どろどろ、どろりろ。べちゃり。



積み重なり、どろどろと赤黒い重苦しい何かが自分を支配していく感覚が、この手に在った。

ぐるぐる。捻じ曲がって歪んでいく何か。

錆びた泥水の音。ぺちゃり。この瞳に焼き付いて、妬きついて。


"  "


何処からか、とある音が弾けたんだ。


















「お、風丸先輩じゃん。……えーと、そこの隣は――」

「闇野カゲト。」

「あ、そうそれ!――て、おま…宮坂何で知ってんだ?」

「噂には、なってたから。」
そう、噂。口元のストローがちゅっちゅと厭らしい音を奏でている。


ヤミノカゲト。2年B組、出席番号9番。およそ一ヶ月半前に学院へ編入。成績、運動神経ともに優秀。編入してから風丸一郎太と一番共に行動、生活している者。

半目である翠の双眸が遠く、目の前を行く二人をしかと目に焦がす。その目に、歓喜等一切皆無。


そうとも知らず、彼らは道を行き、口を動かしていることから時折会話しているのが伺える。
ふわりと揺れ動く空色。またたく真紅。呆れた様に浮かぶ言葉。しなやかな四肢。糸をほつる唇。
全てが、スローモーションのように、一枚一枚フィルムのように、ひとつひとつの絵のように。

昼休み終了間近の予鈴や小鳥の囀りさえ、宮坂にとってはただの雑踏にしかすぎなかった。









夕らぐ放課後。今日は職員会議やらという大人たちの会談のため、部活動など無し。
そのため、暇を持て余した生徒たちは各自寮にもどり、街まで降りるものも居れば相部屋の友人たちと雑談している者まで、他者それぞれ。

そんな中ひとり、宮坂だけは夕闇に堕ちて行く教室で、窓の外を眺めていた。
燃えるような暁。山の陰へと引っ込んでいく。彼がこの景色を見たらどう思うのだろうか。やはり彼ならば、水のようにしとやかで美しく繊細な彼ならばもっと上手くきれいな例えをするのだろう。きっと。
月が背後から堕ちていくそれを見下している。もう終わりかと嘲笑う。そんな彼は久しく三日月。もうすぐ新月か満月だろう。
しかしそんな月でさえ、太陽の灯火が無ければその存在を誇張できない。なんとも哀れな。満天に煌く星たちでさえ、自身だけでこの世を照らしているというのに。


「―――!」


がらり、
ふと、いきなりの音に不覚にも肩が跳ねる。戸が開く音だ。
誰だろうかと疑問を抱えながらも前方45度方面に目を傾ける。
瞬間、世界が色づいた。

「はれ、」

「あ、此処宮坂のクラスだったのか。」

というかお前まだ寮に戻ってなかったのか。


思わず目が点になった。
目の前にて、ひょっこりと出てきたのはまごうことなく、彼。
その橙に染められた髪、艶やかな暁、心地いいアルトボイス。

「かかかかかかか風丸さんんんっ!」

想ひ人。

いきなりすぎる展開に思わず席を立つ。人間、不意打ちされると思考回路を正常にするまで結構な時間がかかるようだ。

「――どうした、何かあったのか。」

そして眩む、色彩。モノクロアウト。標的、宮坂の思考が完全に別のスイッチを踏んだ。

灰色の汚らわしい髪、漆黒の闇、耳を塞ぐまた別の声。

「……闇野、カゲト先輩」

嫉み人。

「風丸、こいつは」

「こいつ呼ばわりするなシャドウ。宮坂は俺の後輩だ。――ああ、宮坂こいつは、」

ふと、更に赤黒く加速する脳内。今、この人はなんと言った。
"シャドウ"

かれにしか、カゼマルイチロウタしかがいっていないことば。




「ああ、そうだった。宮坂、このクラスの箒持って行くから。生徒会のやつで」

御免と手を合わせ、謝る彼。

そして、隣で突っ立っているニンゲン。

「――ええ、どうぞ。」

その宮坂の表情は、彼らから見たらとびきりの笑顔だったろう。







(月と一緒に堕ち始めた)




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