01


「あーもう、ついてない!」

 焦りやら怒りやらで涙目になりながら必死に逃げる私をしつこく追いかけ回すのは二体のボコブリン。しかも今まで見たことない、いかにも強そうな白銀と金色の個体。
 持っている武器は全部壊れたし、矢だってとっくに使い切ってしまった。だからひたすら逃げ続けているのに全然諦めてくれない、正に絶体絶命のこの状態。いっそのことガーディアンでも通りかかってくれたらボコブリンも逃げ出すのに、なんて今はガーディアンにさえ縋りたい気持ちでいっぱいだ。

「――っ、村が見える!」

 森に逃げ込み上手く攻撃を躱しながら急な上り坂を駆け上がると、村のようなものが視界に入る。
 よかった。あそこに行けば逃げ切れそう――そう思った瞬間、脇腹に大きな衝撃が走った。

「がはッ! 、痛ッ……!」

 何の受け身も取れないまま吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられるように倒れ込む。まだ追いつかれていないはずなのに。状況を理解しようとなんとか顔だけ上げたら、視界の端に捉えたのは木のモップを持ったボコブリンの姿。私を追いかけていた二匹とはまた別の個体だ。
 油断した。もう一匹隠れていたなんて。でもモップで良かった、槍だったら死んでたかもしれないから――
 痛む脇腹を押さえながらぼんやり考えるけれど、どちらにせよ殺されそうな状況であることには変わりない。そうこうしているうちに最初の二体にも追いつかれ、痛みで立ち上がれない私は三体のボコブリンに取り囲まれてしまった。

 ああ……私、また死ぬんだ。

 この絶体絶命の状況に、最早諦めしか浮かんでこなかった。せめてそんなに痛くありませんように、とゆっくり目を閉じ心の中で静かに祈る。

「…………っ?」

 でも、数秒経過しても痛みも衝撃も何も起こらない。どうしたんだろうと恐る恐る目を開くと、三体のボコブリンはいつの間にか居なくなっていて、代わりに誰かがこちらに向かい慌てた様子で駆け寄ってくるのが見えた。
 もしかして、あの人が助けてくれたのだろうか。彼の手に握られた弓の弦が青く幻想的な光を放っているのをぼんやり眺めながら安堵の溜め息を吐いた途端、緊張していた身体の力が抜けていった。

「大丈夫か!? 怪我は――ッ!」

 倒れたままの私の様子を確認するように顔を覗き込まれた、と思ったら彼は目を見開き、そして何故か息を呑み言葉を詰まらせる。それがあまりに驚いているような表情だったからそんな引くほど酷い怪我をしてしまったのだろうかと不安になって身体を見渡してみるけれど、見た目はそれほど酷くない。モップで突かれた場所は痛みはするけど、多分折れてはいないと思う。

「……あの、」

 動きが止まってしまった彼におすおずと声を掛けてみる。でも彼は私から視線を逸らさないまま動かない。それこそ穴でも空いてしまうのではないかという程に見つめられている。
 知らない人と見つめ合うこの状況、流石に少し恥ずかしいのでお礼だけして早く村に行ってしまおうと痛む身体を起こしつつ、服に付いた土を軽く払い落とす。

「助けてくれてありがとうございました。貴方が来てくれなかったら死んで……あれ?」

 話し始めたら急に視界が滲み、一筋の涙が頬を伝った。無意識に流れたその粒は次から次へとぽろぽろ流れ落ち、地面に染みを作る。

「やだ、ごめんなさい。思ってたより怖かったのかな……なーんて」

 あはは、と軽く笑いながらそれを誤魔化すけれど、彼は未だに口を開こうとしない。でもその表情は先程の驚きとは違い、酷く哀しそうに見えるのは私の気のせいだろうか。

「えっと……あの村の人ですか? 怪我が治るまで滞在したくて。宿屋ってあります?」
「……」
「あの、聞こえてますか?」

 いい加減何かしら反応が欲しくて、彼の顔の前でひらひらと手を振ってみる。するとびくっと肩を跳ねさせ何度か目をぱちぱちさせた後、彼はようやく口を開いてくれた。

「あ……ごめん。ぼーっとして……何だっけ?」
「……宿屋ですよ。ありますか? あの村に」
「宿屋! うん、あるよ。案内してあげる」

 この人……大丈夫だろうか。先程の哀しそうな顔とは打って変わって、今はにこにこと嬉しそうな顔で私に手を差し出している。その手を取るべきか少し迷ったけれど、悪い人では無さそうだからとそっと手を重ねた――その瞬間、今までに経験したことのない違和感が身体を包んだ。でもそれは決して不快なものではなく、まるで繋がれた手から力が注ぎ込まれるような、そんな感覚。

