんてどうかしている。気軽に素肌を他人に晒してはいけませんって教わったのに……って、これも誰に教わったんだっけ。でもとにかく、そういうことはこの旅の中でかなり気をつけてたと思うのにさっきの行動は完全に無意識だった。

 リンクと会ってから調子が狂いっぱなしだ。思い出したいのに思い出せないこのモヤモヤとした気持ちがむず痒くて、早く記憶が戻らないかなあと火照る顔を両手で押さえた。



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