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"全てが終わったら、時の神殿へ来てほしい"

 夢の中で聞いた言葉。あれが本当に時の勇者の導きならば──


 "時の神殿"という名の付く場所はハイラルに一つしかない。一際大きな女神像を安置する、始まりの台地のこの神殿。
 百年前は王国の祭事にも使われていた神聖な場所だけれど、今となっては当時の荘厳さは見る影も無いほどにすっかり荒れ果てている。周囲に瓦礫やガーディアンの残骸が散らばっていることを考えると、ここも大厄災で大きな被害を受けたのだろう。
 それでも女神像は目立つ破損も見られずに今も残っている。それは偶然なのか或いは──


「っ! 女神像が──」

 突然、女神像が私たち三人を待っていたかのように優しく輝き始めた。暖かい光が薄暗い神殿の中を明るく照らす。
 その光に導かれるかのように女神像の前に立った瞬間、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

「……来てくれたんだね」

 そこにいたのは、私が夢で見た青年だった。
 緑衣を纏う彼の顔立ちは相変わらずリンクを想起させる。しかし、彼の身体は透けており、この世の者ではないことを伺わせた。

「貴方が、時の勇者──」

 ゼルダの問いに彼はゆっくりと頷く。

「夢の中以外で会うのは初めてだね、ナズナ。そして君たちがこの時代の勇者と姫……ガノンを討伐したばかりだというのに、ここまで出向いてくれたことに感謝するよ」

 親しみやすそうな口調とは裏腹に、彼は刺々しい空気をリンクとゼルダに向けた。ただ、何故か私に対してだけは優しい視線を向けている。
 夢の中と雰囲気が違う彼に動揺して言葉が上手く出てこない。しかしその空気に怯まず、ゼルダが切り出した。

「お初にお目にかかります、時の勇者。私の名はゼルダ。このハイラルの姫……だった者です。
本日は貴方にお願いがあり参りました。時のオカリナについてなのですが──」
「分かっているよ」

 ゼルダの言葉を遮るように彼は一言発し、私たちの元へ歩みを進めた。

「僕は元々、君たちがガノンに勝つことができたらオカリナを渡すつもりだったんだ。
……勝てなかったら絶対に渡さなかったけど」

 少しおどけたような調子で言う彼の目は笑っていない。その鋭い眼に射抜かれたゼルダはごくりと唾を飲んだ。

「……何故、貴方はオレたちに協力するんだ?」

 リンクが口を開く。彼はちらりとリンクを一瞥した後、私に視線を向け優しい口調で話し始めた。

「君たちに……というより僕が勝手にナズナに協力したかっただけなんだけどね」
「私に……?」

 不意の発言に思わず目を丸くさせる私を見て、彼は微笑む。

「ナズナの家族はずっと僕のことを覚えていてくれたから。神話とまで言われる程の遥か昔のことなのに、代々あの本をこの時代にまで受け継いでくれた。その恩返しがしたかっただけ」
「っ! じゃあやっぱり、あの本の内容は本当に──」
「ああ。厳密にはこの世界で起きた出来事じゃないけれど……でも、確かに僕が体験したことだ」

 お父さんとお母さんがずっと大切にしていたあの本。あれがあったから私は希望を失わずここまで来れた。はるか昔から何世代にも渡り受け継がれ、この時代でも私の元へ巡ってきて──こんな奇跡のようなことが起こるなんて。

「ナズナは誰にも知られず消えていくだけだった僕の運命を変えてくれたから……君の運命も、変えたかった」

 感情を込めてそう語る彼の目は、まるで私を誰かに重ねているように思えた。
 リンクと同じ、青く透き通った綺麗な瞳。その吸い込まれそうなほどの青を私はずっと前から知っている。知っている……はずなのに、それ以上のことは何も思い出せない。あの夢の中じゃない、もっとずっと前から記憶の奥底にこの懐かしい気持ちが眠っていたような──

「ナズナ」

 少し苛ついた様子のリンクに腕を引かれ、はっと意識を引き戻した。リンクは勇者様と私の間に立ち彼を見据える。

「ラネール山での件……アレもお前が関わっていたのか?」
「いいや、それに関しては僕は無関係。ただ──」

 勇者様がゼルダの方へ視線を向けた。

「そのときにネルドラがナズナに"何か"したみたい。ゼルダ姫は……薄々勘付いているだろうけど」

 勇者様の視線に臆することなく、ゼルダは真っ直ぐ彼を見つめ返している。
 ……"何か"って、何の事だろう。抽象的すぎる物言いに私には皆目検討もつかない。

「……ゼルダ、」
「──さて、今度は僕が聞く番だ」

 ゼルダにそれを聞こうとした瞬間、私の言葉に被せるように勇者様が声を上げた。

 空気が変わった。重く緊迫した空気が、ずしんと心臓にのしかかる。

「君たちがガノンを倒したからこの時代はもう平和になった。でも、過去の世界で再び敗北するようなことがあったら……もう一度やり直すなんて奇跡、二度と起こらない。
一度手に入れた平和を捨ててまで……再びあの大厄災を迎える覚悟はあるのか?」

