05


「──ッ! ……ナズナ、……ナズナ!!」


 何処からか、私を呼ぶ声が聴こえる。
 聞き覚えのあるその声は、まだ覚醒しきっていない私の頭の中をぐるぐると廻った。

 どうしてそんな必死に、哀しそうな声で叫んでいるの。
 誰の声だっけ。凄く懐かしいような愛おしいような。心の奥がぽかぽかする。

──そうだ、この声は、

「リン、ク……?」

 重い瞼をゆっくりと開く。眼前に広がるのは見慣れた金色の髪──リンクだ。
 リンクはその青い瞳を濡らしながら、私の名前を何度も呼び抱きしめた。

「……ッ!! ナズナ!! ……良かった……! 本当に……」

 壊れ物でも扱うかのように、優しく、優しく私を抱きしめるリンク。何が起きているんだろう。未だぼうっとする頭を回転させ、今のこの状況を理解しようとした。


 ゼルダが知恵の泉での修行を終えた後、すぐにガノンが復活して──
 そうだ。私はネルドラ様が異様なものに襲われる気配を感じて、一人で知恵の泉に向かったんだ。



***



 あのとき知恵の泉で見たものは、厄災ガノンの禍々しい怨念に取り憑かれ、いつもの神々しい御姿からは想像もできないネルドラ様だった。

「……嘘、」

 目の前の光景が信じられず、呆然とその場で立ち尽くす。
 ガノンに取り憑かれているの? 何でネルドラ様が……いや、理由なんて後でいい。今はとにかく早く助けないと。

 動揺しながらも持参した弓矢に手を伸ばそうとしたら、ネルドラ様に纏わりついている赤黒い怨念から覗く目玉と目が合った。私を認識した怨念は、まるで意思を持っているかのようにこちらへ迫ってくる。

 本能的に察知する。アレに触れてはいけない。

 急いでその場から逃げようとするけれど、足元に積もる雪で上手く走ることができない。瞬く間に追いつかれ、怨念に身体を包み込まれそうになった──その時だった。怨念よりも先に、眩く青白い光が私を覆った。冷たいけれども心地良い、やわらかく不思議な光に。

 途端に意識が遠のく。でも、不思議と恐怖は感じない。
 光に包まれながら、私は意識を手放した。



***



 そうだ、思い出した。あの光は一体何だったんだろう。
 ……いや、そんな事よりも。

「ネルドラ様は!? ……ッう……」

 がばっと勢い良く上体を起こした途端、目眩に襲われた。ふらついた私の身体をリンクが支える。

「ネルドラなら無事だよ。ガノンの怨念からは解放された」
「よかった……! リンク、ありがとう」

 その言葉にほっと安堵する。リンクがここにいるということは、きっとリンクがネルドラ様を助けてくれたんだ。
──でも、リンクはガノンと戦うためにハイラル城に向かったはず。どうしてここにいるんだろう。城とラネール山とはかなりの距離があるのに。リンクが往復できる程に長い間気を失っていたの? そんなふうには思えないけれど。

「ねえリンク、ガノンは封印できたってこと……だよね? 皆は……ゼルダは無事なの?」

 そう尋ねながらも、私は妙な違和感を覚えていた。リンクの雰囲気がいつもと違う。英傑の服を着ていない。マスターソードを持っていない。
 リンクだけじゃない。このハイラルを覆う不穏な気配──嫌な予感に胸のざわめきが止まらなくて、縋るようにリンクの服の裾を掴む。

 沈黙が流れた。リンクの表情が段々と歪んでいくのを見て、否が応にも嫌な想像が頭に浮かぶ。
 リンクは何度か言い淀む様子を見せた後、私の手をぎゅっと握り締め神妙な面持ちで口を開いた。

「ナズナ、落ち着いて聞いて欲しい。今は……ガノンが復活したあの日から百年経っている。そして今もガノンは──」

 リンクの口から語られた現状は、言葉を失う程に残酷だった。

 リンクはガノンとの戦いで瀕死の重傷を負い、回生の祠で眠りについていたこと。その副作用で今も記憶の一部が無くなっていること。ゼルダがあの日から百年間、ずっとガノンを封印し続けていること。

 リンク以外の英傑は──命を落としたこと。

 愕然とする私に、優しく、言葉を選びながらリンクは話を続ける。でも、聞こえているはずなのに頭が会話を認識しなかった。思考が止まって理解が追いつかないのか、それとも聞かないようにしているのか──ううん、きっとその両方なんだと思う。

 信じられない。信じたくない。だって、私は少しの間気を失っていただけじゃないの? 百年? ガノンに負けた?

 ……皆が、死んだ?

 嘘、ついさっきまで皆で話をしてたじゃない。それに……封印って、ゼルダは無事なの? そもそも、百年経っているなら何で私は今ここにいるの?

「嘘……嘘でしょ? リンク、だって……さっきまで皆で一緒にいたよね……? なんで、そんなこと……」

 リンクは何も答えない。ただ、私をぎゅうっと抱きしめるその身体は微かに震えていた。


 全部嘘だと思いたかったけど、リンクはこんな質の悪い冗談を言う人ではないということは充分すぎるほど知っている。きっと……全部本当の事なんだろう。

 氷のように冷たい涙が、私の頬を伝った。



back

×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -