10
頬に伝わるひやりと冷たく硬い感覚。埃っぽい匂いと、後ろ手に繋がれている手枷の重み──
何が起きたんだろう。ここは何処なんだろう。覚めきっていない意識を必死に呼び起こし、今自分が置かれた状況を把握しようと身体を起こそうとしたら、恐らく殴られたであろう後頭部がズキッと痛んだ。
「っ……」
仕方ないので頭をなるべく動かさないようにしながら周囲を確認する。牢に貼られた見覚えのある札、机の上に置かれたツルギバナナ──
間違いない。イーガ団に捕まったんだ。
村の中だったからすっかり油断していた。道端で襲われたことなら今までもそれなりにあったけれど、馬宿や村の中にまで追ってきたことなんてなかったから。
リンクに申し訳なくて罪悪感がじわじわと押し寄せてくる。でも、今はまず脱出するのが先だ。手枷は……外れそうにない。鍵を探さないと。
「ようやく起きましたか」
心臓が跳ねる。
いつの間にか、牢の前にイーガ団の幹部らしき人物が立っていた。腰に携えた風切り刀を見て一気に緊張が走り、自分の鼓動が煩いくらいに聞こえてくる。
……落ち着け、殺すのが目的ならわざわざ連れ去るなんて回りくどいことはしないはず。きっと私はリンクを誘き寄せるための人質。今すぐに殺される可能性は低い。
「……何が目的なの」
今はとにかく時間を稼ぎたい。何かしらの隙を見つけようと質問を投げた。
「我等がイーガ団の総長、コーガ様の敵討ちですよ。あの忌々しい勇者を誘き寄せるには貴女が適していると思いましてね。フフ……随分と親密なように見えますが」
「……っ、」
やっぱり人質として連れてこられたようだ。それにしても随分と分かりやすい挑発。正直少しイラっとしたけれど、そんなこと顔に出したら奴の思う壺だからそれには触れずに話を続ける。
「リンクがいないとハイラルは滅亡して貴方たちだって困るんじゃないの? いくら忠誠を捧げたって、ガノンが貴方たちだけを見逃すとは思えないけど」
「フン、煩い小娘ですね……あの勇者に復讐ができるならば、共倒れでも何でも構わないのですよ」
「……そう」
どうやらまともに話は通じなさそう。逃げることに集中したほうが良さそうだけど、こいつの奥にもちらりと人影が見える。仮に牢から出られたとしても、身につけていた武器や道具も奪われてしまった今見張りの目を掻い潜って脱出するのは不可能に近い。
絶体絶命の状況、となると助けを待つしかないけれど……自分自身に腹が立つ。不甲斐ない。結局、一人じゃ何もできないじゃない。
……それにしてもこいつの視線、気持ち悪い。変な面のせいで顔は見えないけれど、さっきからじっとり舐め回されるような不快感を感じる。まるで品定めでもされているような……
──まさか。
「どうせ殺す女なのですから我々の慰み者にでもなってもらいましょうかねえ。その方が勇者も屈辱でしょう」
「っ!」
嫌な予感は的中した。ぞっと悪寒が背中を走る。咄嗟に身構えるけど、丸腰なうえ両手の自由が効かない。
どうしよう、焦りで心拍数が上がる。冷や汗が頬を伝い、手の先が冷たくなってきた。嫌、早く逃げないと。
そうこうしているうちに、幹部が牢の扉に手を掛け中に入ってきた。後退りをするも背後には石の壁。唯一の出入口も幹部が塞ぐようにして立っている。
そして奴がゆっくりと私に手を伸ばした──その瞬間、薄暗い牢の中を突如として眩い光が照らした。
「なっ……!? 何だ!?」
その光量に怯んだのか、幹部が狼狽え後退りする。いつか見た青く優しい光──その光はまるで私を護るかのように周囲を覆い、次第に氷のような結晶へと変化した。
「なに、これ……? ──ひっ!?」
突然のことに意識が結晶の方へと向いたその隙に、幹部が風斬り刀を振りかぶった。思わずぎゅっと目を瞑るけれど──何の痛みも衝撃も無く、代わりに幹部の戸惑いの声が耳に入った。
もしかして、リンクが言っていた私を護っていた結晶って……これのこと? でも、これはネルドラ様の御力のはず。どうして今発動して──いや、考えるのは後だ。今のうちに逃げないと。
幹部の隙をついて牢から飛び出すと、背後で怒声と口笛の音が聞こえた。まずい、仲間を呼ばれる。
しかしその直後、それをかき消すほどの大きな声が部屋中に響いた。
「ナズナ!! ナズナーーッ!!! 何処にいる!? 返事してくれ!!」
「ッ!!」
リンクの声。助けに来てくれた。
安堵から涙が出そうになるけれど、ぐっと堪えて叫ぶ。
「リンク!! 私は此処だよ!!」
「──ッ! 直ぐ行くから待ってろ!!」
リンクが居るであろう部屋からはイーガ団と思われる叫び声や刀同士がぶつかる音がする。私を見張っていた幹部が仲間を呼んでいたようだったけれど、リンクの方に人手が割かれているのかまだこちらに増援は来ていない。リンクが来るまで何としてでも逃げ切らないと──
「……? っは、ぅ……」
突然、酷い息切れと倦怠感に襲われ思わずその場に倒れ込んだ。
やばい、意識飛びそう。でも、この結晶は消しちゃだめ……
「この糞女がッ!! 殺してやる──」
朦朧とする意識の中、ぎらりと鋭く光る刃が私に向かい振り下ろされようとした──瞬間、目の前にいたはずの幹部は物凄い勢いで吹っ飛んでいった。
「ナズナ!! 無事か!? ──っ、これは……!」
ああ、リンクが助けにきてくれた。よかった……と、ほっとして体の力が抜けると同時に結晶は消えた。
リンクは結晶に一瞬驚いた様子を見せたようだったけれど、直ぐさま私を抱きかかえてくれた。声を掛けたいのに口が重くて開かない。瞼が重くてしょうがない……
そのまま、私の意識はゆっくりと落ちていった。
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