目が覚めたときから、何かとても大切なことを忘れている気がした。

 そもそも記憶がないのだから忘れているものなんて山ほどある。それなのに、その記憶だけは絶対に忘れてはいけない──そんな不思議な感覚だった。

 導かれるまま旅をして、ある村に辿り着く。ハテノ村──ハイラル城から遠く離れたのどかな村。初めて訪れたはずなのに、何故か無性に懐かしい空気を感じる村だった。
 何か記憶の手掛かりになるかもしれないと、村の中じゅう歩き回る。陽が沈みかけ、タルホ池のほとりを歩いていたとき──突然、幼い頃の記憶が蘇った。



***



 たくさんのシズカホタルが飛び交う幻想的な光景。そして池のほとりに佇む小さな二人の影──

「オレ、いつでもナズナを護れるくらい立派な騎士になるから。だから……待っててほしい」

 オレはそう言って、目の前の女の子を真っ直ぐ見据える。その子──ナズナはぐすぐすと泣きじゃくっていて、その姿を見るとオレも心が締め付けられるように悲しかった。

「うん、寂しいけど……待ってるからね……っ、」

 相変わらず泣き通しのナズナをどうにか泣き止ませようとするけれど、今日はなかなか涙を止めてはくれなかった。でも、オレだって別れる前にナズナの笑顔が見たい。だから格好付けるのはやめて素直な気持ちを口にした。

「ナズナは笑ってたほうが可愛いんだから……こういうときくらい、笑ってよ」

 辺りが薄暗くて良かったと心底思う。そうじゃなければ、きっと真っ赤に染まるオレの頬をナズナに見られてしまったかもしれないから。
 オレの言葉を聞いたナズナは一瞬息を止め、今度はおどおどし始めた。余程驚いたのだろうか、いつの間にか涙は引っ込んでしまったようだ。

「っ……! う、うん。私泣かない! 笑う!」

 そんな小さな二人の記憶──



***



──ナズナ。

 弾かれたように顔を上げ、ラネール山を見上げた。心臓が破裂しそうなほどに脈打つ。冷や汗が止まらず、身体が芯から冷えるように冷たくなっていく。
 先程の記憶を皮切りに、次々と思い起こされるナズナとの大切で愛おしい記憶の欠片。そして百年前のあのとき、ラネール山へと走ったナズナの後ろ姿──





 気付けばオレは知恵の泉に向かいひたすら駆けていた。縋るような視線をラネール山へ向けながら、襲ってくる魔物たちを薙ぎ倒し前へ前へととにかく進む。
 あのときはこのラネール参道から知恵の泉へと向かったはずだ。そしてそのままラネール山へ──でも。
 分かっている。もう百年も前のことだから、今オレが泉に向かったところでナズナに会える訳がない。分かっているはずなのに、それを正面から受け入れることがただただ恐ろしく、それを誤魔化すために百年前のナズナの後を追いかける。そうでもしていないと頭の中で渦を巻く絶望と後悔と自分への怒りで、心も身体もどうにかなってしまいそうだった。

──何で思いを伝えなかった?

 ナズナを護れるようになってから伝えようと自分に言い訳し後回しにしていた。オレがナズナと離れていても、ナズナはオレのことを思っていてくれたから。周りがオレを見る目は変わりオレ自身も変わってしまったけれど、ナズナはずっと変わらなかった。変わらないままだと思っていたんだ。あの平和がずっと続くと思っていた。それなのに。

 唇を噛みしめすぎたせいか、口の中に血の味がじわりと広がる。

 憎い。オレ自身がどうしようもなく憎い。過去のオレも今のオレもナズナとの約束を果たせなかった。護るなんて言っておきながらこんなことになった。何が騎士だ、何が勇者だ。肝心なときに大切な人を護れないなんて──

「ッ!?」

 ふと、懐かしい気配を感じ取った。それは今、狂おしいほどに求めているナズナの気配。確かにその気配はラネール山の頂上付近から感じる。今にも消えそうなほど小さくか細いけれど。

「──ッ! 待ってろナズナ!!」

 暗闇の中に微かな光が差す。その小さな希望を胸に抱き、ラネール山へと足を踏み入れた。



***



「何だ……? この龍、」

 知恵の泉──そこにはガノンの怨念に取り憑かれた龍が鎮座していた。その存在感に一瞬怯むものの、すぐさま辺りを見渡し僅かな気配を頼りにナズナの姿を探す。すると龍の脚の隙間から青白く光る硝子のようなものが見えた。その光の反射に目を凝らす。中に誰かいる。あれは──

「ッ、ナズナ!!! 今助けるからな!!!」

 見間違えるはずがない。そこにいるのは確かにナズナだった。百年経った今、何故ここにナズナがいるのか。そんなことは最早どうでも良かった。ただ我武者羅にナズナに触れようと、ガノンの怨念を素手で引きちぎる。必死だった。怨念が自分の手を蝕む痛みを感じないほどに。
 それなのに、ナズナには届かない。ナズナを覆うように存在するこの結晶──壊そうとしても何の手応えもない。きっと物理的な衝撃じゃ駄目だ──そう思ったとき、頭の中に声が響いた。オレが目覚めたときに聴こえてきたものと同じ声。

──リンク……ナズナは今、ネルドラの結界で封印されています。ネルドラを……ガノンの怨念から解放して下さい──



 そこからはただ、言われるがままに怨念を払った。怨念を祓い終えると龍は空の向こうへと飛び去り、結晶に包まれたナズナだけがそこに残った。

「ナズナ、……ナズナ!!」

 急いで駆け寄りオレが結晶に触れた瞬間、役目を終えたかのようにそれはすうっと消えてなくなった。同時にナズナの身体がこちらへ倒れ込み、慌てて支えようとオレの手がようやくナズナの肌に触れる。あのとき最後に別れたときのままのナズナ。あたたかい。息をしている。

「っ、生きてる……」

 安堵から涙が溢れた。ひたすらに名前を呼び、ナズナの身体をきつく抱きしめる。

 あのときみたいにまた二人で話そう、一緒に笑おう。全部伝えるから。オレの今までの思い全てを。もう待たせたりなんかしない。二度と離さない、絶対に。
 だから……だから早く目を覚ましてくれ。ナズナ。

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