 声色はさっきまでと変わらないのに、物凄い圧を感じる。見定めるように、深く探るような真剣な眼差しを向けられ無意識に身体が強張った。
 しかし、その思い空気を振り払うかのようにゼルダが先陣を切って口を開く。

「負けません、絶対に。
百年前の私は……何もかも未熟でした。自分のことしか見えず、沢山の人が手を差し伸べてくれていたことに気付けなかった。そんな大切な仲間にもっと早く心を開いていれば──っ、」

 ゼルダの声が震える。
 それでも、決して勇者様から目を離そうとしない。

「同じ過ちは二度と繰り返しません。絶対、ハイラルを……皆を救ってみせます」
「それを言うなら……オレだって同じです、姫様」
「っ、リンク……」

 勇者様がリンクへ視線を移す。

「皆の魂に触れて分かった。オレは独りで戦っている訳じゃない。そして皆も……もうひとつの未来の可能性を願い、それをオレたちに託していった」

 その言葉を聞いて息を呑んだ。
 皆も思いは同じだった。もうひとつの可能性──大厄災を退け、誰も犠牲になることなく平和な未来を歩んでいく、そんな未来。それをリンクに託し旅立って行った。たとえ過去の自分たちがあの日を再び繰り返すことになるとしても。
 それなら──私はもう、何も迷うことなんて無い。

「一度は全てを失ったけど……だからこそ、オレはこの旅でそれ以上のものを得ることができた。百年前とは違う。必ずガノンを倒す。誰の犠牲もなく」

 ゼルダもリンクも、揺るぎない決意を持ってここに来た。私だってそれは変わらない。ひとつだけずっと気に掛かっていた英傑の皆の気持ちだって、私たちと同じだということが分かったから。

「──私には、皆と一緒に戦う力はないけれど……でも、皆は絶対にハイラルを救ってくれる。そう信じてます。この世界の皆の思いを繋げたい。皆がもうひとつの可能性を願い、私にそれを叶える力があるのならば……私は全てを掛けてそれに応えます。だって、私の"御役目"は──皆を導くことだから」

 ずっと考えていた。私がここにいる意味を。
 ネルドラ様の導きを頂いて、時の勇者様の末裔だと知って。きっとこのために産まれてきたんだ。私の大切な人たちを導くために。
 そのためなら──私の全てを捧げる覚悟はある。


 勇者様は私たち三人を静かに見つめる。
 そして──優しくふっと微笑んだ。ここにきて初めて見せた、純粋な笑顔。

「……君たちなら大丈夫だ。安心して任せられる」

 緊迫した空気が一変、穏やかな空気に包まれた。その空気を纏ったまま、勇者様が私の元へ歩み寄る。

「手を出して。ナズナ」

 言われるがまま手を差し出すと、深い青に輝く綺麗なオカリナを手渡された。
 時のオカリナ──神秘的な雰囲気を纏うそれは、何故だかとても懐かしい感じがする。

「吹く曲は分かるよね。"時の歌"──ナズナが夢で聞いた曲だ」

 オカリナを演奏したことなんて無いはずなのに、どうしたらあの曲を奏でることができるのか直感的に理解できる。自分の意識じゃないみたいな、不思議な感覚。

「それと……息吹の勇者。ハイラルもそうだけど、ナズナのことも頼んだよ。ナズナを幸せにしなかったら許さないから」
「……言われなくても分かってる」

 冗談なのか本気なのか、笑顔でそう言う彼をリンクはじろっと睨んだ。

「……あの、時の勇者様……本当にありがとうございました。私、絶対に貴方のことを忘れません。あの本だって……きっと必ず後世に伝えていきます」

 私が感謝の言葉を述べると、時の勇者様は一瞬目を見開いた後すぐにくしゃりとはにかんだ。

「本当に──君はあの子に似ているね」

 その言葉がどういう意味かは分からなかったけれど、彼のその笑顔はとても幸せそうに思えた。




 時のオカリナを手に、リンクとゼルダに目配せをしてひとつ頷く。そして"時の歌"を奏で、静かな神殿内にオカリナの清らかな音色が響き渡った──その瞬間、私たち三人は眩い光に包まれる。

 勇者様に視線を向けると、手をひらひら振りながらこちらを見送っている姿が見えた。
 そしてその隣に誰かがいたような──気がしたけれど、強い光に遮られ、その姿をはっきりと見ることはできなかった。



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