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「──怖い?」
「全く……と言うと嘘になりますが、不思議と凄く落ち着いています。二人が隣にいるからでしょうか」
そう言ってゼルダは私の手を握る。いつか見たあの怯えている表情なんてこれっぽっちも見られない。しっかりと私を見つめ返すその瞳には、確かな自信が宿っていた。
「私たちにハイラルの運命が掛かってるんだよね……凄いね、二人とも。今までこんなプレッシャーの中で戦ってたんだ」
「……ナズナ、」
心配そうにリンクが私の顔を覗き込む。いけない、少し後ろ向きな言葉だったかな。でも今の私は後ろなんて向いていない。この先に見える未来をちゃんと見据えているのだから。
「二人がいるから大丈夫。私……今なら何だってできちゃうかも」
今日はゼルダの十七歳の誕生日。そして──あの大厄災が起きる日でもある。既に陽は傾き始め、このまま順当にいけばもうすぐ厄災ガノンが復活するはずだ。
でも絶望はしていない。あのときとは何もかもが違うから。この百年でバラバラになった私たちが、ガノンを倒すという目的で再びひとつになっている。私も皆も強くなった。絶対に、負けたりしない。
ミファー様、リーバル、ダルケルさん、ウルボザ様の四人はそれぞれ神獣へと乗り込み、その四神獣はハイラル城の本丸へと照準を合わせる。そして私たちはハイラル城でその時を待ち続けた。
リンク、ゼルダ。二人の顔に迷いは見られない。もちろん私だって──
「──来る」
あのとき感じたものと同じ、ガノンの視線。緊張が身体を巡るけれど、二人が私の手を握ってくれているから──大丈夫。
三人で顔を見合わせて頷いた。私はあの結晶──"ネールの愛"を発動し皆を覆う。リンクの手にはマスターソード、ゼルダの手には光の弓矢。
終末なんて、私たちが跳ね除けてやる。
***
澄み渡る青空に響く花火の音。ハイラル城下町では、厄災を退けた姫と勇者、英傑たちを称える祝賀祭が盛大に行われていた。
ハイラル全土が厄災の脅威から救われたということもあり、その立役者を一目でも見ようと各地から人々が集い物凄い人の賑わいを見せている。
「ナズナったらあんな緊張しちゃって。人形みたいに全然動きませんでしたね」
「だってあんな大勢の人に見られるなんて初めてだったんだから……! 皆は慣れてるだろうけど」
その立役者である私たちは祝賀パレードを終え、今は城内で待機しているところだ。少し休んだ後、次は展望室から顔見せするらしい。
正直もう恥ずかしくてしょうがないから勘弁してほしいものだけれど、今日一日の辛抱だからなんとかやり過ごそう。そんなことを思いながらハーブティーを一口飲み渇いた口を潤そうとしたけれど、緊張のせいか味がよく分からない。せっかくのお高めなハーブティーらしいのに。少しだけ残念に思いながらカップを置き、ふとあの日のことを思い出した。
ゼルダの力でガーディアンが乗っ取られるのを阻止している間、英傑の皆は各個カースガノンを撃破。そして神獣がガノンに集中砲火を浴びせ、リンクが止めを刺しゼルダが封印する──人的被害も物的被害も最小限に留める、理想通りの形で決着がついた。
ただ、ゼルダの力はその封印で完全に枯れ果てた。それは私も同様で、今はもうネルドラ様の御姿も、声も何も感じない。でもそれは決して悲観することではなく、繋いだ力でハイラルを平和に導いたという証だった。
これで、私の御役目は完全に終わったのだ。
楽しそうに談笑する皆を少し遠くから見つめる。
あの辛い世界があったからこそ、今この幸福を掴み取れた。決してここに至るまでの通過点なんかじゃない。無駄な世界じゃない。あの世界で犠牲になった人々のことを、私は決して忘れてはいけない。それを後世に伝えていく責任が私にはある。
「ナズナ。難しい顔してどうしたの」
ひょい、とリンクに顔を覗かれた。難しい顔……してたかな。眉間の皺を指で伸ばしながら再びカップを口に運んでみると、漂ってくるのはローズマリーのスパイシーな香り。ようやく緊張が解けてきたのかな、と思いながらもう一口飲んでみたら、甘いけれど少し苦い、大人の味がした。
「少し前から考えてたんだけど、一段落したら本を書き始めようかと思って」
「へえ……学術書とか?」
「学術書もそうだけど……もっと沢山の人に読んでもらえる小説とか童話とか。私たちの経験、絶対に未来へ繋がないといけないから」
時の勇者様が遺した本。あれのお陰で活路を……希望を見いだせた。他の勇者の神話だってそう。あの神話の数だけ同じように戦った勇者と姫がいた。
これから未来に再び訪れるかもしれない悲劇に、それに立ち向かう人々に希望を繋げるために私もできることをしたい。世界を護るために戦った人たちの歴史を途切れさせてはいけない。それが、この長い旅を終えた今の私の新しい役目だと思う。
私の言葉にリンクは微笑み、「ナズナらしいや」と呟いた。
「確かに、この歴史が誰かを救うかもしれないよね。オレたちがそうだったように」
「うん……時の勇者様も、こんな気持ちだったのかな」
窓の外に目をやって、時の神殿がある始まりの台地へと視線を向けた。
後でお礼を言いに行こう。もう……私の声が届くかは分からないけれど。
「……ねえ、二人とも。ちょっと……いいかな」
後ろから聞こえたミファー様の声に振り向くと、彼女は笑顔で私たちに手招きしていた。皆が並んでいる様子を見るに、どうやらウツシエを撮るらしい。こっちこっちと手を引かれ、私とリンクもその中に加わった。
「全員並んだね。皆、シーカーストーン見て」
プルアさんがこちらに向けてシーカーストーンを掲げるけれど、こういうときってどんなポーズをすればいいんだろう。参考にと撮り慣れていそうなゼルダをちらりと盗み見ると、ぱちっと目が合った。
「ふふっ、緊張しないで。笑ってください」
そう言ったゼルダの瞳は涙で濡れ、光を反射しきらきらと輝いていた。でも決して哀しい涙ではないようで、心の底からの優しい笑顔を私に向ける。それにつられて私も自然と笑顔になった。
「じゃ、写すよ。皆こっち向いて。笑ってー……」
「チェッキー!」
カシャリと響くシャッターの音。それと同時に、部屋の中に春風のように暖かい風が舞い込んできた。
ひらりと舞う姫しずかの花弁、鼻をくすぐる甘い香りと皆の笑い声。何度も何度も切望した光景が、今ここに描かれている。
私はここからこの新しい世界を歩み始めよう。大切な仲間たちと共に。
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