「歩ける?」
「あ、はい。大丈夫です」
「良かった。古代矢が残ってなかったらオレも間に合うか分からなかったから」
「古代矢……?」

 それが何なのかは分からないけれど、一瞬で三体のボコブリンを跡形もなく消していたからきっと凄い手練なのだろうと想像はつく。背負っている武器も見たことのないものばかりだし、ただの旅人には思えない。でも、この剣だけはどこかで見たことがあるような……無いような。どこで見たんだろう。

「名前……」
「え?」
「君の名前、教えてほしいな。なんて言うの?」

 じっと彼の背の剣を見つめていたら、ふいに名前を聞かれた。こちらを振り返った彼の綺麗な青の双眸に射抜かれ、どきりと心臓が跳ねる。

「ナズナ、です」
「ナズナ……うん、やっぱり」

 彼はふにゃりと微笑み私の手を握る力を強めた。触れた箇所が熱を帯び、心の奥が切なく何かを叫んでいる。こんなこと初めて。眠っている記憶がこの人に呼応するかのように私の感情を激しく揺さぶって止まらない。
 そして彼の言う「やっぱり」は、私のことを知っているから出る言葉なのだろうか。膨らむ期待にいても立ってもいられなくて、思わず声が大きくなる。

「あの! もしかして私のこと知ってますか? 私、記憶が無いんです。何でもいいから手掛かりが欲しくて……」

 その言葉を聞いた途端、彼の目の色が変わった。そうだったんだ、と呟き、納得するようなそれでいて嬉しそうな顔で私に笑いかける。

「知らないけど、知ってる気はしてるよ」
「え?」
「オレはリンクって言うんだ。ナズナこそオレのこと知らない?」
「??」

 何を言っているのだろう。全然会話の中身が掴めない。でも、"リンク"……その名前の響きには覚えがある気がしてならなかった。懐かしいような愛おしいような、胸がぎゅうっと苦しくなるほどに締め付けられる響き。その懐かしさを辿るため記憶を必死に手繰り寄せようとしたら、ズキンと頭に痛みが走った。さっきから続け様に色々なことが起きているし感情もあちこち揺さぶられているから、頭が疲れてしまったのだろうか。顔を顰め黙る私を見て、彼はハッと思い出したように話を続ける。

「ごめん、変なこと言ったよね。オレも記憶が無いんだ。同じような人に会えたから嬉しくなっちゃって」
「っ! 貴方も記憶喪失なんですか!?」

 驚きのあまりずいっと身を乗り出したら、さっき攻撃された脇腹が痛んだ。でも、それを気にするよりも今はこの人の話の続きが聞きたくてしょうがない。
 まさかこんなことが起こるなんて思いも寄らなかった。偶然私を助けてくれた人が私の記憶の手掛かりになりそうな人で、更には二人揃って記憶喪失だなんて。偶然ではなく必然とでも思ってしまいそうな出会いに興奮を隠せずにいたら、繋いだままだった手を優しく引かれる。

「とりあえず村の中に入ろうか。ここはまだ魔物がいるかもしれないから。怪我の様子も心配だし、詳しい話は治療しながらにしよう」
「はっ……はい! そうでしたね……」

 すっかり忘れていたけれど、確かにボコブリンがまだ近くに潜んでいるかもしれない。また鉢合わせでもしたら堪らないので、きょろきょろと辺りを警戒しながらリンクさんの後をついて歩き村へと向かうことにした。



***



「うわ、結構酷いかも……」

 周囲に見えないように服をめくり攻撃を受けた箇所を確認すると、見た目からしても痛々しい内出血が広がっていた。そっと触れてみると患部は少し熱を帯びていて、ズキズキと鈍い痛みが身体を走る。

「氷嚢借りてきたからとりあえずこれで冷やしておいて。受付の人も何かあったらいつでも言ってくださいだって」
「はい……ありがとうございます」

 リンクさんは私に背を向けたまま氷嚢を手渡す。肌を見ないようにしてくれているのはありがたいけれど、その姿が律儀で可愛くて思わず頬が緩む。身体中あちこち擦りむいた傷もリンクさんが丁寧に手当てしてくれたし、至れり尽くせりで申し訳ないくらいだ。

