memo

出会いのお話

 どうしよう、早く人が居ない場所に行かないと。

 慣れない砂漠の砂に足を取られながら、脇目も振らず走り続ける。心臓は強く、そして早く脈打ち、身体中から尋常でない程の汗が吹き出す。荒く息を切らし、街から離れなければというただそれだけを頭にひたすら前へ進む。

 どうしてこんなに魔力が昂っているのだろう。ゲルドの街に来るときはいつもそう。まるで何かに共鳴するように、私の奥から魔力が溢れ出してくる。自分の意志で抑えられない程に酷くなったのは今回が初めてだけど――

 と、微かではあるが耳に轟々とした音が届き歩みを止めた。それは地響きを伴いながら次第に私の方へ物凄い速さで近付き、気付けば目視できる範囲に蠢く巨大な砂の山が確認できる。
 モルドラジーク。ゲルド砂漠に住み着く大型の魔物だ。獲物を喰おうと、私の足音を頼りに寄って来たのだろう。

 普通ならこの成す術も無い状況に絶望するだろうが、今の私は違かった。何でもいいからこの魔力を発散させたいとそう願っていた私には、魔物が向こうから来てくれたのは好都合だった。
 そうとは知らないモルドラジークは一心不乱に私へと向かってくる。私はいつものように心の中で「ごめんね」を繰り返す。そして、奴が私を突き上げようとした瞬間――溜まりに溜まった魔力を思い切りモルドラジークに叩き込んだ。


***


「ごめんね。でも、ありがと」

 消滅したモルドラジークが居た場所に残されたのは幾つかの素材と宝箱。それを拾い集めながら、そうぽつりと呟いた。

 私の魔力は年々強くなっている。今日みたいなことが何度もあるようなら、きっと家族とはもう一緒に住めないだろう。ただでさえ魔力持ちに風当たりが強いこの時代、これ以上家族に迷惑をかける訳にはいかないから。

 そろそろ本気で村を離れることを視野に入れないと――と考えを巡らせていたら、急に目眩に襲われ膝をついた。
 そういえばここは酷暑地帯。さっきまで必死だったから頭から抜けていたけれど、知らぬ間にじわじわと体力が蝕まれていたようだ。

「っ、どこか日陰になる場所……」

 急いで立ち上がろうとするも力が入らない。ポーチに手を伸ばし、何でもいいからと薬が入ったビンを震える手で掴んだものの、意識が朦朧としてきた。

 どうしよう、このままじゃ――

 焦りが頂点に達したとき、私の頭上に影が差した。何だろうとぼんやり虚ろな目で上を見上げると、赤い髪の大柄な男性が私を見下ろしている。
 目と目が合い、暫しの沈黙の後、無言のままその男性が私を抱え上げた瞬間に感じたのは浮遊感。同時に地面が視界の下に落ちていくのが分かった。
 そう、彼は宙に浮いている。
 頭ではかなり動揺しながらも、相変わらず身体は言うことをきかないのでそのまま大人しくその男性に身を任せた。変なことをして落とされてしまっては大変だから。

 彼はそのまま少し先に見えていた小高い一枚岩の上に降り立つ。浮遊感がなくなったことにほっと胸を撫で下ろし目線を下にやると、そこには小さなオアシスがあった。カラカラバザールに比べたら水溜り程度のものではあるけれど、今の私には充分すぎるくらいの水だ。
 彼は私をそっと地面に下ろし背中を左腕で支え上半身だけ起こした状態にすると、空いた方の手で掬った水を私に飲ませる。冷たくて気持ちが良い。
 彼に触れた場所を通して私の中に流れ込んでくる魔力が、弱りきった身体を癒してくれているように感じたのは……気のせいだったのだろうか。


***


「ありがとうございます。お陰で助かりました」

 ぺこりと頭を下げ彼にお礼の言葉を言う。しかし、相も変わらず彼は無言のままだ。不機嫌そう……というより、どこか怒っているように見えるのは気のせいではないと思う。

 喋ってくれないと帰るタイミングが分からない。お礼はしたし、もう帰ってもいいかなと崖の下に目をやるとスナザラシが数体ひなたぼっこをしているのが見えた。
 今は盾を持っていないからあの子で帰るのは無理そうだ。でも歩いて帰るとしたら今ある薬だけでは街に着くまで足りるか分からない。どうしよう。

 スナザラシがころごろしている姿を見ながら呑気に帰り方を考えていたら、軽い舌打ちの後に「おい」と苛立つような声が聞こえたのでその声の主の方を振り向く。

「はい。何でしょうか」
「何故そんな格好で酷暑地帯に入った。その様子なら薬も飲んでいないだろう。死にたいのか」

 あ、やっぱり怒られた。

 ようやく口を開いてくれたと思ったら、それは私を叱責する言葉だった。当たり前だよなあと思いながらも、聞かれたので一応これまでの経緯を話すことにする。

「えっと……急いで人が居ない場所に向かってたらこうなって。迂闊だったとは思ってます」

 言い終えた後にふと気付く。無意識に魔力のことを隠したけれど、この人は魔力持ちだ。しかも私より遥かに大きな、底知れぬ魔力を感じる。隠す必要は無いかもしれない。

「っ、……魔力が暴発しそうで、必死だったの」

 その声は絞り出したような震えた声で、自分でも驚いた。私は思っていたより気落ちしているのだろうか。
 そんな私の様子を見て彼は一瞬ぴくりと反応する。その後ひとつ息を吐き、口を開いた。

「以前から魔力の制御が下手とは思っていたが……確かに街中で暴発でもされたら面倒だ」
「え? 会ったことありましたっけ」
「オレの街に出入りしている双子の学者だろう。あんな瓜二つの顔がうろついていたら嫌でも目に付く」
「ああ、なるほど……って、あれ?」

 この人、「オレの街」って言ったような。
 赤髪で褐色の肌にハイリア人よりも大きな身体。そしてさっきの言葉とこの人が男性であることを考えると……

「ゲルドの王様?」
「……今更気付いたか」
「だって姿なんて滅多に見られないから」

 今まで何度もゲルドの街に行っているけれど、王の姿は一度も見たことがなかった。まさかこんな場所で会えるとは。
 我儘だとか自分勝手だとか、良い意味で言うなら自由奔放な人だと色んな噂を聞いていたから、まさか他人を助けてくれるような人だなんて思ってもみなかった。
 学者としてもそうだけど、個人的に彼に興味が湧いたので、ひとまず帰り方を考えるのは置いておくことにしよう。

「ゲルドの長は代々魔力持ちだって話、本当だったんだ。空飛んでたのも魔力なの? 私も飛べるのかな」

 魔力持ちの人と話すのは初めてだ。相手が王ということも忘れるほどに好奇心が押し寄せる。

「お前の不安定な魔力では無理だ」
「そうなんだ。残念」
「だが……今は魔力に揺らぎが無いな。先程ヤツを殺した影響か?」
「っ!」

 心臓が跳ねた。「殺した」という言葉が心に重くのしかかる。
 いや、何も間違っていない。私が殺したことに代わりはないのだから。目を伏せながら、ぽつりと小さく呟く。

「……いつもああやって発散させてるの。自分だけじゃどうにもできないから」


 行き場のなくなった魔力は発散させないと暴発してしまう。でも厄介なことに、私は"避雷針"がないと自力で魔力を放出することができない。そして、その"避雷針"にあたるものは生きている人間や魔物――だから私は調査を行う影で魔物を殺して回っていた。
 きっと私の力が人に向いてしまったら、人を殺してしまう。だから、村で普通に生活する為に、今まで何体もの魔物に力をぶつけてきた。

 でも、本当は魔物を殺したくない。彼等を手にかけるとき、言いようもない程の罪悪感に襲われるから。
 魔物は人間の命を脅かす存在だから退治されるべきだと小さい頃から教わってきたし、兵士さんだって躊躇なく魔物を狩っている。だから私のしていることは罪でも何でもないはずなのに、それでも魔物を殺すことへの罪悪感はずっと消えずにいる。その理由が何故なのかは分からない。
 言ったところで理解されるとも思わないから、こんなこと絶対に人には言えなかったけれど。


――と、柄にもなく心にしまっていた思いを彼に吐き出す。
 何となく、彼なら受け入れてくれる気がするのは私と彼の魔力の性質が良く似ているからだろうか。勝手ではあるけれど、そこに親近感を覚えたのかもしれない。

 彼は私の話を黙って聞いてくれた。真っ直ぐに私を見つめるその表情からは、何を考えているのか読み取ることができない。
 でも、話し終えた後も黙っているものだからどうしたらいいか分からなくなって、再びスナザラシに目を向けようとした時だった。

「オレが相手をしてやる」
「――え、」

 彼の思いがけない言葉に思わず間抜けな声を上げる。
 相手、というのはどういう意味だろう。まさか私の魔力を受けてくれるのだろうか、と驚きつつも食い入るように彼を見つめる。

「オレも力が有り余って仕方が無いのでな。その代わり、死ぬ気でかかって来い」
「……いいの?」

 物騒なことを言われているのに、その言葉を受けて胸が高鳴るのを感じた。恐怖ではなく、喜びから来る高鳴り。

 受け入れてもらえた。それに、この人なら思い切り力をぶつけてもきっと死んだりしない。

 産まれて初めてと言っても過言ではないほどに期待で胸が踊る。久しぶりに、自然に笑えた気がした。

「嬉しい。でも絶対に死なないでね」
「フン、お前にオレが殺せるとは思わんな」
「ふふっ、楽しみ」

 私より魔力が強い人に出逢えて、しかも魔力の放出に付き合ってくれるなんて思ってもみなかった。もう一人ぼっちで悩まなくても良いと思うと、先程まで気落ちしていたのが嘘のように心が軽い。胸がドキドキする。
 初めての感情に舞い上がる私を見て、彼も微かに口角を上げた。
 
 まるで遊ぶ約束でもするかのような軽い調子で戦いの約束を取り付け、彼にそのままゲルドの街まで送ってもらう。
 彼に抱きかかえられながら、じんわりと滲む視界に夕陽が反射して世界がきらきらと輝いているように見えた。
2021.11.05 19:10
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