「ナズナ、もうそっち向いて平気?」
「大丈夫ですよ」

 私の了承を得てようやく振り向いたリンクさんはベッドの側の椅子に腰掛け、ポーチからリンゴとナイフを取り出し器用に手早く剥き始めた。そのナイフ捌きが余りにも綺麗で、目を輝かせ見入っていたら。

「ナズナ、もし良かったらオレと一緒に旅しない?」
「……え」

 そんな突然の誘いに思わず目が丸くなる。
 ついさっきリンクさんも記憶を取り戻すために旅をしているということを知って、どうせなら一緒に旅できたらお互い記憶を取り戻す助けになりそうだとは思っていたけれど。まさかリンクさんも同じように思っていてくれたのかと思うと胸が弾み心臓が速く脈打った。

「オレ、ナズナが出てくる夢を見たことがあるんだ。だからオレたち知り合いだったんだと思う。一緒にいればナズナの記憶も早く戻るかもよ」
「確かに……そうですよね」

 どうぞ、とうさぎの形に切られお皿に盛られたリンゴを手渡される。あっという間にこんな可愛くなってしまったリンゴに感動し、せっかく切ってくれたのだからとありがたく頂くことにした。しゃりっと軽い歯触りと甘酸っぱい味。普通のリンゴのはずなのにまるで高級リンゴのように思えてしまうのはこの形のお陰だろうか。我ながら単純だ。
 リンクさんは会ったばかりなのに凄く親切にしてくれる。このリンゴもそうだし、宿の手配も怪我の手当ても私が遠慮する間もなく進んでやってくれた。ただ、知り合いかもしれないとはいえ男の人と二人で旅をするなんて不用心すぎる気もする。気軽にホイホイ男の人に付いて行ってはいけません、って言われて育ってきたし……って、あれ? そんなこと誰に言われたんだっけ。

「返事は怪我が治ってからで大丈夫だよ。オレはすぐ村に戻れるから」

 ふと思い浮かんだ言葉に首を傾げていたらリンクさんにくしゃりと頭を撫でられた。その瞬間、何かの記憶が頭を掠める。

「っ! リンクさん!」
「あっ!? ごめん! 手が勝手に……」
「そうじゃなくてもっと撫でて下さい! 何か思い出せそう!」
「え?」

 私の勢いに押されてか、そのままリンクさんは頭を撫で続けてくれた。目を閉じて集中してみるけどさっきの感覚にはならない。
 気のせいだったのかな。でも、頭を撫でられるのって結構落ち着くかも。これはこれで……

「ナズナ?」
「何ですか……うわあ!」

 ふいに名前を呼ばれて目を開けたらリンクさんの顔のドアップが目に飛び込んできて、思わず後ろに仰け反った。その動きで怪我した場所がずきりと痛む。

「い、いたい……」
「あー……急に動くから」
「っ、リンクさんのせいじゃないですか……」

 じろりと恨めしげな視線を向けると楽しそうに笑われてしまう。見れば見るほど整った顔をしているリンクさん。笑う姿も絵になるなあとこっそり思いながら、自分の頬に熱が集まるのを感じていた。

「ごめんね。でもナズナとはこの距離感がしっくりくるな」
「……そうでしょうか?」
「うん。だからオレのこと呼び捨てで呼んでよ。敬語もいらないから」

 そういえば、とずっと敬語だったことに気が付いた。リンクさんがそう言うのなら確かに敬語である必要はないかもしれない。年齢もそれほど変わらなさそうだし。
 それに、彼の言う通り私たちはかなり距離の近い関係性だったのだと思う。まるで身体に染み付いているかのように無意識に、こんなにも近付きたいし触れていたいだなんて、今まで旅をしてきて誰からも感じなかった初めての感覚だから。

「じゃあ……リンク。私も一緒に旅するから、これからよろしくね」
「あれ、もう決めてくれたんだ」
「早く思い出したくて。同じ境遇の者同士、仲良くしようね」
「ん、こちらこそよろしく」

 そう言って微笑みながら手を差し出すリンクに誰かの面影が重なる。やっぱり他人とは思えない。今はまだ何も思い出せないけれど、きっとすぐに思い出せるはず。
 そんな期待を胸に、リンクの手を取りぎゅっと握りしめた。


――これが、私たちの最初の出会いだった。



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